迹見赤檮


「こんにち、はっ······?」

 厩戸うまやとの宮を訪ねた止利はぱちくりと目をしばたたかせる。巌のような男が目だけをこちらに動かした。止利をすっぽり覆うような黒々しい影。それが目に入った途端、「え、あ······え?」と間抜けな声を漏らしてしまった。

 初めてみる顔だ。河勝よりも背丈があるように見える。小豆の貫頭衣から覗く腕には隆々とした筋肉がついており、カッチリとした胸板も体格の良さを表している。鋭い瞳は馬子の右腕であるこまのものともよく似ていたが、体格は絶妙に違っている。駒はすらりとした体躯をしていたが、目の前の男は肩幅も脛も首筋も全てが太く大きい。まるで山のような身体だと思った。

「あ、止利さん。こんにちは」

 男の後ろからひょっこりと調子麻呂が顔を覗かせる。見慣れた顔と声に、止利はやっとのことで「ちょうしまろさぁん」と泣きそうな声をあげた。

 こちらを見下ろす男の目が鋭く光る。それが万物を切り裂く刃物のように見えて、思わず背筋を伸ばした。蛇に睨まれた蛙とはこのような気持ちなのだろう。

「鞍の調整ですね、中へどうぞ。今は彼の案内をしているので皇子様の所で待っていていただけますか?」

 調子麻呂に頷いた後、チラリと目の前の男を見上げてみる。再びやいばのような瞳がぶつかったのですぐさま目を逸らした。これ以上見ていたら喰われそうだ。

 大人しく後ろへ引き下がると二人を避けて屋敷に入る。静かな空気にやっと鼓動がおさまったところで、厩戸が面白そうな色を瞳に宿した。

「お会いしましたか? 新人くんに」

「あっ! あのおっきくて強そうな怖い人······!」

 思わず漏れてしまった本音に慌てて口を手で塞ぐ。それが面白かったのか、厩戸は「正直者ですねえ」と肩を揺らした。

「新しく来た舎人とねりです。と言っても、止利さんとは一度だけお会いしていると思いますが」

 あんな男とどこで顔を合わせたのだろう。あれほどに怖い男、見かけたならば忘れないような気がするが······。

「ほら。先の大王おおきみの葬儀の後、皇子様方がここに集まっていたでしょう? あの時 彦人皇子ひこひとのみこさまに付いていた······」

 そういえばそんな男を見かけた気がする。さらに言えばつい最近河勝からその名を聞いた。それも彼が愉快に笑うほど物騒な話で······。

「それってまさか······」

「ええ。中臣勝海なかとみのかつみ殿を暗殺したあの舎人です。迹見赤檮とみのいちいと言うとか」

 なんということだろう。人を殺しそうな目をしていたが、まさか本当に暗殺者だったとは。しかもその男が厩戸の舎人だと?

 止利はあの瞳を思い出して、再びぶるりと身震いした。彼に何かをされたわけではないが、自分は喰われたくないと思った。







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