眩しい。直感的にそう思った。

 その仏像は光っていた。いや、この部屋に窓はないのに柔らかく輝いて見えたのだ。滑らかなシルエットも慈悲に満ちた表情も、全てが想像を超える美しさだった。言葉に表せない。声だって出てこない。もはや息をつくことさえ許されないような凛とした空気。それなのに息苦しさは全くなく、むしろ心が洗われたかのような心地になる。その不思議な感覚はこれまでに感じたことの無いものだった。

 ──これが仏か。

 初めて仏の尊さを知った気がした。仏教については厩戸に教えられていたが、あまりにも深く理解し難い。心に響く何かはあるものの、どうも喉につっかえて飲み込めない感覚があったのだ。

 しかし仏像を目の前にした今は違う。それはいとも簡単に腑に落ちた。目の前にある仏が直接尊さを語りかけてくる。初めて目にする光はあまりにも眩く美しかった。

「止利さん、休憩しませんか?」

 突然聞こえた調子麻呂の声にハッとする。部屋の外の足音が近づいてきた。止利は慌てて仏像に布をかけ直す。

「ごめんなさい。まだ終わっていませんでしたか」

 調子麻呂が顔をのぞかせる。仏像に見惚れるあまり、経典を棚に並べることを忘れていた。しかし勝手に仏像を見たことが後ろめたくて「すみません」と謝ることしか出来なかった。

「いえいえ、むしろこちらが申し訳ないです。お客様に仕事をさせるなんて」

 調子麻呂は柔らかく眉を下げて部屋に入ってくると、床に置かれた経典を並べ始める。

「あとは私がやっておくので、止利さんは広間にお戻りください。ちょうど皇子みこさまと大臣おおおみが干し柿を食べていらっしゃるかと」

 言葉に甘えて広間へ向かえば、厩戸が止利の分の干し柿を手渡してくれた。それはとても素朴で優しい味がした。

 ふと視線を感じて顔を上げれば馬子がこちらを向いている。しかし、止利に気づかれて気まずくなったのか「すまぬ」と言って顔を背けた。

「大臣はあなたのことが気になるのですよ。仏教に興味があると聞いていますから」

 馬子の心を代弁したのは厩戸だった。

「しかし、こんな事態となっては素直に仏教を勧められないという話に······」

「僕はもっと知りたいです。仏教のこと」

 厩戸が全て言い終わる前に口を開いていた。馬子も厩戸も目を丸くしたが、止利自身が一番己の言葉に驚いた。まるで自分の口を使って誰かが喋ったかのようだった。しかしそれでいて違和感はない。無意識の言葉に動揺はしたが心にはなんの翳りもない。自分の望む答えが出たと確信していた。

「ありがとう。いつか必ず、隠さずとも仏を拝める世の中にしてみせますゆえ」

 柔らかく笑ったのは馬子だった。生真面目そうな顔つきをしていたからか今までは近寄り難い雰囲気もあった。しかし初めて見た笑顔はあまりにも不器用で優しくて、止利は少々拍子抜けしてしまう。この笑顔を一生忘れないのだろうと、心の底から思った。


 帰路の途中、海柘榴市つばいちの近くを通ってみればいつもの賑わいはさらさらなかった。ただ、物部軍の雄叫びだけがこだましている。止利は物部を憎む気持ちはないが擁護する気持ちもない。それは以前から変わらない事だ。自分は豪族の争いに関われるような身分ではないのだから。

 しかし今は他人事に思えず、喧騒を遠目に立ち尽くす。もう終わろうとする春を何故か待ち遠しく思うような······そんな不思議な感覚を背負い、止利はその場を後にした。











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