海柘榴市


 時は三月。ついに厩戸の夢が現実のものとなった。

 疫病の流行を仏教のせいだとした物部守屋らは、大王の許可を得て蘇我馬子が建てた寺に赴き、そこにあるものを尽く破壊した。仏殿は壊され、経典と共に火をつけられた。仏像は砕かれ、暗い堀へと沈められた。月も見えぬ闇夜に飛び散った火の粉が馬子の目にどう映ったことか。それらは燃え盛る花の如く灰になって風に消えた。

 守屋は茫然とする馬子を馬上から見下ろす。彼は口を開かなかったが、その瞳は言葉以上に物を言っていた。しかし守屋の心を口に出さずにはいられなかった者がいる。排仏派を代表する中臣勝海なかとみのかつみであった。

大臣おおおみ、これは神々の思し召しなるぞ」

 彼はさも愉快そうに言った。中臣氏は祭祀を司る一族。神道を敬う彼らは仏に溺れる馬子をよく思っていない。むしろ守屋よりも排仏の色が強かった。

 守屋は相変わらず何も言わなかったが、指示せずとも勝海が動く。初めから綿密に計画を立てていたのだろう。

「大臣!」

 そこで悲痛な叫びがこだました。馬子が振り返れば物部軍が三人の尼を捕らえている。一人は馬子が師と仰ぐ善信尼ぜんにんに、もう二人は彼女の弟子である禅蔵尼ぜんぞうに恵善尼えぜんにである。馬子が止めようとするのも束の間、物部軍は彼女らを強奪すると闇の中へと去っていった。

 去り際に守屋が一度だけ馬子の方を振り返る。業火をたたえる瞳は作り物であるかのように無機質だった。しかし馬子の目には何か光が宿って見えた。それは決して華々しいものではない。むしろ哀愁や失望といった暗い光だ。

 ところが確かに見えたのだ。その中に一筋だけ輝いた期待が。それが何を意味するのかは分からない。当時の馬子には考える気力さえなかった。焼け落ちる仏殿の前で彼はただただ守屋の背中を見つめ続けた。


 翌日、大勢の人々が集う海石榴市つばいちで騒動が起きた。昨夜物部軍に捕らえられた三人の尼が、身ぐるみを剥がされ人々の前で笞打たれたのである。騒ぎを一目見ようと集まってきた人々も、見るも無残な姿に顔を青くして引き返して行った。それでなくても物部軍が彷徨いているのである。いつもは人々の陽気な声で賑わう市も、この日ばかりは地獄のような光景を見せていた。

 止利は厩戸の屋敷にいたが、海石榴市の様子は舎人とねりたちから聞いていた。次々と伝えられる悲痛な知らせに厩戸も止利も顔をしかめる。

 すると調子麻呂がやって来て、何かを告げてすぐさま表に戻っていった。どうやら客人が来たらしい。止利は退出しようとしたが、調子麻呂は直ぐに帰ってきた。後に続いてやって来たのは大臣たる馬子と護衛のこまであった。











  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る