第三・五章

奏上


 年が明けた。

 薄雪を被った野山は寒空の下に映え、冷たく澄んだ川や沼には渡り鳥が遊んでいる。どんよりとした雲はかかっているものの、隙間から差し込む光は春を告げるかのように暖かかった。

 しかし春になったとはいえ、新暦でいえばまだ真冬のこの時期、寒さゆえか体調を崩す者も多い。それは大臣おおおみこと蘇我馬子そがのうまことて例外ではなかった。


「仏を崇めることを許せと申すか」

 冷たい宮中の空気が震える。低い声で唸ったのは大王おおきみである訳語田おさだだ。後に敏達びだつ帝と称される。彼は床に頭をつけてひれ伏す馬子を見下ろすと、チラリと視線を横に投げた。その先にいたのは大連おおむらじ物部守屋もののべのもりやである。馬子の対極に立ち、共に大王を支える豪族の長だ。

 この時、馬子は自身の病を治すために仏を祀ることを許可して欲しいと大王に願い出ていた。なんでも病になった理由を占い師に占わせたところ、「父・稲目いなめの時代に仏像が破壊されたのが原因だ」と言われたらしい。

 そうして大王の元へとやってきたのだが、今の大王は仏に懐疑的だった。しかも間の悪いことに廃仏に傾き始めた守屋も居合わせた。案の定彼らは複雑な顔をして縮こまった馬子を見遣る。先に口を開いたのは守屋だった。

「大臣が病にかかったことは存じておりますが仏は蕃神。回復を望むならば神々を祀ればよろしいでしょう。何故大臣はそこまで仏に執着なされる」

「この国の神々を敬っておらぬわけではありませぬ。ただ、どうも私は仏の方がしょうに合っているようで······」

「しかし大王のご意向は神々にあらせられる。易々と蕃神を受け入れるわけにもいきますまい」

 守屋は全く身を引く気がないらしい。馬子は辛そうに咳をした。秋口に疲労で倒れたのもあってか、身体が弱っているようであった。

「よい、守屋」

 二人の口論に終止符を打ったのは大王の訳語田おさだである。彼は馬子に目を向けると玉座に頬杖をついて目を細めた。

「ならば一度だけ仏を崇めることを許そう」

 馬子は勢いよく顔を上げた。守屋も驚いたように訳語田を見つめている。

「ただし、何か不具合が起きればすぐに仏を廃す。良いな?」

 馬子は込み上げる何かを抑えるようにして頭を床に付けた。丸まった小さな背中に見えるのは感謝と畏怖といったところか。守屋は納得のいかなそうな顔をしていたものの、ここまで来て声を上げる様子はなかった。


 これにより、一時的に仏を崇めることを許可された馬子は自ら寺を建てることにした。その知らせが厩戸らに伝えられたのは三日ほど後のことであった。












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