ヤキモチ


「河勝さん。僕、やっぱり仏師ぶっしにはなれません」

 唐突な答えだった。馬に乗ろうとしていた河勝は動きを止めて止利を見下ろす。二人は厩戸の屋敷の門前にいた。河勝が屋敷を去ろうとしたところに、たまたま止利が鉢合わせたのだ。

 季節はもう冬。止利はあくまで鞍を届けにきただけで、厩戸の屋敷にあがることはなかった。

「せっかく腕を褒めて頂けたのに申し訳ありません。でも、やっぱり鞍作部くらつくりべの方がしょうに合ってる気がするんです」

 河勝は何も言わずにひらりと馬にまたがった。しばらくの間たてがみを見つめると、小さな声で「そう」と呟く。

「君がいいならいいんじゃない? 僕は君の心を無視してまで強要する気はないよ」

 この前は何がなんでも仏師にすると言ったくせに。そんなことを考えたが、河勝のにこやかな笑顔を見て口にするのをやめた。この男に何を言っても無駄な気がする。彼の信念はよく分からないし、それを曲げることなどきっと止利には不可能だ。何か反抗したところでヒラリと上手くかわされるだけだろう。しかし相変わらずな河勝の様子にほっとしてしまう自分もいた。この人だけは何が起きようと変わらないのだろう。そんな根拠もない確信が拠り所にもなる気がした。

 止利が複雑な顔をしている間にも河勝は馬の向きを変えてしまう。彼は止利を見下ろすと、「じゃあね、あまり深く考えすぎないでよ」と手を振って帰っていった。

 止利はそこで首を捻る。最後の言葉の意味がよく分からなかったのだ。深く考えるなとはどういう事だろう。

 しかし、調子麻呂に見つかったので慌てて門をくぐる。持ってきた馬具を彼に渡して、そのまま甘樫丘に帰ろうとした。

「ちょっと!」

 突然聞こえた声に思わず飛び上がった。勢いよく振り返れば、見覚えのある少女がいる。厩戸の許嫁である刀自古とじこだった。彼女は腰に手を当てると、「何で帰るのよ」と口をとがらせる。

「な、何でって言われましても」

「皇子が寂しがってたわよ。最近貴方が会いに来てくれないと」

「それは······」

 ──貴方のせいだ。

 そう言いたかったが、口に出せるわけもなく喉の奥に仕舞い込む。しかし刀自古は刀自古なりに罪悪感があるらしい。気まずそうに目を逸らしたあと、強引に止利の手を引いて屋敷の中へと連れていった。

「ちょ、ちょっと刀自古さま」

「いいからついてきなさい鞍作」

 二人で板の間に入れば、騒ぎ声が聞こえていたのか厩戸がこちらを見つめていた。彼は刀自古に手を引かれる止利を見て目を丸くするも、直ぐにおかしそうに笑い始める。

「いつの間に仲良しになったのですか、お二人は」

「まだお友達ではありませんわ」

「うっ」

 止利とて刀自古と友達になったつもりはない。しかし幼い少女にそうはっきりと否定されるとそれなりに心が傷んだ。

「お久しぶりですね、止利さん」

 刀自古のことは気にしていないのか、厩戸が優しい笑顔で言う。もう二十日ほど会っていなかった。

「止利さんは刀自古に謝ってもらえましたか?」

「え?」

 止利はきょとんとして刀自古を見つめる。対する彼女はきまずそうにそっぽを向いた。どうやら謝罪を促されていたらしい。

「刀自古、謝りなさいと言ったでしょう」

「謝りましたもの!」

 ため息混じりの厩戸に刀自古は頬を膨らませて声を荒らげた。それが妙に可愛らしく見えて拍子抜けしてしまう。

「止利さん、本当ですか?」

 厩戸が確認するかように言う。その瞳からは刀自古の嘘を信じているのかどうかは読み取れない。しかしとても静かな声だった。

「······はい。謝っていただきました」

 止利は刀自古に合わせることにした。彼女は確かに気が強い上、慎みのない言葉に傷つけられたのも事実だ。しかしあれは自分にも非があったことであるし、何より彼女には憎めないところがある。理由は分からないが、刀自古に合わせてやってもいいなという気持ちがあった。

「そうですか」

 相変わらず真意の読めない瞳だ。厩戸は一度そう呟いたものの、すぐさま呆れたようにため息をついた。

「刀自古は素直じゃないのですよ。昔からずっとそうです」

「別にそんなことないですわ」

「ならちゃんと素直に謝ればいいじゃないですか」

 止利と刀自古は射抜かれた動物のように固まった。やはり嘘を見抜いていたらしい。今思えば、屋敷の外の足音でさえ聞き分ける耳の持ち主だ。ここに来るまでの止利と刀自古の会話など全て耳に入っていたのだろう。

 厩戸の言葉を受けて刀自古はギュッと眉を寄せる。ふっくらとした頬をりんごのように染めると、どこか潤んだ瞳で床を見つめた。

「だって······だって羨ましかったんだもの」

 刀自古は羞恥に泣きそうな顔で厩戸を見上げる。

「別にこの鞍作部のことが嫌いなわけじゃないわ! ただ、皇子がこの人のことをたくさん家に呼んでるから心がもやもやしたのよ。刀自古のことは全然呼んで下さらないくせに」

 刀自古は恥ずかしそうにそっぽを向いた。ふてくされたかのような顔は耳まで真っ赤に染まっている。まるで紅の花のようだった。

 厩戸は拍子抜けした様子であったが、ふふっと微笑んで彼女に歩みよった。刀自古の背に手を回して「ありがとう」と肩を叩く。

「そんなに大切に思ってもらえて嬉しいです。刀自古には悪いことをしましたね」

「べっ、別に好きで皇子に会いたがってたわけじゃないわ! ただ、父上に皇子の妻になるよう言われてますから、他の女性に靡かないようちゃんと見張っておかないといけないと思って!」

 口ではそう言っているが刀自古はしっかりと厩戸の袖を掴んでいた。そんな小さな夫婦を見ながら、止利は思わず顔をゆるめる。

 ──あまり深く考えすぎないでよ

 先程河勝に言われた言葉。顔を真っ赤にしている刀自古を見て、その意味が少し分かった気がした。












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