物部と蘇我


「もう数十年前の話なんだけどね」

 河勝は昔を振り返るかのように顎に手を当てる。

「この国に仏教が伝えられ、十年くらい後に仏像が伝来した。それを比較的早く受け入れたのが、今の大臣の父君・蘇我稲目そがのいなめ殿だった」

 蘇我の名にこまが姿勢を低くする。随分と忠義心のある従者だ。チラチラと揺れる耳飾りが服と同じ赤色の光を踊らせる。

「でもそれをよく思わない人もいるわけさ。その中でもいち早く反抗したのが中臣氏の人達でね」

「なかとみ?」

「そう。彼らは神事・祭祀を司る家柄だからね。この国古来の神々を大切にしている。彼らが仏教をよく思わないのは当たり前っちゃあ当たり前だよ」

 止利は「なるほど」と思った。確かに辻褄は合っている。

「でも、ここで問題が起きた」

 河勝が人差し指を立てた。その勢いに、止利は目をぱちくりとさせる。

「当時の大王おおきみ、つまり今から見て前代の大王が仏像の美しさに惚れ込んだんだ」

「大王······というと一番偉いお方ですか?」

「そう。この国の頂点に立つお方さ。彼が仏教に親しくなったことで、仏を積極的に受け入れていた蘇我も大王に親しくなった。もちろんそれを物部がよく思うはずがない」

「なるほど······物部は仏を毛嫌いしていたわけではなく、仏によって好機を得た蘇我が気に食わなかったのですね?」

 口を挟んだのは竹田だった。相変わらず状況の把握が素早い皇子だ。あどけない顔立ちとは裏腹に随分と聡い表情をしている。

「恐らくそうでしょうな。初めにも言いましたが、これはあくまで僕の想像です。でも物部だって寺を建てている。単純に仏を廃したかった、というだけではないのでしょう。仏に対抗しようとすれば物部は利害関係が一致する中臣と手を結べる。彼らは新参者である蘇我を弱体化させるためにこの崇仏・排仏の波に乗ったのだと思いますね。現に、物部と共に大連おおむらじとして活躍していた大伴おおとも氏の者がその大王の代に失脚しております。それもあって、物部と蘇我の二極化も進み始めたのでしょうな」

 止利はうーんと唸る。情報量が多すぎて困惑したが何となく概要は掴めた。

 つまり、大王が仏に興味を示したことで、仏に寛容だった蘇我氏が有利になったのだろう。それによって、仏に反抗的だった中臣氏と、蘇我に対抗的だった物部氏が手を結んで排仏に動いた、と言ったところだろうか。

「そこで、先程のお話に戻るのですね? 今の大王は仏を快く思っていないという」

「その通りだよ」

 止利の反応が嬉しいのか、河勝はパッと両手を広げる。柔らかで上質な衣が風を孕んでサラリと鳴った。

「前の大王が仏に親しかったのに対し、今の大王は仏の受容に慎重だ。仏を受け入れた頃に疫病が流行ったのもあって疑心暗鬼になってるんだろうね。まあ実際に考えてみればそうさ。まだこの国に地盤がない仏を受け入れるということは、僧侶や仏具を渡来させるということ。そうなれば人の行き来は増えるし、大陸で流行している病も入ってくる。そこまで考えて反対しているのかは分からないけどね。まあしかし、そんなわけで今は物部や中臣の一派に好機が巡ってきているわけだ。君も仏師になるにあたってそこを理解しておかなきゃならない」

「で、でも僕はまだ仏師になるとは······」

「止利殿」

 突然低い声に名を呼ばれて肩を震わせた。駒が真剣な瞳でこちらを見ている。

「このような状況なので大臣も気が弱っておられます。今日お倒れになったのも、心身への疲労が原因だとのことでした。病ではなかったのが不幸中の幸い、しかしながら我々も我があるじが心配なのでございます。どうか、大臣の心を癒すためにも貴方様には仏師になってもらい、蘇我のために美しい仏を生み出して頂きたい」

 鷹のような鋭い瞳。そんな駒の目力におされた。言葉自体は柔らかいものの、彼の視線には有無を言わさぬ圧がある。まるで蛇に睨まれた蛙のような心地がして、コクコクと頷くことしか出来なかった。

「あはは、止利くんも大変だねぇ」

 河勝がカラカラと笑う。ちょっと待て。一体誰が元凶だと思っているのか。

 不満げに頬をふくらませたものの、針の先ほども堪えていないらしい。楽しそうな瞳で止利を見つめては愉快そうに肩を揺らしている。

「大臣は父を快く思っていないのでしょうね。きっと私のことも」

 河勝の笑い声が止んだ。見れば、竹田が不安げに俯いている。立場はあれど、竹田は竹田なりに馬子のことを信頼しているらしい。そんな色が見てとれた。

「さぁ。大臣のお心を全て読み取ることは難しいゆえ、それは分かりかねます」

 静かに答えたのは駒だった。彼は切れ長の瞳を竹田に向けると、相変わらず表情を変えずに口を動かす。しかし次の瞬間、ほんの少しだけ頬を和らげた。微細な変化であったが確かに優しさが現れていた。

「しかし、大臣は竹田皇子さまのことを案じておられましたよ。見舞いに来てくださった難波皇子なにわのみこさまを見て、竹田皇子さまにお変わりはないか、と。以前 難波皇子さまや竹田皇子さまと鷹狩に行ったことでも思い出されたのでしょう。きっと立派に成長されていることだろうな、と笑顔を浮かべておられました」

 静かながらも柔らかな言葉だった。竹田は目を丸くすると、十歳の少年らしい はにかんだ笑みを浮かべる。

「良かった。大臣もあの日のことを覚えていてくれた」

 辺りがふわりと温かい空気に包まれた。まるで竹田の笑みが春を運んできたかのようだった。外では木枯らしが駆け巡り、秋も終わりを迎えようとしているのに。竹田の強さや弱さや優しさが、その一言に溢れているような気がした。


「それにしても、皇子さま方も遅いですな。そろそろ日が暮れますぞ」

 河勝の呟きに皆が視線を外に向ける。しかし次の瞬間だった。

「駒ー! いるんでしょ! 分かってるのよ!」

 突然響いた大声に全員が肩を震わせる。落ちかけの木の葉を吹き飛ばすような力強い響き。それはまだあどけない少女の声であった。








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