神と仏


「いいのですか? 竹田皇子たけだのみこさまは大臣おおおみの元へ行かなくて······」

 止利が声をかけるも、竹田は一人で外を見つめている。河勝について行った厩戸や難波が気になるのだろう。大臣・蘇我馬子そがのうまこが倒れたとの知らせを聞き、厩戸と難波はすぐさま屋敷を出ていった。しかし竹田だけは一人で厩戸の屋敷に残ったのである。難波が指示した故であった。

「いいのです。私はまだ幼いと見なされているのでしょう」

 しばらく静寂が訪れたのち、竹田は寂しさと孤独を目に映してやんわりと微笑んだ。しかし竹田と厩戸は同じくらいの年に見える。それを問えば、竹田はその通りだと肩を竦めた。

「でも厩戸皇子さまは私と違って特別ですから」

「特別?」

 止利は竹田を見つめたまま首を捻る。

「そうですとも。彼は大臣に親しいから特別な皇子なのです。それに比べて私の父は近頃大臣とギクシャクしております。難波皇子さまはそれを知っていて私をここに留めたのでしょう」

 スラスラと言葉を紡ぐ竹田に圧倒された。厩戸と並ぶと幼く見えるものの、彼は彼なりに自分の状況を理解し、咀嚼している。貴い人々とは幼い頃からこういうものだろうか。彼らが全く違う世界を生きているようでどこか疎外感をおぼえた。

「父は仏に懐疑的なのです」

 ぽつりと竹田は言う。

「だから最近の父は大連おおむらじと親しくしています。大臣にとって嬉しいわけがありません。父は今の大王おおきみなのですから。私は仏を担ぎも退けもしていませんが、父がああであれば私とて大臣の目によく映らないのでしょう」

 大連とは物部守屋もののべのもりやのことだ。前に調子麻呂から聞いたことがある。しかしながら、止利には疑問に思うことがあった。なぜ、仏が関係しているのかという部分だ。自分が仏教を学んでいることもあってか、そこが妙に引っかかる。

「仏の受け入れの是非は、権力を争うにあたって都合がいいのでしょうな」

 突然聞こえた声に振り返れば、馬子の屋敷に行っていたはずの河勝がいた。なぜ彼がここにいるのだろう。まるで瞬間移動でもしたかのような現れ方に背筋が凍る。加えて心を読んだかのような発言······やはり怪しい男だと思った。しかし河勝は気にもとめずにケラケラと話を続ける。

「難波皇子さまと厩戸皇子さまが私に戻れと言うので帰って参りました。皆様のことが心配だったのでしょう」

 河勝はそう補足して、止利、竹田、調子麻呂の三人に微笑みかけた。

「竹田皇子さまの前でこんな話をするのも気が引けますが、確かに今の大王は仏教を疑ってらっしゃる。まだまだ国に入ってきたばかりの代物ですし、何よりやまとには古来からの神々がいらっしゃる。ところが蘇我の大臣は仏教を受け入れようとしているのです。それを物部の大連が利用しないはずがない」

「どういうことですか。大連は純粋に仏教がお嫌いなわけではないと?」

 口を挟んだのは竹田だった。十歳ながらに話を理解しているらしい。止利は話を噛み砕こうとするだけで精一杯であったのに。

「さあ? 真相は知りませんが、私は仏教の受容・拒否の問題だけが二大豪族の亀裂を生んだとは考えておりませぬ。むしろ、元々物部と蘇我の関係が崩れ始めていた、とでもいいましょうかね」

 河勝はふと止利を見つめた。全く話についていけず、一人首をひねっていることに気がついたのだろう。

「ふふ、止利くんには難しい話だったかな? 」

「す、すみません。私がお邪魔であればお暇いたしますので······」

「いやいや、ここにいていいんだよ。むしろ君に聞いてもらわなくちゃ困る話だ」

 ますます訳が分からなくなった。何故大した身分でもない自分がそのような話を聞かされるのだろう。知ったところで何か変わるのだろうか。

 止利は内心怖かった。突然そんなことを言い出した河勝が怖いわけでは無い。複雑な権力争いが怖いわけでもない。ただ、見えない未来が怖かった。

 止利はこれからも同じ日々を過ごすつもりでいる。ただ馬具を作って献上する。そう信じている。しかしその未来像が徐々に薄れてきたのだ。ハッキリとは分からないが、今までの日々がガラリと変わる気がする。そんな言葉に出来ない不安が、もやのかかった行先が、ただひたすらに怖かった。

「でも、その前に厄介払いをしなくちゃね」

 俯いていた止利が顔を上げれば、視線の先の河勝は屋敷の天井の一角を見上げていた。不思議に思ってそちらに目を向けてみるが何もいない。何の気配もない。

「いい加減降りてきたらどうなのさ。今回の尾行はどうせ君の独断なんでしょ。ね、こま

 河勝が暗がりに言葉をかければ何かがするりと降りてきた。音もない軽やかな動きに止利や竹田は目を丸くする。

「やはり河勝殿には気づかれておりましたか」

 そう言ったのは天井裏から出てきた男だ。スラリとした体型をしているが袖の下に見える腕には明らかに鍛えられた筋肉が付いている。左耳だけに垂れた耳飾りが薄明かりの中紅い光を放っていた。

「彼は東漢駒やまとのあやのこま。大臣の右腕兼警護役さ。大方大臣の容態を他言しないかどうか僕のこと見張りに来たんでしょ」

「大臣の?」

 駒と呼ばれた男が視線を動かした。その瞳は静かで、それでいて鷹のように鋭かった。










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