第三章「刀自古郎女」
大臣
「何だ、
河勝とともに厩戸を待っていると、背後から低い声がした。そこに居たのは一人の男だった。背丈は低いものの、立派な装束を身につけている。年は三十ほどに見えるが、瞳には若々しい光が宿っていた。
「おお、これはこれは
止利は驚いて河勝に倣った。
大臣。
確かにそう言った。何度か耳にした言葉は、もちろん記憶にしっかりと残っている。今 目の前にいるこの男が
正直、この時の止利は
しかしそんな止利の心を知るわけもなく、厩戸が「ああ、止利さんもいらしてたんですか」とにこやかに笑う。厩戸の前にいた馬子は「ほう」と片眉を上げて止利に目を移した。
「
突然声をかけられた止利は、口から心臓が飛び出るかと思った。何故
「そうか。そんなに緊張せずとも良いよ。
馬子の言葉に、厩戸はどこか幼い瞳で微笑んだ。
厩戸といい
「止利さんもここにいていいですよ」
驚いて顔を上げた。厩戸が到底十歳とは思えぬ大人びた表情でこちらを見ている。まるで心の内を読まれたかのような声がけに、思わず視線を逸らす。相変わらずよく分からない皇子だ。たまに人だと思えなくなる。
しかし止利の疑問を知ってか知らずか、厩戸は「ね、いいでしょう? 大臣」と親しげに馬子に問いかけた。珍しく幼げな声だと思った。
「私は構わんよ」
馬子はそう言って止利を見つめる。萎縮したのが分かったのか、隣にいた河勝が小さく肩を揺らして笑った。
「ははは、止利くんはやっぱり可愛いね」
止利は膨れたような顔で河勝を見つめる。しかし、こんな空気の中でもあっけらかんと笑う河勝に、助けを求めたい気持ちもあったのだろう。目にはどこか縋るような色が含まれていた。
河勝もそれに気づいたらしく、カチコチになった止利の肩を抱き寄せると厩戸に目配せをする。厩戸は馬子を促して自分の隣に座らせた。二人が定位置に座った後、河勝は「大臣」と馬子を呼んだ。
「止利殿の腕は私も保証致しましょう。
「えっ」
声を上げたのは、いまだ河勝の腕の中にいた止利だ。驚いたように河勝を見ると、耳に小声で言葉をかける。
「ちょっと河勝さん! 私はまだ仏師になる心の準備が······」
「大丈夫 大丈夫。まだ誰も君の彫刻の腕については触れてないよ。まずは仏教を知ってみなきゃ仕事の選択は出来ない。せっかくなんだし、皇子さまと大臣に教えて貰いなさい。それで仏教に触れてみて、自分に合うのかどうか、仏師になるのかどうかを決めるといい。彫刻をしていることは、選択に合わせて自分で伝えなさい」
小声でヒソヒソと話し始めた二人に、厩戸と馬子が顔を見合わせる。先程の河勝の言葉を不思議に思ったのか、厩戸が傍にいた調子麻呂を呼んだ。そしてチラリと止利を一瞥しながら「止利さんはいつ仏教に触れたのですか?」と問う。しかし、調子麻呂はただ曖昧な笑みを浮かべて「さぁ」と首を捻るばかりであった。
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