転機


 それからまた季節は変わった。青々と茂っていた夏草も色をくすませ、心地よい秋の風が吹き始めている。誘うように揺れるススキを横目に蜻が稲の合間を泳いでいった。

 そんな飛鳥の地で、止利はいつも通り甘樫丘あまかしのおかで馬具を作り、厩戸皇子に届ける生活を送っていた。それもとうに慣れたもので、止利と厩戸はすっかり親しい仲になった。身分を越えて仲良くなれたのも厩戸が家柄に寛容であったからだろう。


 止利はその日も厩戸の元を訪ねた。暑さが和らいできた大地を駆け抜け、静かで落ち着きのある屋敷へと向かう。すると門に辿り着いたところで見覚えのある背中を見つけた。普通の男性よりも些か高い背丈。腰の辺りまで伸びた淡色の髪。そしてそれを緩く束ねる髪飾り。直ぐに彼の名を思い出した。

河勝かわかつさん?」

「おお、止利くんじゃない。久しぶりだね」

 凄まじい記憶力である。彼とは夏の初めに一度会ったきり。その上身分も違う。それなのに止利の顔と名前を覚えていてくれたとは。

「お仕事?」

「はい、そうです! 鞍を頼まれたので」

「そっかそっか。良ければ僕も見てみたいな」

 相変わらず胡散臭い笑みだが、眼光は以前よりも和らいでいた。

「いいですよ」

「ほんと? 嬉しいな。馬好きの調子麻呂くんが気に入るってことは確かな腕だろうからね」

「あまり期待しないでくださいよ」

 止利をわしゃわしゃと撫でながら、河勝は「謙遜なんてしなくていいのに」と朗らかである。

「あっ、やはり河勝さんと止利さんでしたか」

 調子麻呂だった。外に顔を出しながら、「お二人の声がしたので」と頭を下げる。

「すみません。実は皇子さまが現在出かけておりまして。もうすぐお戻りになると思うので、屋敷の中でお待ちください」

 促されるまま、鞍が入った麻袋を抱え直して屋敷へ入ろうとする。しかしその時だった。

 抱えていた麻袋から何かが転げ落ちた。どうやら穴が空いてしまったらしい。幸い鞍は無事だったが小さな物がころりと転がった。それは土にまみれると河勝の足元でコトリと止まる。

「すみません!」

 慌てて地面に手を伸ばしたが、先に拾い上げたのは河勝だった。手の中にある物をマジマジと観察すると、しばらくして真剣な顔を向けてくる。

「これ、君が作ったの?」

 河勝が手にしたのは鞍をかたどった彫刻だった。止利の作である。元々手先を動かすのが好きなので、馬具を作る際には必ず立体的なデザイン案を作っていた。いつもなら作業場に置いてくるのだが今日はたまたま麻袋に入れてしまったらしい。

 それを説明すると、河勝は手を顎に当てて深く考え込んだ。彫刻をあらゆる方向から眺める彼の瞳には、初めて出会った時のような鋭い光がたたえられていた。それは間違いなく商人としての目。鋭い刃物のような瞳孔に思わず肩を強ばらせる。

「ちょっと話したいことがあるんだけど、皇子さまが帰ってくるまで、お話させてもらってもいいかな?」

 止利に向き直った河勝は落ち着いた様子で目を細めた。一体何を言われるのだろう。緊張に顔が引き攣るが断れるはずもない。肌が浮き立つような不安を感じながらも、止利は固い首をコクコクと縦に振った。









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