豪商


「僕は秦河勝はたのかわかつ山背国やましろのくにを拠点に商売をしてるんだ」

 河勝はそう言って両手を広げた。

「この飛鳥は商人にとって重要な地。なんてったってここには大臣おおおみがいるからね。彼は異国との交流を盛んに行ってる。だから彼の傍にいれば僕らも儲かるってわけだ」

 意気揚々と言う河勝の目を見て納得してしまう。彼の瞳が鋭かったのは商売をしているからか。初めて見た止利のことを本当に品定めしようとしていたのだろう。

 初めは怖いと思ったものの、そうと分かってしまえば受け入れてしまう自分がいた。それほど分かりやすかったのだ。典型的とでも言うのだろうか。「僕は商人だ」と主張しているようなサバサバとした雰囲気があった。

「河勝とは大臣を通して知り合いましてね。経済的な援助はお任せしているのです」

 厩戸が静かに目を伏せる。

「元々、彼の親類が交易に強かったらしいのですが、今は河勝が次の担い手といった様子で。倭国やまとの諸国はもちろん、大陸の国々とも商売をしています。まぁ少々癖はありますが悪い人ではありませんよ」

「ははは、癖があるだなんてそんな。風変わりな方が売れ行きが伸びるんですよ。結局は人の心をつかむのが仕事なもので」

 

 この言葉がやけに止利の心に響いた。今まで商人をそのような目で見たことはない。商人は物を売るものだとばかり思っていた。しかし河勝はそうではないのだと言う。

「確かに貴方は良くも悪くも人の心をつかむのが上手いですからね。あまり止利さんに嘘を吹き込まないで下さいよ? 貴方は純粋な人を見る度にからかおうとするんですから」

 止利はぱちりと瞬いた。今、厩戸が自分の名を呼んだ。三月みつき彼に関わってきたが、名を呼ばれたのは初めてだった。この屋敷で見かけた人の中では止利が一番歳が近い。しかしその割に厩戸との距離は遠かった。信頼関係はあるものの、やはりそれは主従関係に等しい。身分差のこともあるのだろうが、そこまで気さくな関係とは言えなかった。

「大丈夫ですよ。僕だってそこまで悪い性格ではありません。行き過ぎたからかいはしませんよ」

 河勝の声で現実に引き戻される。横で楽しげに笑う彼は相変わらずどこか胡散臭さかった。しかし悪い人ではないらしい。止利の勘はそう言っていた。

「じゃあそろそろお暇しましょうかね」

「何だ、もう帰るんですか」

「今回は皇子さまのお顔を拝みに来ただけなのですよ。また何か連絡があればお邪魔します」

「相変わらず自由ですね。もう少しゆっくりしていけばいいのに」

「ははは、本当はそうするつもりでしたとも。ただ訳あって着物をひとつダメにしましてね。替えの服もありませんしそろそろ山背に帰らなければならんのですよ」

 そう言って河勝は立ち上がった。部屋の隅に控えていた調子麻呂も合わせて屋敷の廊下へと出る。

「止利さんはどうします?」

 ふと正面から厩戸の声がした。止利は少々考え込むと「僕も仕事があるので······」と頭を下げる。


 厩戸に見送られて屋敷を出れば、ちょうど河勝と調子麻呂が屋敷の門へと辿り着いたところだった。声をかけようとしたのだが、調子麻呂がコソッと耳打ちをしたので足を止める。

「また盗賊にでも襲われました?」

 それは本当に小さな声だった。しかし意識を向けていた止利には聞き取れた。河勝はニヤッと眉を上げてみせる。

「なんで分かったの?」

「貴方の持ち物から微かに血の匂いがしましたので······」

「相変わらず鼻がいいねぇ君は。服に返り血がついちゃったんだよね。あーあ、勿体ない」

 ヒラリと馬にまたがった河勝が止利に視線を寄越した。彼はニコリと微笑むとヒラヒラと手を振って屋敷を出て行ってしまう。

 河勝を見送った調子麻呂は、振り返って初めて止利に気がついたらしい。「止利さんも帰るんですか?」と言って見送ってくれたが、その笑顔も上手く目に入らなかった。

 ああ、やはり河勝は恐ろしい。先程の会話を思い出して止利は身震いする。この世にはまだまだ知らない世界があるようだ。ふわりとした血なまぐさに、止利は深く息を吐いた。








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