第一・五章

国境


 山背やましろ。現在の京都府南部を当時の人々はそう呼んだ。山で隔たれているものの、飛鳥があるヤマト(現奈良県)とも近く、豪族や豪商の拠点も多かった。


 そんな豪商の中の一人。淡い髪を風に靡かせ、薄い笑みをたたえた男が飛鳥を目指していた。

 数名の従者を引き連れていたものの言葉を発することはなかった。二つの国を分かつ山の上。ただ静かにヤマトを見下ろし、糸のように細い目を曲げている。

 車輪の音だけがカラカラと辺りに響いては乾いた土埃が霧のように舞い上がる。噎せるような空気の中、荷車には様々な品が載っていた。

 当時はまだ貨幣がない。つまり商売は物々交換である。欲しい品を勝ち取るには大金の代わりに高価で珍しい品々が必要だった。それらは特に渡来品。大陸から海を越えてやって来た品々は多くの権力者がこぞって欲しがった。それをより多く集めることが当時の商売人の命であり、一種のステータスとなっていたのだ。


 今飛鳥を目指しているこの男も渡来品を山ほど持っているらしい。美しい布や薬は、新羅しらぎ、はたまた高句麗こうくりのものだろうか? 荷車に積まれた品々は、全て大陸の色が強かった。だからだろうか。

「っ!」

 前触れもなく木々の間から数人の男が飛び出してきた。衣一枚身につけただけのみすぼらしい服装に無造作に伸びた髪と髭。手に握られた大きな石を見る限り盗賊のようだった。

 従者たちは慌てて刀を抜くものの、奇襲に慣れた盗賊たちを前に為す術など無かった。どうにか荷車を守ろうと周囲を取り囲んだが守りに徹するだけで反撃は出来ない。

 豪商はそれを見て右手を顎に添えた。次いで愉快そうに笑うと、押し合い圧し合いの間を通って荷車へ近づく。彼は、従者の右手に握られていた刀を素早く奪い取った。周りが驚くのもつかの間、怯む様子もなく盗賊たちの身体めがけて振り下ろす。

 その素早さはまるで天を羽ばたく鷹のようであった。降りかかる返り血には目もくれず、ただ舞を舞うかのように右手の刀を踊らせる。

 一瞬の出来事だった。一度は盗賊たちの怒号が飛び交ったものの、すぐに辺りは静寂に包まれた。聞こえるのは微かな呻き声と風の音だけ。目を丸くした従者たちも言葉を失い、ただただ目の前の主人を見つめている。

 視線の先にいた男は血の海に横たわる盗賊達を静かに見下ろした。しかし、しばらくして自らの衣で刀の血を拭き取る。それをさやに納めながらのんびりと口を開いた。

「ごめんね、君たちにも生活があるんだろうけどさ。こっちにも商売があんのよ」

 獲物を得た獅子ししのような色を含んだ声だった。怯む従者をものともせず、彼は大和の地を見下ろした。

「さぁ、もう行こう。大臣おおおみ皇子みこさまが飛鳥で待ってる」









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