調子麻呂


「もちろん、六つの幼子に馬を与えるのは早すぎると皆が思いましたよ。しかし、とある豪族が進言したら大臣おおおみは複雑な顔をされたのです。そして言いました。と」

 同じ意見ならばなぜ馬を贈ろうとしたのだろう。言い出したのは馬子のはずなのだ。

「実は、皇子さま自身が馬を強請ねだってきたというのです」

「皇子さまが?」

 止利は目を丸くした。確かに六つほどの子供はすぐに大人の持ち物を欲しがろうとする。幼い厩戸うまやととて馬に憧れるのは当たり前なのかもしれない。

 しかし先程見た厩戸は本当に大人びすぎていた。彼の子供らしい一面を想像することは、今の止利にとってあまりにも難しい。

「だから、大臣は皇子さまに聞きました。どんな馬が欲しいんだ? 立派な馬か、と。しかし皇子さまは大きな馬はいらぬ、と首を振るのです。生まれたばかりの仔馬が良い、と」

「それまたなんで······」

「馬の成長が早いことを、皇子さまは知っておられたのです」

 調子麻呂は誇らしげに微笑んで再び黒駒を撫でた。心地よさそうに目を細める黒駒は、成熟し始めた身体を調子麻呂に寄せる。

「この黒駒は今四歳です。しかし、もうそこそこ成長しきっている。これを皇子さまは予想しておられた。だから、彼は大臣にこう言ったのです」

 ──私が大きくなる頃にちょうど成長しきる馬が良い。だから今年生まれたばかりの仔馬をおくれ。私が馬に乗れる年頃になったら、その若々しい馬で野を駆けるのだ。今年生まれたばかりの仔馬であれば、自分がとおになる頃には恐らく成熟し始めるのだろう?

 なんということだろう。止利はぽかんと口を開けた。きっと当時の人々も同じような顔をしていたに違いない。

「自分で育てたいから仔馬が良い」

「大きな馬は怖いから嫌だ」

 これらの理由ならまだ子供らしさがある。しかし厩戸は違った。

 

 彼はそう言ったのだ。その言葉は到底六つの子供のものとは思えない。彼はいつ馬の育ちの早さを知ったのだろう。どうやって成長の度合いを計算したのだろう。

 止利はそんな厩戸に感銘を受けた。しかしそれと同時に不気味さを感じた。才能がありすぎると、魅力的でもあり恐ろしくもあるのか。初めてその事に気がついた。

「凄いでしょう? 皇子さまは。大臣は本当に生まれたばかりの仔馬を皇子さまに贈りました。それがこの黒駒です。私が皇子さまに仕え始めたのもそれがきっかけですね」

 調子麻呂はそう微笑むと黒駒の手綱たづなを掴む。いつもなら帰宅後の黒駒は鞍や手綱を外して厩に入れているはずだ。しかし、今日は難波なにわや止利の接待があったため黒駒の世話をする暇がなかったのだろう。この時の黒駒はまだ馬具を身につけたままであった。

「先程見せていただきましたが、凄く良い鞍と手綱でしたよ。私が四年間見てきた中で一番この子に合いそうだと思いました。早速明日から付けてみましょう」

 止利は照れくさくなって頭をかいた。褒められるというのはこれほど嬉しくて恥ずかしいものなのか。心の奥がくすぐられた心地がして訳もなく服の裾を握った。

「これからもよろしくお願いしますね。あれでいて、皇子さまは思いの外可愛らしいお方なのですよ。年相応の表情もなされます。そのあたりはこれから知っていけば良いのです。どうか新しい環境だといってもあまり心配なさらずに。もしかしたら用もなくこちらにお呼びすることがあるかもしれませんが、その時はぜひ遊びに来てください。我々一同お待ちしております」

 そんな調子麻呂に見送られて止利は厩戸の屋敷を後にした。屋敷を出る前にもう一度二人の皇子に挨拶をしたが、二人とも優しい笑顔で手を振ってくれた。

 思ってたよりもだいぶ手厚く歓迎されてしまった。どこかおそれ多いものの、やはり嬉しさの方が大きい。

 止利は肩の荷がおりた気持ちで暮れ始めた空を見上げる。柔らかな雲が彩る春の夕焼けは優しい花のように美しかった。落ちる日を追いかけるように足を進める止利を、昇り始めた朧月が静かに見送っていた。







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