──第一部・丁未の乱──

第一章「調子麻呂」

鞍作部


「よし、出来た」

 金属独特のひやりとした光沢と、馬の背に合わせやすいまろやかな曲線。うららかな光を照り返す鞍を指でなぞると、止利とりは満足気に立ち上がった。先程作り終えたばかりの自信作を高空にかかげ、四方から舐め回すように眺めてみる。

 造形一つ一つが己の技術の結晶であり、我ながら申し分ない出来になったと思う。何せ初めて皇族へ献上する品だ。一人前になった証同然の代物ゆえに思い入れも深かった。先に完成させていた手綱と合わせると、傷つけぬよう麻袋に入れて、「行ってきます!」と声を上げた。

 止利の属する鞍作部は、品部しなべと呼ばれる職業集団の一種であった。特に、馬具を専門的に作る人々を指している。彼らは甘樫丘あまかしのおかと呼ばれる小高い丘の麓を作業場とし、日々馬具を拵えては皇族や豪族に献上していた。鞍部という止利の一族は、その統括を担っている。しかし、まだ若く、父とも疎遠な止利には詳しい出自など分からなかった。それでも、品部の仲間と共に手先を動かすのは楽しく、この職に満足していた。


 亜麻色の髪を揺らしながら、止利は若草萌える丘の麓を駆けてゆく。春風に吹かれた木漏れ日が柔らかな緑の大地に斑を生んでいた。ふわりさらりと地面を踏めば柔らかな土と草の香りが立ち上る。優しい香りが落ち着くためか、止利は春が好きだった。

「どこか行くの?」

 斜め後方に一人の男が立っていた。従兄弟の福利ふくりである。

 鞍を届けに行くのだと、明るい声で答えた。そのあどけなさが止利を止利たらしめるところである。顔にたたえる満面の笑みは春の日差しによく似ていた。

「そういや顧客が決まったんだったね」

 福利は「気をつけて」とだけ言って自分の仕事に戻ってしまった。彼は口数こそ少ないが、腕は確かで数年も前から手製の馬具を豪族に献上している。やっと注文を受け持つようになった止利とは大違いだった。

 止利は再び「行ってきます」と応えて草の上を駆け出した。丘を離れ、川を越え、さらに北へと進んでゆく。目指すは馬具の依頼主・厩戸皇子うまやとのみこが住む屋敷。初めて受け持った大きな仕事に、止利の心ははち切れんばかりに膨らんでいた。














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