37.流行り廃りと栄枯盛衰。

 人間何事もやりすぎないことが肝心だなとつくづく思う。


 久我くがに手を引かれながら歩いた道は徒歩(しかも早歩きで)約十分の距離があり、それを戻るだけでも大変なのに、そこから更に駅までは数分歩かねばならない。先ほどとは違って二人の手にはほぼ荷物らしい荷物はないものの、やっぱり思ってしまうのだ。


「なんであんなところまで行ったの……」


 久我は「いやー……」と困りつつ、


「最初はね、とにかく家から離れたいなって思ってたの」


「うん、それは感じた。でもあそこまで行かなくても良かったんじゃない?」


「言わないで。私も今はそんな気がしてるから。でもね、あの時はそうじゃなかったの。とにかく遠くに行きたいって気持ちが勝っちゃってて。んで、あの公園がとっさに思いついたから、あそこ行こうって思って」


「そのまま突き進んだ、と」


「……うん」


 心なしか俯く。綾瀬あやせは公園の風景を思い起こしながら、


「まあでも、良い公園だったよね。あそこ。流石に遊具で遊んだりとか、そういう気持ちにはならないけど」


「そう?私今でもたまにブランコとか乗りたくなるよ?」


「え、そうなの?」


「うん。なんか深夜の公園とか通りかかるでしょ?んで、だれも乗ってないブランコで思いっきり、うりゃ、って」


「うりゃ、って」


「そう。気持ちいいよ」


「それは……」


 脳内でシミュレーションする。なるほど。楽しくはありそうだ。でも、


「ブランコはいいかな」


「なんで?嫌いなの?」


「うーん……嫌いってわけじゃないんだけど、なんか、心躍らないっていうか」


「何、こけたりしたの?ちっちゃいころ」


「それくらいはあるけど……でも、その理論なら自転車も嫌いにならない?」


「まあ、それは……え、自転車好きなの?」


「好きっていうか、まあそれなり?」


「じゃあさ。今度一緒にサイクリングとか行かない?遠くに」


「遠くには嫌かなぁ……」


「えー何でよ」


「だって、帰ってくるのが大変だし」


「帰りは電車でいいじゃん。折り畳みで」


「それなら電車で行きたいよ。端から」


「自転車好きなんじゃないの?」


「いや、嫌いじゃないってだけ」


 不思議なものだな、と綾瀬は思う。


 高校時代。たしか久我とはこんな他愛もない会話を交わしていたような気がするのだが、同窓会で再開してから暫くは距離感があった。


 久我の方がどう感じていたかは分からないが、少なくとも綾瀬は接し方が手探りだった、と思う。それなりに連絡はとっていたものの、高校生と社会人(綾瀬はまだ大学生だが)では、やっぱり考え方も、話のネタも感覚も何もかもが違うものだ。そのいわば「目線の違い」みたいなものが出来る原因の半分は、誰かに知らず知らずのうちに履かされた、「常識」という名前の厚底靴が原因ではあるのだが、もう半分は自らが成長したことによるものだ。


 小学生のころには見上げるような高さだった大人たちも、気が付けば見下ろしてたりするし、かくれんぼの為に使っていた押し入れはとてもじゃないが入っていられる広さじゃなかったりする。


 それもまた一つの成長であり、変化な訳なのだが、これが頭の中身となるとそうは行かなかったりするから難しい。いつまでも押し入れに入ってかくれんぼをし、使われていない屋根裏部屋を秘密基地としているつもりでいたら、いつのまにかみんな飲み会にシフトしているなんてのは、まあ、なんていうか、良くある話だ。


 つまるところ綾瀬は、久我もそんな変化をしているのではないかと思っていたし、そんな現実を知りたくないが故に上辺だけで接していたところもあったのだが、


「ビールがうまいなんて誰が言い始めたんだろうね。味覚おかしいと思うよ」


「あ、真由美も嫌いなんだ」


「そりゃそうだよ。何がいいの、あれ」


「さあ?ちなみに何が好き?」


「んー……コーラ?」


 終始こんな反応を見せるものだから、綾瀬もすっかり安心し、殆ど素で接するようになっていた。別に味の好みが何かを分けるわけではないのだが、取り敢えず安心はするものだ。そういえば彼女は昔からコーラが好きだったような気がする。


 そんな会話と共に駅へと歩き、電車に乗り、十分弱の旅路の後にたどり着いたのが、


「いやー着いたね!」


 腰に手を当てて仁王立ちする久我。通行の邪魔になりそうなのでやめたほうが良いと思う。


「ここかぁ、聖地」


「聖地なの?」


「いや、違うけど。でも、なんかこう、そういう雰囲気?」


 よくわからなかった。


 改めて周囲を見渡す。そこには目新しさの欠片も無い、見慣れた光景が広がっている。それもそのはずである。ここは綾瀬がかつて住んでいたアパートや、現在住んでいる洋館の最寄り駅なのだ。名前を女神めがみが丘。


 駅前にはバスターミナルもあるし、タクシー乗り場だってある。少し歩けばお菓子の店にあたるようなこの町は一応繁華街でもあり、カラオケ屋や飲み屋、それらを経て最終的に流れ着くであろうラーメン屋などが並んでいる。


 どことなく高級な雰囲気の漂うこの町だが、綾瀬の住んでいたアパートはそこからは想像もつかないようなボロさ加減だった。だからなんだって話。


 そんな綾瀬からしたら地元も地元なこの町だが、久我はわざわざ訪れたいというのだ。その理由が、


「私さ。あれ飲んでみたいんだよね。タピオカミルクティー」


 これだった。近年、何度目かすら分からないブームが到来して久しいタピオカミルクティーそれだが。彼女曰く、スイーツの店が立ち並ぶこの辺りには有名なチェーン店が三つほど出店していて、一気に回りやすいらしい。


 綾瀬は道すがら、


「でも、あれ美味しいの?」


「さあ?」


 まさかそんな返しをされるとは思ってもみなかった。


「飲んだこと無いの?」


「いや、無い訳じゃないのよ。だけど、なんか同僚に聞くとね。あれってコンビニとかで売ってるのは全然別物で、やっぱり専門店のものを飲んでみるのが一番いいらしくって」


「そうなの?」


「らしいよ。いや、私も最初はさ、取り敢えず物は試しにってコンビニで買ってみたんだけど」


「どうだった?」


「まあ、微妙」


 綾瀬は苦笑して、


「微妙なんだ」


「微妙だねー……なんていうか、どっちも中途半端な感じで」


「で、本物にチャレンジしてみようってこと?」


「そういうわけ」


 綾瀬は純粋な疑問をぶつける。


「でもさ。あの手の店って今一杯あるじゃん。有名なチェーンでも結構新しい店舗を出したりしてて。別にここじゃなくてもいいんじゃないの?」


「んー……そうなんだけどね」


 久我は大きなため息と共に、


「ほら、あの手の店って二十四時間営業とかじゃないでしょ?だから、帰りに寄ろうと思っても閉まってる事も多くって、ね。まあ、それじゃなくても仕事帰りに並びたいとは思わないけど」


「ああ……」


 納得する。


 そう言えばブームになった当初は大体どこの店に行っても行列が出来ていたと思う。それは勿論ここ女神が丘でも例外では無かったし、その横を通りかかるたびに良く並ぶなと感心したものだが、まさかそこに自分が行くことになるとは思わなかった。


 駅を降りて少し歩き、踏切を渡った時だった。


「あ、これこれ」


 久我が一つの店舗を指さす。その先にはアルファベットと漢字で店舗名が書いてある。なんて書いてあるのかは分からないが、まあお目当ての店舗なのだろう。幸いにして店の外にずらりと列が出来ているということはなかった。これならばすぐに買えることだろう。


「んじゃ、頑張って」


 だから外で待って、


「え?一緒に行こうよ」


「何で。言っとくけど俺は買わないぞ」


「や、そうかもしれないけど……」


 久我がなんともバツが悪そうに、


「いや、ね。さっきもいったかもしれないけど、さ。この辺三つくらいお店があるの」


「うん。それはさっき聞いた」


「でね。それを今日全部回りたいんだけど、ほら。あれって結構カロリーあるじゃない?」


 なるほど。確かにそれはもっともだ。一説によるとラーメン一杯分よりもカロリーがあるって噂もある。それを三つとなるとかなりのものだろう。


「だからさ。観月とこう、半分こ出来たらなーって」


「え、俺?」


 久我は両手を合わせて、


「お願い。お代は全部私が出すし、ある程度は希望も聞くから。ね?」


 正直、代金に関してはそこまで気にならなかった。


 衣食住に関して心配する必要が無くなり、懐に若干の余裕が出来たということもある。ただ、それ以上に、久我に払わせて、自分は飲むだけというのが何となく嫌だった。


 という訳で、


「や、代金は出すよ。っていうか俺が出そうか?」


「え、なんで。私が出すって」


「いや、こういう時ってほら、男が出すとかいうじゃん」


 久我は何かが引っかかったのか、


「そういうの良くないよ観月。今は平等の時代なんだから」


「んじゃ、なおさらどっちかに出させるのは良くないんじゃない?」


「う``っ」


 久我は暫く固まったのち、一つ息を吐いて、


「分かった。それじゃ割り勘」


 小声で、


「奢ってあげるっていってるんだから素直に奢られればいいのに……」


 そう呟いた。

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