33.血の繋がる相手をあの人と呼ぶ、その心は。

 わざとらしく会話を打ち切り、逃げるように商品を物色する久我くが


 その姿はあまり彼女らしくないものだった。


 ため息。


「待てって」


 きっとこれ以上深追いしても、はぐらかされるに違いない。


 それなら聞きだすのはやめておこう。そう心に決めた矢先だった。


「家ね、正月になると結構人が来るんだよね」


「え?」


 久我は苦笑交じりに、


「私もよく知らないんだけどさ。あの人って結構、会社とかそういう付き合いを家に持ってくる人でね。もちろん、あの人自身もどこかでお世話になってるんだと思うんだよ?だけど、私たち……私からしたら、そんなのは全く関係ないじゃない?だからまあ、良く分からないんだけど、そういう準備が必要だって言ってて。正月は特にそういう出入りが激しくって、だからきちんとその準備もしてなくちゃいけない……んだって」


 一気に語り上げ、


「あ、これ良い感じじゃない?どう?綾瀬あやせくん」


 棚の数の子を一つ取り上げて見せる。


 その「どう?」は一体どこにかかっているのだろうか。


 彼女の意図をそのまま組むのであれば、その手にある、綾瀬に見せつけられた数の子のことなのは間違いないし、その良し悪しなどさっぱり分からない綾瀬の回答は「よく分からないけど、まあいいんじゃない」という当たり障りも無く逃げる言葉が当てはまるのだろう。


 きっとそれが良いはずだ。


 少なくとも少し前の綾瀬ならそうしていただろう。


 だけど、


「そういうのって……負担、にはならないのか?」


 あえて「聞いてほしくなさそうな方」への返事を返す。久我はそんな反応に一瞬驚くも、すぐに笑顔を貼り付けて、


「うーん……ならないって言ったら嘘になるけど、もう慣れた、かな」


「そう……か」


 踏み込むべきだろうか。


 これよりも先に。


 そんなことをする知恵と勇気は持ち合わせているのだろうか。


 沈黙。


「ま、そんな訳だからこうやって綾瀬くんに手伝いをお願いしたわけだけどね」


 あははと笑い飛ばす。


 深みへの扉は、閉ざされてしまったような気がした。


 だから綾瀬も、


「なんだよ。俺は荷物持ちかなんかか?」


 笑顔で返す。


「それもあるけど、ほら。こういう買い物って一人だとなんか寂しくない?」


「そういうもんかな」


「そうだよ。取り敢えずこれで数の子は良いとしてっと」


 その手に持っていた軽い方の疑問は、答えを導き出されないまま買い物かごの中へと消えていく。久我は慣れた手つきでスマートフォンを操作し、数の子という表記にチェックを入れた後、次なる目標を定めようとして独りごちる。まず先にこっちかな。いや、こっち探すかな。そんな目はいたって真剣だった。



               ◇



「しかしまあ、とんでもない量だな……」


 全ての買い物を終え、それらをスーパーの袋と、久我が持ってきていた折り畳みの手提げ袋の中に詰め込み終わった後、最初に出てきた感想はこれだった。久我の家は三人家族だったような気がするのだが、凡そその人数の買い出しでありえない。何故パンパンの袋が四つもあるのだろうか。


 久我は見慣れた光景とばかりに微笑み、


「まあねぇ。取り敢えず、二つは私が持つから、残りお願いできるかな?」


「それはいいけど……」


 綾瀬は改めて整理台を占領する袋たちを眺める。


 これらを歩いて持って帰る。


 正直考えたくもなかった。


 額面が額面なので家に届けるサービスがあったりはしないのか確かめてもみたのだが、あいにくここはそういうサービスは行っていないらしい。その為、この大荷物を手で持って運ばなければならないのだ。しかも、久我の家はここから暫く歩いた先にある。


「よっ……と」


 袋を持ち上げようとする久我。未だに鍛えているのか、割と難なく持ち上が、


「とと……」


 一瞬よろける。やはりこの量を持っていくのは無理があるだろう。


 と、いう訳で、


「久我、それちょっと置いてくれ」


「え?なんで?こっちの方が良かった?」


 そう言って手提げ袋を掲げる。その手は若干震えている。


「いいから。ここじゃなくてもいいけど、取り敢えずどこかに置いてくれ」


 久我は「なんだか納得がいかない」といった具合に、


「何?置けばいいの?」


 整理台に戻す。どさりと重量感のする音がする。


「オッケー。んじゃ、俺ちょっとタクシー呼んでくるわ」


「タクシーって」


 久我は冗談でしょとでも言いたげに、


「そんな、要らないって。歩ける距離だよ?」


「それはあくまで荷物が普通の量だった場合だろ?これが大人二人で持って十分弱歩く荷物に見えるか?」


 久我はちらりと大袋たちに視線をやった後、


「や、でも、それはないでしょ流石に。だって……ええ?この距離だよ?それをタクシーでなんて」


 綾瀬は白状する。


「……まぁ、俺もホントは無いなと思うんだけどさ」


「ほら!」


「なんだけどさ。クリスさんから預かってきちゃってるから」


「預かって……って何を?」


「お金。ホントはあの人、荷物を運ぶのを含めて車を出してくれるつもりだったんだって。だけど、水神がほら、病院行くってことで付きっ切りになるだろ?その代わりにタクシーでも何でも呼んでくれって言われて、結構な金額を渡されちゃったんだわ。これが」


 そう。


 今日は水神の、年内最後となる診察の日なのだそうだ。


 元々何の予定も入っていなかったこともあって、予約を入れた当時は何も考えずに指定したとのことだったのだが、結果としてそれが久我の買い出しにもろ被りしてしまったのだ。


 綾瀬からしてみれば、そんなことにまでクリスが気を配る必要は無いと思うのだが、「綾瀬さまのご友人ともなれば、それは私の仕事範囲となります」との一点張りで、代わりの送迎も用意が出来ていないことを平謝りしつつ、とんでもない金額を封筒に入れて渡してきた、という経緯があったのだ。


 最初はそのまま突き返そうと思ったし、実際に断りも入れたのだが、彼女にしては珍しく冗談もなにも入れずに受け取ってほしいと願い出てきたので、使わなかった分は全額返済するという約束を一方的に取り付けた上で預かっていたものので、正直な所使わずに済むと思っていたのだが、事情が事情だ。贅沢だろうと何だろうと使えるものは使うべきではないだろうか。どれだけ鍛えていても、強くても、やはり限界というものはある。


 そんな申し出を久我は、


「って言われてもなぁ……この距離でタクシーだなんて」


「今は初乗りも安いからいいんじゃない?そういう需要を掘り出したいみたいだし、願ったりかなったりかもよ?」


「でも」


 渋る久我。そんな一連の流れを見ていたのかどうかは分からないが、買い物かごを両手に抱えた主婦が「終わったならとっととどっかいけよ」というオーラを発しながら空いている台を探し求めるように去っていく。余りここでぐたぐだしているのも良くないだろう。


綾瀬は一方的に、


「とにかく!そういうことだからさ。俺、ちょっと呼んでくるよ!」


 決めつけて、一切の荷物も持たずに出口へと向かう。


「あ、ちょっと!」


 そんな綾瀬を後ろから呼び止める声はしたが、あえて聞えなかったことにして、小走りで店の外へと駆け出す。だから、そんな彼女の、


「……やっぱり、優しいね……」


 という一言は、とうとう綾瀬の耳に届くことは無かった。

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