32.下心は叶えられない。

 そもそもどうしてこんなことになっているのかといえば話を数日前まで巻き戻さなければならない。


 クリスマスイブの夜。当初参加者は綾瀬たち三人のはずだったクリスマスパーティーは、結果として飛び入りのような恰好で参加した獅子堂と久我を加えた五人で執り行われた。


 そのパーティーの模様は……今は割愛しておこう。


 例えば久我が酒を煽るように飲んだ挙句、綾瀬もちょっとみたことのない悪質な絡み方をしたことや、獅子堂がそんな騒ぎを尻目に持ち込んだシャンパンをちびちびと飲みながら、クリス相手に愚痴をこぼしていたということや、綾瀬がまたしても周りに乗せられた結果一気飲みを敢行し、最終的には前日の二の舞になってしまったことなどは、各々の胸にしまっておいたほうが恐らくは良いだろう。きっとその方が傷つかずにすむはずだ。


 ともあれ、そんなパーティの末、獅子堂や久我とは一旦の別れを告げるはずだったのだ。


 ところが獅子堂はその日の深夜に、


「綾瀬ぇ。俺、暫くここ住むわ」


 と半ば事後報告的に伝え、空いていた二階の一室に転がりこんだ。また、久我は、


「私、暫くここ通おうかな」


 とだけ呟いていたのだが、その翌日、夜になるとしっかりと訪れ、終電間際にさっていくという芸当をこなしていた。挙句、クリスどころか獅子堂にまでも「ここに住めばいいのに」とコメントされ、


「うーん……考えておきます」


 と回答を保留していた。


 そんな経緯もあったため、てっきり綾瀬は久我が朝食もここでとっていくことにしたものだとばかり思っていたのだが、ここまでの反応を見る限り、どうやら違うらしい。まあ、今はそれ以前の問題なのだけど。


 久我は少し落ち着いたのか、ややトーンを下げて、


「言っておくけど、そこの男が言ってることは事実無根だからね?」


 さて。


 事実無根とは一体どこからどこまでを指すのだろうか。


 獅子堂はこう見えて意外と鋭いところがある。創作に対する審美眼もそうなのだが、綾瀬もはっとするような事実にあっさり気が付いていたりすることも少なくない。


 久我は全くの無罪を主張するが、それが一体どこまで真実かは分からない。彼女自身は全くそう思っていなかったとしても、無意識的にという可能性がある。獅子堂はそれを指摘しているだけなのかもしれないと、思わなくもないのだ。


 ただ、そんなことをそのまま言えば逆鱗に触れるのは間違いない。


 それに、綾瀬からしても「まさか」という思いの方が強い。


 だから、


「分かってますって……でも、休みを取ったってのはどういう」


「ぐ」


 痛い所を突かれたという顔になり、


「いや、だって、しょうがないじゃない。今日何日だと思ってるのよ?」


 綾瀬は食堂にいつの間にか備え付けられた立派なカレンダーを眺め、


「十二月二十九日だね」


「でしょ?もう世間はお休みなの。そんな日に仕事なんてありえないと思わない?」


「まあ……」


 正直、答えに窮した。


 そもそも綾瀬は「仕事」というものに無縁だ。アルバイトのようなことはしたことも有るのだが、余り続いたためしはない。そもそも性に合わないのかもしれない。


 獅子堂がティーカップをゆらゆらさせながら、


「あたまかたーい」


 ヤジのような独り言を飛ばすが、久我はそれを完全に無視し、


「ごほん!そういう訳だから、今日は休みをとったってわけなんだけど……綾瀬くん」


「俺?」


「そ。君に一つお願いあるんだけど、いいかな?」


 ふと獅子堂の方に視線をやる。その顔は何とも楽しそうだった。多分だけど、そんなとんでもないことには付き合わされないのではないか。


「えっと……とんでもないことでなければ」


 久我はあははと笑い、


「そんな凄いことじゃないよ。ただ、今日一日だけ、ちょっと付き合ってほしいってだけ。買い物とか、そういうのに」


 そんなあまりにもささやかな要求をした。



               ◇



 買い物とか、そういうの。


 綾瀬はそのフレーズを単なるカモフラージュだと思っていた。


 もちろん、実際には買い物もするだろう。ただ、彼女の中でのそれは添え物的な存在でしかないだろうと勝手に推理していたし、実際にはそれ以外の、あそこで言葉にするのには余りふさわしくないような目的が隠れているのではないかという考えをもっていたのは事実である。


 つまるところ綾瀬が、久我とのデートを期待していなかったといえば嘘になるし、そこには童貞的な淡い期待がうごめいていなかったというのは難しいだろう。だれが童貞だ、だれが。


 ところが実際付いて行ってみれば、そんな様々な思いは全て粉々に砕かれることとなった。


 だってそうだろう。着いた先が、


「スーパーねぇ」


 スーパーだった。洋館から電車で数駅移動し、駅から徒歩数分のそこは、年末年始を迎えるための食材が所せましと並べられ、それらを買い求めに来た客が、これまた所せましと会計を待つ列に並んでいる。入り口から見える限り全てのレジをフル稼働しているようだが、それでもなお列が途切れることはない。今はそういう時期なのだ。


「お待たせー……あれ?どしたの綾瀬くん?」


「いや、ちょっと人生の儚さを噛みしめてた」


 久我が何それと首を傾げ、


「ほら、行こ?買わなきゃいけないものが沢山あるんだから」


 そう言って綾瀬の手を引っ張る。


 要するに彼女のお願いはこうだった。


 年末年始の買い出しを頼まれたのだけど、とても一人で持てる量では無いので手伝ってほしい。


 なるほど、冷静になってみればいかにも彼女らしいお願いだ。そう、彼女はパーソナルスペースがやたら近い割には、彼氏彼女のような関係性になろうとしない。だからこの場合の綾瀬はあくまで「頼れる友人」なのだ。


 頼られるのは嬉しいが、そこに性別意識がないのはちょっと……いや、かなり複雑だ。それこそ小学校に上がる前から顔見知りで、一緒にお風呂まで入るような仲だった幼馴染ではないのだ。少しはそういう意識を持ってほしいというのは男心というものだ。


 もっとも綾瀬はそんな複雑な胸中など明かさずに、久我のお供をするわけだが。昔誰かに言われたことがある。綾瀬は踏み込みが足りないんだよな、とか。当時は余計なお世話だと思ったが、なるほどこういうことかと納得してしまう。いや、納得してる場合じゃないって。


「あ、そこの蒲鉾取って綾瀬くん」


「お、これか?」


「違う違う。その隣のやつ」


「こっちか?」


「そうそう」


「よっと……ほい」


「サンキュー」


「それ、さっきのと一体何が違うんだよ」


「全然違うんだよ!……って○ツコが言ってた」


「知らんがな。あれか?蒲鉾の世界でも特集してたのか?」


「そ。あれ面白いよね」


「だから知らんがな」


 どうだろうか。傍目には新婚のカップルに見えるのではないだろうか。信じられるか?これ、付き合ってるどころかその気すら持たれてないんだぜ?酷いだろ?


「さて、次はっと……」


 そんな脳内での訴えを知らない久我はスマートフォンを操作しながら買うべきものをチェックしていく。綾瀬はそのリストを横から眺め、


「多いな……」


 なるほど。これは確かに綾瀬の力を借りたくなる気持ちも分かる。そのリストに並んでいる品数はとてもではないが一人で持てるレベルを超えている。


「まあねぇ……でも毎年のことだから」


「そうなのか?」


 久我は全く表情も変えずに、リストを操作して、既にかごに入れた品目にチェックを付けていく。


「そうよ。これが普通」


「普通……」


 今度はかごの中を眺める。真っ先に確保された餅はどう考えても普通を超えた量である。


「久我の家って、そんな大家族だったんだな」


「んー?違うよ?」


「え、んじゃ何でこんなに」


 そんな疑問は、


「よし!次はあれだな。数の子」


 久我の一言に遮られた。

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