30.暖炉の火、人の温もり。
「うわぁ……!」
最初に歓声を上げたのは
「へぇ……」
続いて
だが、今回ばかりはそれも仕方ないはずである。なにせ、ちょっとした高級料理店のフルコースがごとき料理が並んでいたのだから。場所は昼にも使った談話室。ソファーの前のテーブルは昼間よりも幾分大きい気がするので、どこかから運んできたのだろうか。そして、
「あら!素敵ね!」
「正直、間に合わないかと思ったのですが、なんとかなりました。まだ、火をつけたばかりですので、あまり暖かくはないと思いますが」
それだけ言って奥の方からいくつかのボトルとグラスを持ってきて、
「さ、なにはともあれ、乾杯しましょう。折角のクリスマスイブですからね」
グラスを大体の間隔で配置していく。それぞれが何となくで目配せし、着席する。獅子堂と久我、
「久我様は何にしますか?」
「あ、私?んじゃぁ、その赤で」
「かしこまりました…………えっと」
「獅子堂。獅子堂
「獅子堂様は何に致します?」
「ビール」
「申し訳ございません。冷蔵庫にはあると思いますので、少々お待ちを、」
「あぁ、いいです。いいです。冗談。そのシャンパンみたいなのください」
「かしこまりました」
クリスが慣れた手つきで給仕をしていく。やがて、獅子堂のグラスに注ぎ終わると、
「綾瀬様はマムシのエキスでよろしいですか?」
「……なんでそれでいいと思ったかは、聞かなくてもいいですよね」
「流石。よくわかっていらっしゃる。それでは早速、」
クリスは、何が入っているのかも分からない黒いボトルの中身を注ごうと、
「いやいやいやいや。普通に赤ワインでいいですって」
「そうですか?それではこれは私が預かっておりますので、ご入用の際はいつでもお申し付けくださいね」
多分そんな機会は二度とこない。
そんなことを思いながらグラスを差し出していると、
「え、綾瀬くんって、そういう感じなの?」
「はい?」
「や、だって、マムシって」
あ。
綾瀬は注ぎ終わったグラスをテーブルに置いた後、
「や、違うって。これはこの人のジョークで」
クリスが後ろを通過しながら、
「という体を取っておくことで、誰にも咎められずにすむぜうへへ」
「…………」
久我の目がじっとりと湿ったものになる。心なしか距離も感じる……というか実際に体を引いている。そんなやり取りを見ていた獅子堂がくっくっくっと笑い、
「なに。綾瀬のことは気になって気になって仕方ないのに、そんなことで引いちゃうんだ。おもしろーい」
「はい?」
久我の視線が横に動く。しかしなおも獅子堂は続ける。
「君、綾瀬と同級生ってことはもういい大人でしょ?っていうことはさ。何も赤ちゃんはコウノトリが運んでくるの!とか思ってないっしょ?ってことは恋人同士ってなったら何するかも知ってるわけだよね?それなのに、たかだか精力剤ごときでそんな引いちゃうなんて面白すぎでしょ?大丈夫?貞操観念が自己矛盾きたしてない?」
「え、綾瀬くん。なにこの人」
綾瀬はその「なんなんだよこの変人は。お前の知り合いか?」という無言の訴えを感じつつも、
「えっと……まあね」
「友人!」
獅子堂は今にも手を叩いて笑いだしそうなほど楽し気に、
「そんなの他人行儀だろぉ綾瀬?俺らはもっと、魂で繋がってんじゃないか?なぁ?」
「魂って……」
綾瀬は一瞬否定しようとして、
「あー……そういう一面もある、かも?」
「マジで!?」
驚いたのは久我だった。いや、気持ちは分かる。ただ一方で、綾瀬と獅子堂の出会いが世間一般での「友人」というレベルに無かったという部分に関しては、確かに綾瀬としても譲りがたい部分でもあった。
獅子堂は得意げに、
「そういう訳。だからさ。ちょっと性欲ちらついたくらいでびびってるようなやつじゃ、俺から綾瀬は奪えないってわけ」
「奪うって」
いつからそんな話になったんだろう。
久我は反論する。
「いや、でも、そんな所かまわず、」
「そうかぁ?」
「そ、そうでしょ?だって別に今は?」
「じゃあ、”そういう時”なら良いって訳か?」
「そ、それは……」
言葉に窮する。獅子堂はははっと笑い飛ばし、
「まぁそもそもさっきのはクリスのちょっとした挨拶みたいな冗談で、綾瀬はなにも卑猥なことを考えてた訳じゃないけどね。それのに君は一体何を考えてたんだろうね?」
久我がキッときつい視線で、
「綾瀬くん!」
「は、はい!」
なにをしたわけでもないのに綾瀬はつい姿勢を正してしまう。
「この人一体何なの?」
訳:このクソ男追い出して
いやまぁ、言わんとすることは分からないでもない。
ただ、一方で、獅子堂は挑発こそしたが、久我を明確に罵ったりはしていない。極端な話、相手が久我ではなくクリスならば、それはそれは面白い舌戦がみられるかもしれない。本格的な殺陣には相手が必要だという、つまりはそういう話。久我では獅子堂の相手は難しいのだろう。だから綾瀬は、
「まぁ、こんな感じだけど、いいやつだよ。な。獅子堂」
訳:あんまりおちょくらないでやってくれないか?
獅子堂は無邪気に笑い、
「はいはい。ここの主には従わないとね。以後気を付けまーす」
久我はまだ何か言いたげだったが、肩で大きく一つ、息を吐いて、
「まぁ、いいわ」
ソファーに腰を下ろして、誰にも聞こえないような小声で、
「こんなにキャラの濃い知り合いがいるなんて聞いてないっての……」
小さく丸まるようにして、ソファーに沈み込む。
その時、
「さて、そろそろよろしいでしょうか」
クリスだった。いつのまにか水神のグラスにも飲み物を注ぎ終わっていた。ざっと見渡したのち、
「それでは、挨拶は綾瀬様から」
指名される。綾瀬は思わずクリスとアイコンタクトを取るが、その目が後は任せましたとでも言いたげだったので、諦めて、
「えーっと……」
久我が文句半分な声で、
「立った方が良いと思うよ」
「……はい」
綾瀬は諦めてグラスを持って立ち上がり、
「えー……ここ数日間、色々なことがありました。その経緯はまあ、まだ知らない人もいるとは思いますが。取り敢えず、今日。こうして集まれたことは、個人的には嬉しいです」
間。
「正直、数日前まではこうしてクリスマスイブをこんなににぎやかに過ごせるとは思っていませんでした。これも皆さんのお陰です。それじゃ、まあ、料理が冷めてもいけないんで」
グラスを掲げ、
「乾杯!」
「「「乾杯!」」」
各々がグラスを打ち鳴らす。綾瀬も腰を下ろし、その輪にしっかりと加わる。
久我がグラスの中身を一気に空にして、
「いやー……この為に生きてるって感じ」
獅子堂がぼそりと、
「おっさんくさ」
「聞こえてるぞおい」
小競り合い。それでもさっきよりはずっと健全だ。綾瀬は苦笑しながら水神に視線を、
「……水神?」
そこに彼女の顔は無い。あったのは暖炉を眺めるその背中だけで、
「……………………」
無言。何となしに話しかけようと思ったその軽い気持ちはあっさりと霧散する。それほどにその背中は近寄りがたくて、
「私がいますよ……お嬢様」
そんな背中に気を取られていた綾瀬は、何か耐え難いものを抑え込むようなクリスの声に気が付くことが無かった。暖炉の火が部屋の中を暖める。久我と獅子堂がそのへんのボトルを開け、中身を空にしながら口喧嘩と愚痴の中間くらいの会話を交わす。クリスマスイブの夜が過ぎていく。
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