29.怒り時々心配、ところにより雷。
「……何か弁明は?」
「えーっと……」
久我に向き直り、
「ただいま?」
我ながら最悪だと思う。
ただ、正直、これ以外の回答が思い浮かばなかった。久我は背後にいる(ように綾瀬が感じていた)仁王像のような怒りを込め、
「ただいま?じゃないでしょ!」
「ひっ」
思い出す。それこそ綾瀬に向けられることはあまり無かったが、彼女は基本相手の性別関係なく、怒りの矛先を向ける時は容赦がない。これもまた、遠巻きに見る男子からはギャップ萌えだのなんだのといって好感度アップにつながり、彼女によって恋愛の機会を奪われたり奪われなかったりしていた女子の、一方的な休戦協定に繋がっていたらしい。後から聞いた話。
久我は一気にまくしたてる。
「綾瀬くん、メッセージで言ってたよね!落ち着いたら連絡するって。だから待ってたのにいくらたっても連絡をくれない!気になって連絡しても、既読すらつかない!これはもう家に行ってみるしかないと思ってたらやっと連絡を寄越す!そしたら今度は別の場所に住んでるとか言い出す!住所を頼りに来てみたら、外からじゃ全く中が見えないから、銀髪のお姉さんが帰ってくるまで前で待ちぼうけ食らうし!しかも話を聞いてみたら、さ、さ、妻妾同衾って!ホントかどうか確かめてやろうか確かめようと思ってここで待ってたら、」
そこで水神をビシリ!と指さし、
「こんな小さな子を連れてきて!人が折角心配してたのに、綾瀬くんは……!」
肩を怒らせる。しかし、その表情には幾分の緩みがあった。
「心配するから。せめて連絡くらいしてよ……」
最終的にはその怒りも声も、すっかりと勢いを失っていた。綾瀬は「あー……」と唸り、
「なんか。ごめん。そんな心配してたとは思ってなくて」
久我は我に返ったのか、なんともばつの悪そうな笑みを浮かべ、
「や、うん。そう、だよね」
言葉を切って。
「実はさ。夢を見ちゃって」
「夢?」
「うん。夢。綾瀬くんが、誰かに襲われる夢」
「誰か……って誰?」
「分からない。だけど、それがあまりにリアルな感じで、」
「……だから、心配になったってこと?」
久我は無言で頷く。
夢の中で襲われていた。だから心配になった。
綾瀬の中には「そんなことで」と思う自分がいる一方で、「それなら仕方ない」と思う自分もいた。少なくとも昨日までならば前者が勝っていたのだろう。ただ、今日に限っては、
「まぁ、そういうこともあるよな」
「そう、思う?」
疑いの眼。綾瀬は「ああ」と肯定し、
「思うさ。夢……じゃないけど、俺にも似たような記憶あるし。な、水神?」
無言。
綾瀬は思わず水神の方を見る。その表情は何だか心ここにあらずで、
「水神……?」
「……!なにかしら?」
なにかしら、ではない。
そう突っ込みたかった。
だけど、もしそうしたとして、明確な、何の混じりけも無い、純粋な回答は得られるのだろうか。
諦観。
「や、ほら。今日あったじゃん。偶然の一致」
「え、ええ。そうね」
久我が話についていけないという具合に、
「え、どういうこと?」
「や、実はな」
綾瀬は今日、ここにくるまでで起きたことをかいつまんで説明する。それを熱心に、時折「うん、うん」と相槌まで打ちながら聞いていた久我は、
「それって偶然じゃないの?」
「まあ、そうだよな」
そう。
これが普通の反応だ。ちょっとした偶然に意味を見出そうとするのは、異性にプロポーズするときか、オカルト系に傾倒するときだけでいい。綾瀬も笑いながら、
「ま、そうだよな。俺もそう思う。だけど、まあ、そんな感じだから。そういうこともあるって話」
久我は漸く言いたいことが分かったのか、
「あー……」
いくつか小さく頷いて、
「変わんないね、綾瀬くんは」
「あ?なんで今そんな話」
久我は面白げに、
「別に?来てみて良かったなって」
それだけ言って、玄関口にしゃがみ込み、ハイヒールを手に取る。
「帰るのか?」
「取り敢えずそのつもりだけど。駄目?」
「や、駄目じゃないけど」
何故だろう。
目の前にいる、かつての同級生をこのまま返してはいけない気がした。
そんな思いを知ってか知らずか水神が、
「夕食、食べて行かない?」
久我は「夕食かー……」と、視線を彷徨わせ、
「凄く心惹かれるんだけど、お邪魔でしょ?私」
その視線を綾瀬と水神に向ける。二人はお互いを見合わせた後、
「「いや、全然邪魔じゃないぞ」わ」
被った。綾瀬は照れを隠すように、誰にも視線を合わせずに、
「や。なんか、その、クリスさん?あ、銀髪のお姉さんね?彼女が言うには、気合を入れたから、量が多いんだっていうんだよ。だから、まあ、うん。そんなに困らないと思うよ。それに、」
漸く視線を久我に戻し、
「折角またこうやって再会……再会ってほど時間経ってないけど。まあ、会ったわけだから、どうかなって」
久我は暫くまじまじと綾瀬を眺めていたが、やがて、
「……ぷっ」
「え」
「あははっ……あっはっはっはっはっはっ……何それ?面白い」
綾瀬はなんともいたたまれなくなり、小さな声で、
「いや、ほら、何かの縁っていうかね。でも、ほら、別に無理だったらまあ、いいかなって「いいよ」思って……え、いいの?」
「うん。別に用事も無いし」
水神が、
「お家に夕食が容易されてたりはしないのかしら?」
久我がぶんぶんと手を振って否定し、
「ないですないです。あの家に限ってそれは。だから、まあ、ここで食べてっちゃった方がいいかなって。そういう感じ。それでいい?綾瀬くん」
「え?うん。大丈夫……だよね?」
思わず水神に確認する。水神は何のためらいもなく、
「ええ。歓迎するわ。えーっと……」
「ああ、ごめん。名前言ってなかったね」
久我は立ち上がり、
「私、久我
手を差し出す。水神はそれを握り、
「私は……」
暫く言葉を紡がずに、その握られた手をじっと眺める。
やがて、何かを決心したように、
「……水神
それを聞いた久我はバッという音が聞えそうなくらいの速度で綾瀬の方を向き、
「え?幼馴染なんていたの?」
「一応ね。かなり昔の、だけど」
久我は再び水神に視線を戻し「へぇ~……」と感心したうえで、
「えっと……水神さん、だよね?よろしくね」
「ええ。よろしくね、真由美!」
「まゆっ……!?」
久我は一瞬吹き出しそうになり、
「や、ごめん。そんな呼び方されるの久しぶりだったから。うん、よろしくね」
手をしっかりと握りなおす。
「おや、痴話喧k……問題は解決したのですか?」
クリスだった。相変わらずの冗談を挟みながらやってきた。ちなみに、先ほど綾瀬たちと行動していたときとは違い、きちんとメイド服だった。久我はそんな服装を興味津々という目で観察し、
「いやー……いるんですね、メイドってまだ。日本にも」
クリスはスカートの端をちょいとつまんで軽く会釈をし、誇らしげに、
「ええ、まだメイドはいるのですよ。決して秋葉原の喫茶店と、コスプレショップにしか存在しない絶滅種では無いのです」
「は、はぁ」
曖昧に答える。綾瀬が横から、
「それ、平常運転だから。気にしないで」
「え、これで?」
「そう、これで」
クリスはわざとらしく頬を膨らませ、
「何ですか皆さん。人を下ネタしか芸の無い女みたいに」
いや、実際その通りでしょ、とは口が裂けても言えなかった。実際、下ネタだけの人では無いわけだし。
水神が、
「もしかして、準備が出来たのかしら?」
クリスは自信を湛えた笑みを浮かべ、
「ええ。その通りです。皆様。準備が出来ました」
「わ、ほんとに?」
最初に反応したのは久我だった。やっぱり興味はあったらしい。綾瀬はおそるおそるという感じで、
「あのー……実はもう一人呼んじゃったんですけど……大丈夫ですかね?」
クリスは想定通りといった塩梅に、
「ええ、構いませんよ。何時頃いらっしゃるのでしょうか?」
「一応二十時までにはって言ってあるんですけど……」
綾瀬は頭上の大時計を眺める。その短針と長針はそろそろ二十時になるだろうということを表していた。
「どうしましょうか?俺、連絡してみましょうか?」
「そうですね……もしかしたら迷っているのかも」
その時だった。
ピーンポーン
「ここでホントにいいのかなぁ……だーれかぁー」
インターホンと、気の抜けた声がすぐ近くで聞える。間違いない。彼だ。綾瀬は玄関のドアを開け、
「よう」
「お、マジでいた。え、ホントにここ住んでんの?あの子と?エロゲじゃん」
相変わらずのマイペースを崩さない白髪――
「お邪魔しまーす……うわ、中も凄いね。それに何?メイドさん?綾瀬。ホントどうやったの。こんなの、普通ないよ?」
「まぁな」
改めて思う。ここ数日で、綾瀬を巡る環境はがらりと変わった。恐らくは、いい方向へ。
「いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました。貴方は綾瀬様のご友人の方でよろしいでしょうか?」
クリスが一昔前の西洋から切り取ってきたような完璧な仕草で対応する。それに対して獅子堂は、
「あーうん。まぁ、そんなとこ。お邪魔になっていいんですよね」
相変わらずマイペースだった。クリスもそれに合わせるかのように少し砕けて、
「ええ。大丈夫です。作りすぎてしまっていたものですから」
「えー。クリスマスのディナーって作りすぎるもんだっけ?」
「そんなことも有るのです。彼女の為と頑張って用意したデートプランがおじゃんになって、一人寂しく、こじゃれたレストランに行くような、そんな事態にならなくて良かったと、安堵しているところでございます」
獅子堂はあっははと笑い、
「綾瀬ぇー。この人面白いね」
綾瀬に語りかける。そんなことは言われなくても分かっとるわ。
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