28.一番つらいのは未読スルーという現実。

「戻ってきた……んだよな」


 タクシーから降りた後、綾瀬あやせが発した第一声がこれだった。


 それもそのはずである。綾瀬が今目にしているのは、ほんの数日前まではおおよそ思い浮かべもしなかった景色であり、今朝の段階でも全く想像だにしていなかった光景なのだから。


 端的に言えば、館にクリスマス飾りがしてあった。


 出かけてくるときにはこんなものは無かったと思うのだが、


 水神みずかみが自信ありげに、


「きっとクリスがやってくれたのよ。凄いわ」


「いや、まあ」


 凄い、とは思う。


ただこれはとても、一人でやりましたというレベルでは、どう見ても、ない。


 かなりの大きさを持つ館には所狭しと電飾が張り巡らされ、それらが様々な色の輝きを持つことで、一つの大きな芸術作品を形作っている。


 庭か駐車場かが未だにはっきりしない区画(まだここの草を刈るところまで手が回っていないのだろう)には、海外から空輸でもしてきたのではないかと思うくらい、本格的な大きさと質のもみの木が、これまたびっくりするくらい綺麗に飾り付けられている。


 一階の窓からは光が漏れ出ており、客観的に見れば、なんとも裕福で、幸せな一家の、楽しいクリスマスイブの始まりといった景色がそこには広がっていた。


 綾瀬はひとつ息を吐く。既に日が暮れていることもあり、その色は白い。


「とんでもないな……」


 笑いが漏れる。水神が、


「楽しそうね?」


「あー……まあ、ね」


 否定しない。


綾瀬は今、間違いなく楽しい。


 結局、獅子堂ししどうと別れた後も、二人はずっと秋葉原をうろうろしていた。


 別に何か目当てがあったわけではない。ただ、彼のお勧めもあり。一応の収穫もあったことで、綾瀬の肩に、それとなく乗っかっていた「何か面白いものをみつける」という、名目上でしかなかった目的は消え去り、無事に水神とふたり、デートをしていた、という訳なのだった。


 いや、本当はデートと表現するのは間違っているのかもしれない。


 やったことと言えば、ゲームセンターでやったことも無いようなゲームで遊んだり、ガシャポン専門店で、三日三晩寝ていない担当が、ノリと勢いだけで企画書を出したのではないかという類のものに挑戦したり、右も左も分から螺ないくせして、ゲーミングPCを眺めてはすごいすごいとほめちぎってみたりと、まあ、概ねデートというよりは同性の友人同士でのちょっとした暇つぶしに近いようなひと時だったのだが、相手方水神がそう表現しているのだから、そういうことにしておきたい。


 本音を言えば、綾瀬自身もまた、デートと呼びたいような、そんな気がしていた。それが何故かは分からない。


「さて、それじゃ中に、」


 綾瀬がインターフォンを押そうとすると、


「まって。鍵を預かってるわ」


「そうなの?」


 動きを止める。水神は何故かポケットをごそごそと探り、


「あったわ」


 鍵を取り出す。今更だが、彼女には鞄を持つという習慣は無いのだろうか。大体のものがポケットから出てきている気がするのだが。


 水神はその鍵を使って、慣れた手つきで開錠する。ガチャリと重たい音がする。ほぼ同時に水神が取っ手を掴み、ドアを押し開く。室内から優しい明かりと、なかなかに美味しそうな匂いがする。恐らくクリスが頑張ってくれているのだろう。今から楽しみだ。そんなことを考えながら綾瀬は玄関へと足を踏み入、


「…………え?」


 固まる。


 その視線の先には一人の女性が腕を組んで仁王立ちしている。何故だろう、その後ろに全く同じポーズをした仁王像が見えるような気がする。幻覚だろうか。そう。きっとそうだ。


 綾瀬は一度扉をきちんと閉め、首をぶんぶんと横に振り、パンパンと音が響くくらいしっかりと両手で頬をはたく。これで大丈夫だ。きっと色々なことがありすぎて、ちょっと頭が寝てしまっているのだろう。よし。


 そう意気込んで開けたドアの先には、


「……………………」


 先ほどと全く同じ光景が広がっていた。


 大体は昼に見たものと変わらない。違うのは、今が夜であるため、照明がきっちりとついているということと、玄関に腕を組んで仁王立ちしている一人の女性……もとい、久我くが真由美まゆみがいる、ということだ。


 それだけならは、そんなに驚くことはない。獅子堂の忠告もあり、あの後綾瀬は、久我にもこの館の住所と、暫くはこちらに住むことになるという最低限の事情を伝えはした。


 恐らくはそれを見たのだろう。そうでなければ、ピンポイントにここにたどり着くなどまずありえないはずである。何せこの洋館は、外から見れば依然として木が鬱蒼と生い茂っており、到底人が住めるような環境には見えないからだ。正直綾瀬も。さっき到着した直後は半信半疑だったくらいだ。


 だけど、まあ、久我はきちんとここの住所を知っているわけなので、たどり着けてもおかしくはない。と、いうか、問題はそこではない。彼女の放っているオーラの方だ。


 ショートとセミロングの間くらいの長さをした黒い髪よりも、会社帰りと思わしき、それはそれは立派なスーツ姿よりも、決して主張しすぎない、それでも確かに女性を感じさせ胸も、ストッキングを履いた綺麗な足も、その前に揃えておかれている、ここまで来る際に履いてきたと思わしきハイヒールも、全く問題ではない。

 

 今問題なのは、その愛嬌ある表情が、これ以上ないくらい綺麗な笑顔を浮かべているのに、全く暖かさがないということである。

 

 間違いない。この笑顔は怒りの笑顔だ。

 

 しかも綾瀬が見てきた中でもかなり上位の、


「綾瀬……くん?」


「えーっと……はい」


「私からのメッセージを、確認してもらえるかしら?」


 あ。


 早速合点がいく。


 綾瀬は素早くスマートフォンを取り出して操作する。そこにはメッセージがいくつかとどいている。その中で今大事なのは、未だ既読になっていない、久我からのメッセージだ。


 「…………!」


 意を決してタップする。そこには新着メッセージが二通あった。



〈分かった。いろいろ聞きたいことはあるけど、取り敢えずここ、行くね〉

〈綾瀬くんへ。至急、帰宅してください。聞きたいことが沢山あります。久我より〉



 綾瀬は油の切れたロボットのような動きで顔を上げる。そこには未だに、冷え切った笑顔があった。怖いからやめてほしい。

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