25.隠された領域に踏み込まない。
「さっき、他にもメッセージ入ってたろ」
「ん?ああ、一応な」
「それ、見てみたら。もしかしたらまたなんか偶然一致してるかもよ」
まさか。
一瞬浮かんだその言葉は一瞬にして沈んでいく。
思い出せ。今まで
確かに、久我は今でも時折連絡をくれる。最近は時間が無いのか、その頻度は少ないが、それでも定期的に愚痴と世間話の中間あたりに位置する話を投げてくるのだ。ただ、それも一週間に一回あればいい方で、会話のラリーは続かないことが多かった。
それが今回はどうだろうか。通知だけでも数件のメッセージが来ていることが分かる。しかもそれだけではない。久我はそれ以前にも
綾瀬はごくりと唾を飲み込み、スマートフォンを操作する。画面が獅子堂のメッセージからトップ画面、そして久我からのメッセージへと移り変わる。そこに並んでいたのは大概が「連絡無いけど大丈夫?」という内容を、その時の感情というフィルターに通したものだったが、一つだけ、全く異なる内容のものがあった。一番下のメッセージだ。
〈今日ちょっと、綾瀬くんの家の方行くんだけど、どれくらいの時間ならいるかな?寄ってこうかなって〉
手が止まる。
まるで今まで暖かい室内にいることを忘れていましたと言わんばかりに汗がにじんでくる。獅子堂が一言。
「何?この子、綾瀬の家知ってんの?」
「……一応。前に年賀状で聞かれた時に教えたから」
その時のことを思い出す。あれは確か「今年から自分もそっちの方にいるから、住所教えてよ」とのことだったような気がする。年賀状の端っこに。投函する寸前に思い出したかのような走り書きでなされた要求。結局あれから一度も久我が訪ねてくることは無かったので、ちょっとした気まぐれのようなもので、教えた住所もどこかにメモされることなく忘れ去られているのだと思っていたくらいだ。
獅子堂は納得したのかしていないのか分かりかねる塩梅で、
「ふーん……」
鼻で笑い。
「なんでこんなに偶然の一致が続くのかは分かんないけどさ」
そう前置いて、
「まあ、いい偶然なんじゃないの。正直、今年はもう綾瀬と会うことないのかなーって思ってたし」
「そう、なのか?」
「そそ。だから、まあ、いい偶然。良い子にも出会えたしね」
視線を
「お前、彼女いるんじゃなかったのか?」
獅子堂は、はははと乾いた笑いを漏らして、
「そりゃ、いるけど。でも、別に彼女がいたら別の女の子と仲良くしちゃいけないなんて法律はないでしょ。っていうか、それくらいおおらかで良いと思うんだよね。世の中には側室だらけの王室だって存在するわけだしさ。彼女が一番ならそれでいいじゃない。彼氏の時間を全部管理したいだなんてヤンデレヒロインみたいなこと言ってるって分かって……ん?何の話だっけ?」
「いや、だから彼女」
獅子堂は「ああ」と得心し、
「まあ、いるっちゃぁいるけど。でもちょっと今、デリケートな時期なんだよね」
「へぇ」
綾瀬は俄然興味が湧き、
「デリケートってあれか?最近連絡を取ってくれないとか、そういうやつか?」
「ううん、違うよ?」
獅子堂は軽く首を横に振り、
「連絡は取れるよ。ただ、まあ、今はちょっと会ったりは出来ないって、それだけ」
「へぇ……」
不思議だ。
彼女と連絡はいくらでも取れるが、会うことが出来ない。そんな状況がありえるのだろうか。
水神が澄み渡るような声で、
「もしかして……忙しいのかしら。彼女さんが」
獅子堂は肩を揺らして、
「ははは……そうだね。そうとも言えるかもね。っていうかそういうことにしておくよ」
パンと両手を合わせ、
「そんなことより、ほら。二人はデートするためにここに来たんでしょ?だったら俺なんかに構ってちゃ駄目じゃない。ほら、散った散った」
明らかに誤魔化しにかかる。
獅子堂がこうやってはぐらかすのは今に始まった話ではない。だから綾瀬は依然、まだ知り合って間もないころに、そのはぐらかしを突破してみようと試みたことがある。
今を思えばなんと無謀なことを考えたものだと思う。しかし、あの時の綾瀬は、久しぶりに仲良く、それも気兼ねなく話せる友人と出会えたことが嬉しかったのか、多少舞い上がっていたのだと思う。はぐらかしが、やんわりとした拒否に、やんわりとした拒否が明確な拒絶に変わってもなお、獅子堂の心の奥底に、土足で踏み入ろうとした。その結果。
「××××××××!」
獅子堂の口から、聞いたことも無いような単語が発せられ、次の瞬間、近くにあったベンチは鼓膜を破らんかという大きな音を立てて植え込みの気に衝突していた。一応、地面に設置されているわけではない以上、持ち上げることも、投げることも物理的に可能ではある。 しかし、実際にそんなことを出来る人間も、しようとする人間も、そうはいないはずだ。
結果として大学の職員たちは何事かと集まってくるし、獅子堂はぶつぶつと呟きながら、夢遊病患者のような足取りで逃げるように去っていくし、綾瀬は代わりに事情聴取を受ける羽目になるしで、てんやわんやだったのだが、後日騒動を起こした張本人から、
「悪い。今日のことは忘れてほしい。お詫びに何か奢る」
とだけメッセージが飛んできたのだった。
綾瀬としても無かった事に出来るのならそれが一番だと思ったし、常時金欠の身としても奢りはありがたい提案だったので快諾し今に至っている。
そんな訳で。
「いや、デートってのはあくまで方便で、実際は二人でアキバをぶらぶらしてるだけだぞ?」
あえて追及はしない。世の中には誰にだって踏み込まれたくない領域というのはあるものなのだ。
獅子堂は綾瀬の言を聞いてもなお納得せずに、
「と、彼氏は言ってるけど?」
水神はきっぱりと、
「いいえ。デートよ」
「って、彼女は言ってるよ」
「あー……」
そうだった。
水神はさっきから何故か「デート」という単語に妙にこだわっているのだ。
実際、ここまで綾瀬と水神が辿ってきた道筋を客観的に観察してみればデートいえないことはないだろうし、もしその中に「ファーストフード店にコーヒー一杯で数時間居座る」とか「ファミレスのドリンクバーで、色んなジュースを混ぜて遊ぶ」とか「高層マンションを使って立体的に鬼ごっこをする」といった内容が含まれていたとしても、水神の脳内では「デート」として処理される可能性が高そうな気はする。
綾瀬は諦めるように息をつき、
「んじゃ、それでもいいけどさ。それだって、何も獅子堂がいちゃいけないってことはないんじゃないのか?」
獅子堂は腑に落ちないという表情で、
「それは違うんじゃないの?だって、ほら、デートっていったら一大イベントだよ。例えばギャルゲなんかで言ったら、もう共通ルートは抜けてて、友達以上恋人未満のなんともいえない関係性を楽しんでる。そんな段階だよ。そこにバッドエンドでしか出番のない主人公の友人が出てきたらおかしいでしょ。ねえ?」
同意を求めないで欲しかった。
いや、まあ、確かに言わんとすることは分からないでもない。基本的に一つのルートに入ったのであれば、男は言わずもがな、他のヒロインとの関係性がちらついてほしくないというのが、訳しがたい男心というものなのだろう。
それはさておいて、
「いや、まあ、正直に言うとな。割と行く所に困ってたんだわ、これが。どうにもこう、発見が無いっていうか」
「行く所?発見?」
水神が補足するように、
「二人で色々見て回ってたの。漫画とか、ゲームとか」
獅子堂の声にやや興味の色が混じる。
「へぇ。なんか探してんの?」
「いや、まあ、探してるっちゃ探してる……のかな?どうせ久しぶりに秋葉原来るんだったら、なんか面白いものないか探そうってことで、まあ、色々」
獅子堂が更に興味深そうに、
「へえぇ……」
顎に手を当て、
「うん……だったら、いいかもねぇ」
一つ頷いて、
「それだったらさ。俺のお勧め、教えてあげるよ」
「お、マジか」
ありがたい。
最近はあまり聞くことも無かったが、獅子堂のお勧めというのはいつだってハズレが無いのだ。時には全く聞いたこともないタイトルをひっぱってくることもあるのだが、これがまたどうして面白かったりするのである。
獅子堂は一言、
「着いてきなよ」
それだけ言って、エスカレーターの方へと向かう。綾瀬は水神と顔を合わせ、同時に頷いて、孤高な白髪を追いかける。先ほどまで獅子堂たちがプレイしていたダンスゲームに、どこぞのカップルがチャレンジする。その踊りは、先ほど綾瀬が見たものよりもずっと、拙いものだった。
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