20.メイド、アニメ、趣味の都。

「着いたわ!」


 水神みずかみはそう宣言し、バンッといいう効果音でも付きそうなくらいの勢いで車外に降り立つ。綾瀬あやせもその隣に並ぶようにして、


「着いたなぁ……」


 しみじみと目の前に広がる光景を俯瞰するように眺める。


 秋葉原である。


 多くの鉄道路線が乗り入れる大きな駅には間違いないが、その趣は他のターミナル駅いとは一線を画していると綾瀬は思う。


 改札でホームとも繋がるエキチカ施設がアニメや漫画といった作品とコラボを行ったり、交差点でメイド服を着た女性がビラを配っている駅はそう多くはないはずである。誰が言ったか趣都という言葉はつまり、趣味の都という意味であるが、なかなかうまい例えだと思う。ここはつまりそういう街なのだ。


 綾瀬はここ二年位電車の乗り換え以外で訪れることは無かったが、あまりその風景は変わっていないようにみえる。最近あった大きな変化と言えば電気街口を出てすぐに鎮座していたラジオ会館の建物が新しくなったことくらいだろうか。これも、綾瀬が秋葉原に訪れなくなる前の話だが。


「それでは、私はこの荷物を館まで持って帰ります。夕食の準備もありますので」


 クリスは、一時停止させたスポーツカーから乗り出すようにして話しかけてくる。

どうらやら外国車らしく左ハンドルだ。


「先ほども申し上げましたが、本日は立派なディナーを用意しております。その為、夜には返ってきていただけると幸いです」


「具体的には何時くらいまでに帰った方が良いですかね?」


「そうですね……」


 クリスは少し思考を巡らせ、


「遅くとも二十時。夜の八時にはご帰宅していただけるとありがたいです。それ以降になる様でしたら、一つ、連絡をください」


「分かりました……って言っても俺、クリスさんの連絡先知らないんですけどね」


 頬を掻く。クリスは何故か自慢げに、


「それなら大丈夫です。既に綾瀬様のスマートフォンには私と、お嬢様の連絡先が記録されておりますので」


「え?」


 綾瀬は思わず自分のスマートフォンを取り出し電話帳を確認し、


「……色々突っ込みたいところはあるんですけど、取り敢えず。何ですか、この「愛しのお嬢様」とかいうのは」


 水神が覗き込み、


「あら、それじゃあ私も観月の連絡先を「愛しの旦那様」にしようかしら」


「せんでいい。この際、勝手に登録されてたことにしてはいいです。でも、せめて名前は普通にしておいてください」


 クリスがいたって真面目そうに、


「愛しのマイハニーの方が良かったですか?」


「愛しのから離れてください……」


 取り敢えず、このままだと人に見られた時にあらぬ誤解を生みそうだ。綾瀬は名前の部分だけ「水神陽心」に戻し、


「あっ」


 水神が声をあげる。


「あっ。ってなんだ。あっ。って。いいだろ、別に。俺のものなんだから。好きにさせてくれ」


「そ、それもそうね。愛しのは諦めることにするわ」


「最初からそうしてくれ」


 綾瀬はざっとスマートフォンの操作を終え、


「んで、要は二十時以降になりそうなら連絡すればいいんですよね」


 クリスは何事も無かったかのように、


「ええ。そうしていただけると助かります。なにぶん気合を入れたこともあって、かなりの量なので」


「え、そうなの?」


「ええ。ですから、三人分には少し多いかと思いますので。誰か御友人を誘うということであれば、二、三人なら全く問題ないと思います」


「友達、なあ」


 考える。


 残念なことに、綾瀬には、今日連絡して、夕食に参加してくれるようなフットワークの軽い友人はあまり心当たりがない。


 大学一、二年の頃ならばなんとかなったかもしれないが、あいにくその時の友人たちはほぼ全員が卒業して、就職したり進学したりしており、ここ一年間は殆ど連絡を取っていない。


 あと残っている可能性といえば獅子堂ししどう怜王れお久我くが真由美まゆみくらいのものなのだが、前者はそういったなれ合いのような集まりは間違いなく嫌いだろうし、後者に関しては普通に仕事の可能性が高い。要するに、


「今日の今日で呼べるのは……いないですね」


 クリスは全く残念そうな素振りを見せずに、


「そうですか。それは残念です。ただ、まあ、そういうことですので。飛び入り参加は数名なら大丈夫ですということだけはお伝えしておきます」


「分かりました。でも、あんま期待しないでくださいね?」


「大丈夫です。私も駄目で元々ですので」


「そうっすか……っていうか、どうしてそんな量用意したんですか?」


 しばしの間が空き、


「……今日はクリスマス・イブですから」


「ああ」


 言われて思い出す。そういえば今日はそんな日だった。


「だから、豪華にしたってことですか?」


「ええ。そうですね。多分は」


「多分ってなんですか、多分って」


 クリスは意味ありげに微笑み、


「ふふふっ」


「いや、答えになってないですって」


 水神が、


「いいじゃない。多い分には」


「まあな。限度はあるけど」


 綾瀬はそう言って半日前に思いをはせる。調子に乗って注文しても食べるのは自分だということを忘れてはいけない。結局残り物類は全部冷凍して、見なかったことにしてしまった。妹でも来たら出してやろう。きっと喜んでくれるのではないか。怒りもしそうだが。


 ピィー―――!!


「おや」


 クリスが後ろを振り向く。端に寄せているとはいえ、路上駐車状態で会話をしていたのに苛立ったのか、一台の車がクラクションを鳴らしてから横を通り過ぎていく。


「全く。マナーのなっていない人ですね。クラクションはあんなに下品な使い方をするものではないのですよ?」


「えぇーー……」


 綾瀬はその原因はあんただよと突っ込もうとも思ったのだが、自分自身もその一翼を担ってしまっていることに気が付いて、そっと胸の奥にしまい込む。こうして世の中は上手く回っていくのだ。


 その代わりに、


「そろそろ行きますわ。ここ、邪魔になるみたいですし」


 クリスは先ほどのやりとりなど無かったかのように、


「分かりました。それでは私は帰りますのでごゆっくり。ああ、綾瀬様」


 ちょいちょいと、指先で綾瀬を呼びつける。近くに来てほしいということだろうか。綾瀬はギリギリまでクリスの元に近づき、


「なんですか?」


 クリスは綾瀬の耳元で、


「もしお嬢様にメイド服を着ていただきたいのであれば、本物のストックがありますので、ここで買い漁らなくても大丈夫でございます」


「…………」


 何考えてんだよこのメイド。という視線を軽蔑多めで向けたつもりだったのだが、当の本人はそんなことは気にもせずにサムズアップし、


「では、行きますので、少し離れてくださいまし」


 言われなくともそうするわ。


 綾瀬はつつつと引き下がる。それに満足したのかクリスは一つ手を振ってから、愛車を発信させる。こんな街中よりも、夜の首都高の方が似合いそうなエンジン音を立てながら、消えていく。つくづく自由な人だ。

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