19.考えるな、感じるんだ。

「いやぁ……」


 ものすごい勢いで詰みあがっていく品物を眺めながら綾瀬はしみじみと、


「言ってた通り、でしたね……」


 クリスが「当然」という口調で、


「ええ。だから車が必要だ、と申したのです」


 綾瀬が疑問を投げる、


「例えば、なんですけど」


「はい」


「あれって、送ってもらうとか出来ないんですかね」


「分かりません。ただ、そういった話を持ち掛けられないところから察するに、恐らくやっていないのだと思います。そもそも、そんなに買い込む人はそういないのでしょう」


「まあ、そうか……」


 クリスは付け加えるように、


「それに、もしそんなシステムがあったとしても、お嬢様は利用しないと思います」


「そう?」


「ええ。だって考えてもみてください。その手の郵送サービスが届くのは当日だと思いますか?」


「ああ」


 そこで綾瀬も漸く悟る。


 ものにもよるとは思うが、この手の郵送サービスは基本的に自前で行っていないものが多いはずである。そうなると、今から郵送会社に委託するのであって、それが届くのはまず間違いなく翌日以降になってしまうだろう。それしか手段が無いのであればともかく、それ以外にもやりようがあるのならば、水神は一番早い方法を好むに違いない。


 その、当の本人は、というと、


「……何をしてるんだ、何を」


 サングラスにご執心だった。この時期につける機会があるのだろうか。


 水神は試着用のものをひとつ綾瀬に手渡し、


「これ、つけてみて」


 綾瀬は自らを指さし、


「え、俺が?」


「ええ」


 思わず近くにあったサングラスの箱を手に取ってまじまじと眺める。男性用女性用が存在するのかは不明だが、取り敢えずここに置いてあるものは、そういった区別は無いらしい。それならば、


「まあ、いいけど……」


 受け取る。サングラスはサングラスでも、太い黒縁のもので、説明が無ければ度入り眼鏡と言われてもそこまで違和感は感じないデザインだ。


 綾瀬はそれを取り敢えずといった具合にかけ、


「……これでいいか?」


 水神は満足げに、


「ええ、似合ってるわよ」


「マジで?」


 思わず近くにあった鏡を見る。どうなんだろう。そもそも眼鏡すらしない綾瀬からすると、どういう状態が似合っていて、どういう状態が似合っていないのかもなかなか判断がつけづらい。水神の言をそのまま信用してもいいのだが、彼女の「似合っている」はハードルが低そうな気がする。と、いう訳で、


「らしいんですけど、どうですか?」


 クリスにセカンドオピニオンを求める。クリスは首を傾げ、


「……どこかで見たことがあるような…………」


 やがて該当する記憶に引っかかったのか、手をポンと叩き、


「思い出しました」


「お、マジですか」


「昔標的だった、アジア系の売人にそっくりです」


「それ褒めてんの?」


 思わず反射的につっこんだのち、


「え、標的?」


「冗談です。そういうドラマがあったんですよ、昔」


「はあ……っていうか、売人ってどういうことですか」


 水神が横から、


「あら、いいじゃなない。売人。カッコいい響きよ」


 やかましいわ。


 クリスも楽しそうに、


「売人は売人でも、下っ端も下っ端ですけどね」


「やだこのメイド超失礼なんですけど」


「冗談です。半分くらい」


「半分はホントなのかよ」


 クリスはそんな突っ込みを無かったもののようにして話を進める。


「さて、これからどういたしますか、お嬢様?」


 お嬢様こと水神は頭をふらふらとさせながら「うーん」と悩んだ挙句、


「デート?」


 疑問形だった。クリスは一つ頷き、


「そうですね。それが良いかと思います」


「え、そうなの?」


 いまいちついていけない。クリスは何かを察したかのように、


「なるほど。つまり綾瀬様はもっと高次元のことを望んでらっしゃると。分かりました。ただ、一応御夕食を用意いたしますので、夜には帰ってきていただけると幸いです」


 そこではっとなり、


「なるほど。早速館内で変態プレイですか。精が出ますね。二重の意味で」


 頭のネジってどこで回してもらえるのだろう。綾瀬は思わずそんなことを考えてしまった。もっとも彼女の場合、ネジが取れているとかそういう時限では無く、そもそも存在しているべきネジが存在していない初期不良がありそうな気配だが。


 綾瀬は軽くあしらうように、


「違いますって。ただ、その、デートってのは」


 クリスは「ああ」と納得し、


「大丈夫です。便宜的にデートとは言っていますが、要はお嬢様とどこかに出掛けてきてはどうか、ということです。まあ綾瀬様がお望みなら、恋人的なデートスポットでも構いませんが」


 微笑む。きっと彼女は知っているのだ。綾瀬が彼女とそれらしいデートをしたことなどない、ということを。大抵はそんな段階に踏み込む前に関係が冷え込んでしまうのだ。その原因が概ね綾瀬にあったことは、もはや言うまでもないことである。


 そんな訳で、恋人チックなことは何もできないが、水神と一緒に出掛けるくらいならばお安い御用だと思う。ここ二日間一緒に過ごしていても、これまたびっくりするくらい気を使わないのだ。大体女性と行動する、となれば、少しは身構えてしまうのが悲しきチェリーボーイこと綾瀬の性だったのだが。ど、どど、童貞ちゃうわ!


 という訳で、


「んで、水神はどこ行きたい?」


 一応聞いてみる。ただ、その答えはほぼ決まっているといっていい。水神は全く悩むことも無く、間髪入れずに「秋葉原なんてどうかしら」綾瀬の行きたいところで良いわと答えるに決まって、


「あん?」


 ストップ。すこし時を巻き戻そう。今水神が想像だにしなかった提案をしなかったか?何?秋葉原?


 綾瀬は戸惑い、


「えっと……秋葉原、が良いのか?」


 水神に確認をする。ところがその提案をした張本人は、自らの口から出てきたその言葉に驚くように両手で口を塞ぐようにしながら、


「えっと、違って、あの、」


 クリスが、


「私も秋葉原が良いのではないか、と思います」


「え、クリスさんも?」


「はい」


 肯定。水神は言葉を遮られたことですっかり勢いを失ってしまう。そんな彼女の言葉を代弁するかのようにクリスが続ける。


「お嬢様がここに行きたいと思ったから、というのもありますが、私個人としましてもお勧めの選択肢かなと思います」


「なんで、また」


 秋葉原。通称アキバ。年代によってこの町の捉え方は様々だが、概ね「趣味の街」というイメージが強い。しかもややディープよりの。両方の趣味次第だが、あまり「デート」には適するイメージはない。


それでもクリスは全く引かず、


「色々ありますが、一番の理由としましては、綾瀬様の趣味に合わせるのが良いと思った、ということでしょうか」


「俺の?」


「はい。綾瀬様は少し前まで結構漫画とかアニメを好んでいらっしゃったので」

 綾瀬は固まり、


「……何で知ってる?」


 クリスは口に人差し指を当てて「静かに」というポーズをして、


「秘密です。知っていますか?乙女には秘密がつきものなのですよ」


 何言ってんだこの下ネタメイド。


 そんな突っ込みが頭に浮かんだが、そっと頭の奥底にしまい込み、


「…………まあ、どうやって知ったかは、この際置いときましょう。でも。でもですよ。俺がそういうのを見てたのって、その、結構前ですよ?」


「そうですね」


 そうですねじゃないよ。何で知ってんだ。しかし綾瀬は突っ込まずに続ける。


「だから、その、今は別に漫画の続きが買いたいとか、アニメの円盤を予約したいとか、そういうとは無縁なんですよ、正直」


 それでもクリスは引き下がらず、


「そうだったとしても、です」


「また、なんで」


「直感です」


「直感、ですか」


 またとんでもないものが出てきた。クリスはやや真面目な色で、


「……正直なところ、私も、お嬢様も、どうしたら記憶が戻るのかという部分に関しては、これといった解決策を持ちません。時間が癒してくれるかもしれないとは思うのですが、やっぱり、あれこれと試してみたくはなるものです。そんな時に、お嬢様が「秋葉原」という場所を出してくださって、あ、それいいかも。と思ったのです」


「また、何ていうか……思い付きっぽい感じですね……」


「良いでは無いですか。それに、秋葉原は水神お嬢様と綾瀬様が一緒に訪れたことのある土地でもあります」


「え、そうなの?っていうか、それを先に言ってくださいよ」


 クリスは頭を下げ、


「申し訳ございません。一緒に訪れたといっても、あまり長い時間滞在したわけでは無かった様なので、理由づけには弱いかなと思いまして。それよりも、直感の方が強いような気がしたと言いますか……すみません」


 最後、クリスは自らの言葉で混乱するような形で二度目の謝罪を入れた。


 正直、秋葉原の何が彼女をそこまで駆り立てるのかはよく分からない。しかし、それ以上に分からないのは、


「まあ、良いですよ、なんかこう、しっくりきましたし」


 思った以上にその選択肢を魅力的に感じている自分がいることだった。興味を失ったつもりでいても、やっぱり趣味というのは捨てきれないものなのだろうか。


 クリスはまだ自分の発言に納得がいっていないようだったが、取り敢えずの方針が決まったことで思考をねじ切り、


「……そう言っていただけると幸いです。お嬢様もそれで大丈夫ですよね?」


 ずっと黙って話を聞いていた水神はいきなり話を振られてびっくりしたのか、


「え、あ、そ、そうね!それがいいと思うわ!」


 一体何がいいと思ったのだろう。完全に「聞いていませんでしたオーラ」が漏れ出ている。クリスが補足をするように、


「ありがとうございます。それでは、秋葉原まで車でお送りしてよろしいでしょうか?」


 綾瀬に確認を取る。横で水神が「ああ、そのことね」と呟いていたが、綾瀬は敢えて聞えなかったことにして、


「そうですね。お願いします」


「かしこまりました。それでは、車を店の手前まで移動させますので少々お待ちください」


 クリスはそれだけ言うと、店員と二、三言葉を交わし、店の外へと消えていく。恐らくはあのスポーツカーを車庫から出すのだろう。ご苦労なことだ。


 沈黙。


 綾瀬はちらりと横を見る。水神は、そんな綾瀬の視線には気が付かずに、店内をぼーっと眺めていた。不思議なものだ、数日一緒にいただけなのに、そんな姿に綾瀬は”違和感”を覚えた。一体彼女の何を知っているつもりなのだろうか。


「なあ」


 びくっ!


 おかしい。綾瀬はただ声をかけただけだ。それなのにその反応はちょっと変だ。ぶっちゃけ、傷つく。


 それでも綾瀬は話を続ける。


「秋葉原……って場所はまあ、良いんだけどさ。また何であそこなんだ?やっぱ、あれ?俺との思い出?でも、長い時間滞在したわけじゃないって話だしな……」


 水神がぽつりと、


「思いついたの」


「思いついた?」


 水神が向き直る。その顔は想像していたよりもずっと真剣だ。思えば水神の真剣な表情というのは初めてみたかもしれない。その圧に押し負けるようにして綾瀬はごくりと唾を飲み込む。


 水神が語りだす。


「正直な所、なんで秋葉原なのかは、私も説明できないの。もちろん、観月が漫画とかアニメを好んでいたってのは知ってたわ。だから、そういったものを見に行くのが楽しそうだな、とは思ってた」


 綾瀬は反論をぶつける。


「んならそれでいいんじゃねえの?どっかに引っかかってたんだろ」


「そう、だと、思うのだけど」


 煮え切らない。綾瀬は問う。


「それじゃ、なんで思いついたんだ?」


 水神は首を横に振り、


「分からないの。ただ、何となく「あ、秋葉原とかいいな」って思ったの。たぶん、観月の言う通り、前に考えたことがどこかで引っかかってたんだと思うんだけど」


 分からない。何がそんなに引っかかっているというのか。綾瀬は腕組みして考え込み、


「もしかして、だよ?もしかして、だけどさ。あれじゃないか?過去の記憶っていうか。そういうの。なんかヒントがあるんじゃないか?秋葉原に」


「そう、なのかしら」


「そうだって。ま、無かったら無かったで、そん時考えようぜ」


 水神は漸く微笑み、


「ええ、そうね」


 同意の意思を見せた。しかし、その真剣さは綾瀬にもしっかり伝染うつっていた。


(そういえばさっき、俺もなんかすごいしっくり来たな……秋葉原)


 綾瀬は首を横に振って思考をねじ切る。水神が不思議そうにのぞき込むがそれには気が付かない。


(未練、だよな。きっと)


 そう結論づけ、


「そういや、水神ってサングラスかけたりしないのか?」


「私?」


「そう。ちょっとかけてみなよ。似合うと思うし」


 水神はくすりと笑い、


「アジア系の売人が?」


「だから言うなって。しかもそれ、クリスさんだけだろ。言ってたの」


 そう言いつつ綾瀬も笑う。その時、ポケットでスマフォが震えたが無視を決め込む。だから綾瀬は気が付かなかった。そのバイブレーションが、一通のメッセージ着信を告げていたことに。


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