Ⅱ.集結
14.メイドさんは主と遊びたい。
「ここよ!」
ばんっと、いかにも誇らしげに両手を前方に掲げる
「マジすか……」
それなりの広さを持つ庭を備えた、豪華な洋館が出てくるなどとは全く思っていなかったのだから。ちなみに目の前に鎮座する館そのものにたどり着くまでに歩いてきた道は不自然なほどに「ちょうど人が歩ける分の幅」だけ、綺麗に草木が整えられていた。水神によれば「クリスも時間が無かったらしくて、取り敢えず人が住めるようにしたらしいの」とのことで、その周りに生えていた草木は荒れ盛りの伸びたい放題だった。
「今日からここが、私たちの家よ!」
そう宣言する。どうしてこんなことになってしまったのか。話はほんの数時間前に遡ることになる。
◇
「ん……?」
何だろう。
意識の外から音楽が聞こえてくる。最初、綾瀬は夢か、勘違いか、せいぜいが隣の家で音楽でもかけているのだろうという思い、再び意識を眠りの世界へと沈めていった。
しかし、
(……電話か?これ)
鳴りやまない。
よくよく耳を澄ましてみれば、その音は隣の部屋から聴こえてきたものにしてはやや鮮明すぎる。水神が音楽を聴いているのではないかとも思ったが、この二日間あまりで、その手のアイテムを持っているような気配は無かった気がする。と、いうかびっくりするほど何も持っていなかった。
メイドのクリスがこっそり持ってきたという可能性も考えられなくはないが、彼女の性格を考えれば、綾瀬を寝かせたまま、安眠の妨げにもなりかねない至近距離で、一人で音楽を聴くのはちょっと考えづらい。
そうなってくると可能性は限られる。
音を発するもので、部屋の中にあり、なおかつ水神のものといえば、
目を開け、身体を起こす。
「……やっぱり、か」
音の発生源がなんなのかはすぐに分かった。
スマートフォンである。
形に見覚えが無い以上恐らくは水神のものだろう。取り出しているのは見かけなかったが、流石にそれくらいは持ち歩いているようだ。ちなみに持ち主本人は、スマートフォンがいくら音楽を鳴らそうとも全く起きる気配はない。相変わらず綾瀬の隣で、幸せそうに夢の世界をふらふらしている。
「よっ……と」
綾瀬は水神のスマートフォンを取り上げる。
電話だった。
着信相手はクリス。メイドさんからの連絡だ。
流石に勝手に出るわけにもいかず、綾瀬は水神の体をゆすり、
「おーい。起きろー。電話だぞー」
反応なし。
いや、正確には反応があった。明らかに嫌そうに寝返りをうつという反応が。元々一人用のベッドに、しかも綾瀬の横にちんまりと寝ていた水神は見事にベッドから落下するが、
「むにゃ……」
起きない。掛布団も、ベッドも無い状態でも全く動じていない。一体どうしたら起きるのだろうか。地震が起きたら誰かが背負って運んでやらないと逃げ遅れそうだ。
綾瀬は再び手に持っていたスマートフォンを眺める。どうやらメイドさんにとってこれくらいのことは日常茶飯事のようで、未だに音楽が鳴り続けている。なんの曲だろう。余り耳慣れないものだ。流行りの音楽とかではないのかもしれない。もっとも最近の流行りなど綾瀬には分かったものでは無いのだが。
観念する。
流石に起きているのに無視はまずいだろう。
本当は、人の電話に勝手に出るのもどうなんだという気もしないでは無いが、なにぶん相手が相手だ。綾瀬と一緒の部屋にいることは知っているだろうし、綾瀬が出ても驚くことはないだろう。そう考え、スマートフォンを操作し、通話状態にし、
「もしもし」
「おかけになりました電話番号は、現在使われておりません。ピーという音の後に、メッセ―ジを残したり残さなかったりしてください。ピー」
「…………えぇ……」
反応に困る。
最初綾瀬は思わずズマートフォンの画面を確認してしまったが、きちんと通話状態になっている。相手もメイドさんことクリスで間違いない。それなのに聞こえてきたのはどう考えても録音ではない、肉声の、不在着信っぽい何かだった。どうしたらいいんだよ、これ。
気を取り直し、
「あのー……クリスさん……ですよね。俺、綾瀬
「寝ているのに、スマートフォンが手に取れる位置にある、ということは、一緒に寝た、という解釈でよろしいですね。つまりこれは、お嬢様もついに大人の階段を上られ、生まれたままの姿にシーツを一枚羽織り、なんとも言えないはにかんだ表情で「えへへ……おはよ」という訳ですね。分かりました。今晩は赤飯。それから鯛も必要ですね。今から一級品を準備するとなると少々手間取りますがご安心ください。このクリス。命に代えてもお嬢様の門出を祝って見せますので。それでは」
「いやいやいや」
「なんでしょうか。
「食材って」
突っ込みどころが多すぎた。綾瀬は取り敢えず一番大きい所を潰しておく。
「あの、別に水神は隣で勝手に寝てただけですからね。っていうか、メイドさん、そのこと知ってますよね?それと一緒ですよ。いつの間にか潜り込んでたんです。ホント、それだけですよ」
「本当にそうでしょうか?」
「え?」
「分かりませんよ。貴方様がすっかり眠りに落ちた深夜。お嬢さまはおそるおそる掛布団を取り払い、貴方様のズボンを、」
「いやいやいやいや」
意味が分からない。綾瀬は強引に話を進める。
「無いですって流石に。もし、そんなことしてたら流石の俺でも気が付いて起きますよ。現にこうやって電話で起こされたわけですし。水神に用があるなら伝えておきますよ。多分、今起こしても起きないような気がするんで」
クリスはあっさりと、
「まあ、そうでしょうね。お嬢さまはそういうお方ではありません。そして、無理やり起こそうとすれば拒絶反応を見せるでしょう。お二人で一人用のベッドに寝ている、ということは幅も狭いでしょうから、大方起こそうと思ったら拒否され、お嬢様自身は寝返りをうってベッドの下に転落し、それでもなお幸せそうに眠っているというところでしょうね。分かりました。要件は一つです。起きられましたらお嬢様にお伝えください。館の準備が出来ました。連絡を頂ければ車を迎えに行かせます。そうお伝えくださいますでしょうか?」
「え、あ、はい」
返す言葉が無かった。
と、言うより、そんなことも考えつかなかった。何故今まではあんなにふざけていたのに急に真面目になったのか?何故ついさっき水神(と綾瀬)に起こった出来事を完全に言い当てられるのか?館とは何なのか?車を迎えにいかせるとはどういうことなのか?そもそもこの幸せそうに眠る
クリスは続ける。
「ありがとうございます。それでは私、まだ仕事がございますので、これで失礼いたします。ああ、最後に、」
言葉を切り、
「先ほどは失礼いたしました。未来の主様と少しコミニュケーションを図ってみたかったのでございます。お会い出来るのを楽しみにしております。それでは、失礼いたします」
「あ、はい」
沈黙。
暫くして通話状態のままになっていることに気が付き、綾瀬の側から切断する。もしかしたら自分から通話を切るようなことはしないようにしているのかもしれない。メイドだし。
さて。
手元に残されたスマートフォンを取り敢えず元あった場所に戻し、状況を整理する。
今まで通話していた相手はクリス──つまりはメイドさんで間違いない。思っていたよりも大分癖のある人みたいだが、少なくとも悪い人ではなさそうだ。後、仕事は出来るに違いない。
問題は一つ。彼女が口にした「館」である。少なくとも綾瀬はこの二日余りの間、水神からそんな話を聞いたことは一度もない。「館」というからには何らかの建物だろう。洋館、別館。そんなフレーズが頭に浮かぶ。クリスの言う「館」が何なのかは……まあ、いずれ分かることだろう。どうやら水神を迎えに来てくれるようだし、きっと綾瀬もつれていかれるに違いない。
ひとつ息を吐き、綾瀬は水神に視線を落とす。掛布団も何もなしに、床に丸まっているだけなのに、なんとも幸せそうだ。ちなみに、このアパートに床暖房のようなリッチな機能は備わっていない。従って、この季節は布団から一歩外に出ると地獄のような寒さが待っているはずなのだが、その気配は一切感じない。よほど眠りが深いのだろうか。そういえばクリスも、起こそうとすると拒絶反応を見せると言っていた気がする。
寝入る水神を見つめていると、思わず昨晩のことがフラッシュバックする。あの時は全く考えなかったが、一晩明けて冷静になってみると随分と恥ずかしいことをしたような気がする。いくら感極まったからとはいえ、長年会っていなかった幼馴染に抱き着くようにして泣きじゃくるなど、とても二十歳を過ぎた大人のやることではない。
誰かが見ているかもしれない場所でなくてよかった。今のところ(監視などがされてなければ)このことを知っているのは綾瀬と水神の二人だけだ。綾瀬が口を割らなければ残るは水神だけなので、彼女に口外しないように言えばいい。もっともそんな約束を彼女がどう捉えるかは分からないが。
記憶を失った。だから、幼馴染と遊ぶ。その考えが最短経路なのかどうか、綾瀬にはまだ分からない。
ただ、ひとつだけ。彼女と再会したことで、綾瀬のどんよりと停滞していた日常に灯がともった。そんな気がしていた。
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