幕間
醜いセカイとメイドさんのコト
未来の主となるかもしれない男性――
「お嬢様、あまり先行するのはおやめください」
お嬢様は全く悪びれも無く、
「でも、こうしないと綾瀬さんが危なかったわ」
確かに。お嬢様と相対していた三人のうち二人は、今にも綾瀬に乱暴を働きそうな気配があったのは事実だし、それを止めることが出来たのはお嬢様が止めに入ったからに他ならない。その時間分、綾瀬は無駄な怪我をすることもなく済んだのは確かである。しかし、
「それでも、です。いざとなれば私がなんとかしますから、お嬢様はあまり、」
お嬢様が遮るように、
「それでも、こうやって、無事でしょ?」
笑顔を浮かべる。しかしその健気で美しい心は、残念ながら末端までは届いていなかった。
自信満々に語る口調も、割って入るために広げられた手も、仁王立ちとも言うべき足も、全てが小刻みに震えている。無理をしている。虚勢を張っている。そんなことは最初から分かっていることだ。
これでもお嬢様との付き合いは長い方だ。車を止めた時から……いや、違う。それよりもっと前、綾瀬をこっそりと付けていた時から予感はしていた。今にも一人で飛び出してしまいそうな、そんな蛮勇の予感が。一応、人の”気配”を察知するのは上手な方だ。あらかじめ制することはいくらでも出来たと思う。
では、なぜ止めなかったのか。
では、なぜお嬢様の先行を許したのか。
そんなことは簡単な話だ。最初は言葉を交わすのにも一苦労だったお嬢様が、人を庇うために必死になる。そんな姿が見て見たかったのだ。夜の街で、相手があまり質の良い連中ではないのも分かっていたのにも関わらず、である。
なんとも言い難い居心地の悪さを感じ、思わず右手で首筋を掻く。
「それは認めます。ですが、次からはあまり独断で先行するのはおやめください。勇気ある行動も、行き過ぎれはればただの無謀です。それに何かあってはご主人様も悲しまれるかと」
お嬢様はまだ半分くらい納得していなそうな気配ではあったが、
「……分かった。次は気を付ける」
取り敢えず誓ってくれた。
痺れを切らしたのか子猿Aが不機嫌そうに、
「なんか完結してるところ悪いけどさぁ。アンタら、邪魔なんだわ。どいてくんね?別に邪魔しなけりゃ痛い目にあわせたりはしねえからさぁ」
子猿Bも同調する。
「そうそう。俺らだって女の子を傷つけたりはしないワケ。紳士だからな」
爆笑。
全く笑えなかった。
そもそも紳士ならこんなことはしない。
三匹の猿は到底話しあいでどうにかなる相手ではない。そうなってくると選択肢は限られる。この場は、力を示しておくのが一番だろう。取り敢えずはお嬢様の安全を確保せねばならない。そう思い、お嬢様を庇うようにして、三匹の猿たちから離れるように促す。お嬢様もそれを察したのか、転がって気持ちよさそうに眠っている綾瀬のそばへと向かう。子猿Aが、
「てめえっ」
間に入る。そして左手をばっと広げ、静止させる。子猿Aは苛立ちを全く隠さずに、
「あぁ?なんだよアンタ。ちょっと邪魔だからどいてろってのが、」
「五分です」
「は?」
「三人でかかってきていただいて構いません。今持っている手段を全て使って、全力で、私を殺すつもりでかかってきていただいて大丈夫です。その上で、」
言葉を切り、
「貴方達が降参するのにかかる時間は五分。そう、申し上げているのです」
瞬間。
時が止まる。
やがて、子猿二人が激高し、
「このアマ……調子に乗りやがって……」
「兄貴ィ!こいつこんなこと言ってますよ!」
兄貴と呼ばれたボス猿は静かに、
「……やってやれ。俺が出るまでもねえだろ」
ボス猿の許可が出ると二人の子猿は待ってましたとばかりに、
「「了解!!」」
襲い掛かる。二人とも散々焦らされた上に煽られたからか、すっかり頭に血が上っている。流石に殺すとまではいかないまでも、病院送りくらいは考えているだろう。相手は女。しかも一人。簡単かつ楽しい”ゲーム”。恐らくはそう考えているはずである。
そんな二匹の子猿の力量は既に大体見極めていた。ここまでの立ち居振る舞いからして、三人、少なくともボス猿以外は大したことない。格闘技もろくにやったことのない、粗削りな、無鉄砲と経験値だけが取り柄の、隙だらけの戦闘スタイル。こちらの服装が
この手のごろつきだ。最悪銃の一つや二つくらいは持っていることも想定したが、服の上から見る限りではその可能性もほぼ皆無といっていい。ボス猿だけはもしかしたらということがあるが、持っていたとしても、それ一つで戦況が変わるほどではない。五分と言ったが、単純に「倒す」だけならば恐らくは一分も要らない。
では何故「五分」としたのか。その理由は簡単だ。
「くそっ……ちょこまかと……っ!」
「このアマ……逃げんなっ!」
大振りで、しかも全く統率の取れていない連携攻撃など、両手を封じられていたとしても当たることはない。構えだけは崩さないまま、ちょっとづつ相手の攻撃をかわしていく。大振りの攻撃を続ける子猿たちは疲弊し、最低限の動きで見切って避けているこちらは息一つ上がらない。これだけでも明らかな格の違いが感じられるはずである。
しかし、それだけでは十分ではない。今回は五分で彼らを「降参」させなければならないのだ。未だ手を出すことなく傍観に徹しているボス猿をしとめることを考えるとタイムリミットはそろそろだ。三、二、一。
「おらっ!……えっ、」
「遅い」
子猿Aが繰り出した渾身の右フックをしゃがんでかわし、一気に距離を詰め、
「……はっ!」
「がっ……!な、何……?」
腹部にあいさつ代わりの一撃。これでも加減はしたつもりだが、ノーガードだ。感触からして鍛えている感じもない。これでしばらくは立ち上がれない。
「え……えっ?」
子猿Bが動揺する。余りにも隙だらけ。どうやら今、目の前で起こった出来事が理解できていないらしい。それならば、理解できない内に沈んでもらったほうが絶望感はあるだろう。瞬時に標的を子猿Bに定め、
「……はあっ!」
「……が……あっ……」
思い切り蹴り上げる。これも加減をしたが、虚を突いた一撃は思ったよりも衝撃があったようで、子猿Bの体が面白いように転がっていった。こちらも間違いなく戦闘不能だろう。意識はあるかもしれないが、立ち上がって再び襲い掛かろうなどという感情は湧いてこないはずである。
さて、そうなると残るのはあと一人だ。隙を見せないように、すぐさまボス猿の方を向いて立ち上がり、ファイティングポーズを取り、
「さあ、後は貴方だけです」
戦闘開始。そう思ったのだが、
「やめだやめ。降参。抵抗しねえから構えを解いてくれ」
ボス猿はそう言って両手をあげる。こちらの構えは解かずに、
「流石にそれは出来ませんね。油断を誘うための作戦という可能性がございます」
ボス猿は自嘲気味に笑い、
「はっ。そんなこじゃれた作戦はねえよ。単純に敵わないと思った。それだけだ。もう手は出さない。さっさとそこで気持ちよさそうにしてるやつ連れてどっかいきな」
到底信じられるものではない。しかし、抵抗する気もない相手に攻撃をするというのも気が引ける。仕方ない。気にはなるがこちらから仕掛けるほどではないだろう。警戒の意識は残したまま構えだけを解いて、
「……いいでしょう。こちらとしても無駄な争いはしたくありません」
お嬢様と綾瀬の元へと向かう。綾瀬は大丈夫だろうか。この寒空の下だ。ずっと寝ているというのも良くない。早く彼を連れて、車に戻、
「…………そこです!」
振り向きざまに、背後へと思い切り蹴りを入れる。
「がっ……!……なん……で……」
ボス猿だった。手にはナイフ。油断したところを襲う気だったのだろう。狙いは悪くないが、残念ながら相手が悪い。少なくともその辺のごろつきに隙を突かれた程度で怪我をするほど、衰えたつもりは無い。
倒れこみ、動けなくなるボス猿を確認した後、お嬢様の元へと向かい、
「お嬢様。早急に移動しましょう」
すっかりと座り込み、綾瀬のことを眺めていたお嬢様は、
「それは、難しいかも」
「何故ですか?」
お嬢様は顔だけ振り向き、
「……立てないの。力が、入らなくて」
苦笑い。なるほど。よく見てみれば座り込んでいるといえばへたり込んでいるという表現の方が正しい状態だ。恐らくは腰が抜けてしまったのだろう。クリスは軽く頷き、
「分かりました。少々お待ちを」
そこらに転がっていた三匹の猿を確認しに行く。もしかしたらということも考えてはいたのだが、どうやら杞憂だったようで、三匹とも完全にノックアウト状態でうごめいていた。ただ流石に意識はあるようで、このまま放置しておくのもやや危ない。そう思い、順番に”先ほど綾瀬に使った布”を使って眠らせたうえで、全員の顔を写真に収める。何事も無いとは思うのだが一応、念のため、だ。一通りのやるべきことをこなしてお嬢様の元に戻り、
「ただいま戻りました。あそこの有象無象は起きる気配がなさそうなので、まずお嬢様をお運びいたしましょう」
お嬢様は首を横に振って、
「先に、綾瀬さんを連れて行ってあげて」
否定。
「いえ、先にお嬢様です」
「どうして」
「綾瀬様はこのままでも正直、誰かがちょっかいを加えるということは無いと思うのです。なにせこのありさまですから」
ゴミと仲良くしている綾瀬に視線を向ける。何とも酷い状態だ。お嬢様もつられて目線を動かす。
「でも、お嬢様をこのまま放置しておくのは正直、危険を感じます。と、いうわけで、」
「わっ!」
有無を言わさずにお嬢様を抱き上げる。
「……あの」
ずんずんと歩みを進める。時間はあるが、さっさと撤収してしまいたいのもまた事実だ。その合間に、
「なんでしょうか?」
「……どうしてお姫様抱っこ?」
「それは。抱きかかえる相手がずばり、お姫様だからです」
即答。しかし、お嬢様は全く納得がいかないようで、
「や、お姫様ではない、と思うけど……それに、その、これ……」
そこで口ごもる。クリスは先読みし、
「ああ、恥ずかしい、と」
瞬間。お嬢様の顔が真っ赤に染まる。ボンッという音がしそうなほど分かりやすい変化だった。クリスは実ににこやかな笑顔で、
「大丈夫ですよ。それが目的ですから」
「羞恥プレイ!?」
ははは、とクリスは笑い飛ばす。クリスの腕の中で、お嬢様が「うぅ……」と顔を隠すようにうずくまろうとする。
沈黙。
後でも良いことだが、いいタイミングだ。聞いておこう。
「先ほども聞いたことではあるのですが」
「……うん」
「どうしてあんな無謀なことをしたのですか。私が間に入っていなければお嬢様も危なかったかもしれないのですよ?」
「……分かってる」
「それでは、何故」
暫くの間。
やがて、ぽつりと一言だけ、
「それが、私の理想だから」
そう答える。その目が見つめているものが何なのかは、言われなくともすぐに分かった。
「分かりました。それがお嬢様の望みならば、私からは申し上げることはありません。ただ、ひとつだけ。今後は先ほどのような危険な行いはお控えください。それだけは、どうかお願いします」
お嬢様は小さく頷き、
「うん。ごめん」
それだけ呟いて、瞼を閉じる。緊張の糸がほぐれたのだろうか。
無理もない、とクリスは思う。そして、けしてお嬢様の耳には届かない呟きをこぼす。
「お嬢様の願いは、きっと届くと思いますよ」
空を見上げる。残念ながら雲が多く、星空を眺めることは出来なかった。しかし、
「……綺麗な月、ですね」
ただひとつ、丸にはほど遠いものの、確かな輝きを持った月だけが、二人を照らし出していた。
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