11.預けないで引き出そうとするのはただの強盗。
「ここだ」
「ここ……?」
水神が振り返り、
「ここって、ゲームセンターよね」
おっと、存在自体は流石に知っているらしい。
「そう。来たことあるか?」
「ええ。多分、だけど」
前言撤回。どうやら未知の存在では無かったらしい。それならば話は早い、
「そっか。んじゃまあ、どういう所かは説明するまでもないな。いや、実はさ。俺も最近来てなかったんだけど。なんか、直感でここがいいかなーって。どうだ?」
「
「俺?」
水神が頷く。
「うーん……来たかった……まあ、最近来てなかったし、久々に行くのも悪くないかなぁとは思ったな。後はまあ、水神と行く場所って考えた時に、ここが一番楽しめそうな気がした……ってところかな」
そんな回答に水神は、
「それは、私の為にここを選んだってことかしら?」
「ん?」
「観月は、自分の為では無く、私の為に、ここを選んだ、のかしら?」
何だろう。何が引っかかっているのか
「両方じゃないかと思うぞ」
「両方……」
「そ、両方。別に俺はここ以外のどっかにすげー行きたい!って思ってたのを押し殺してここにしたわけじゃない。でも、ここを選んだのは俺が行きたいからってだけじゃなくて、水神と行ったら楽しめそうだから。水神が好きそうだからってのも理由になってる。まあ、要するに両方。一石二鳥、って感じかな?」
終わりの方は自分でも何が言いたいのか分からなかった。ただ、取り敢えず水神には伝わったようで、
「それなら大丈夫ね!」
晴れ渡るような笑顔を見せてくれた。
◇
店内に入ると雰囲気がガラッと変わる。やや暗めの照明。ところどころから聞こえるはしゃぐ声。クレーンゲーム機がチープで陽気な音楽を奏でながら手招きし、子供向けと思わしきゲーム筐体からどっかーんと大きな効果音が鳴り響く。店内放送が16歳未満のお子様でも保護者が同伴していれば22時まで遊ぶことが出来ると周知する。
綾瀬はざっと店内を見渡しながら、
「さて。何からやろうか」
水神の返事は予想通り、
「観月のお勧めがいいわ」
なんともエスコートの簡単なお嬢様である。世の女性が皆こうだったら、モテる為のテクニック本は半分くらい消滅するのではないか。
綾瀬は少し悩んだ後、
「取り敢えずはクレーンゲームかね。定番の」
「クレーンゲーム……」
水神は眼前にある筐体群を見つめながら、
「でもあれは、引き出すことの出来ない貯金箱だって聞いたわよ」
綾瀬は思わず水神の方を振り向き、
「え、誰に?」
「あ、」
水神は何かに気が付き、
「……お父様の、会社の人に聞いたの。ちょっと、そういう話をすることがあって」
視線を逸らす。
誤魔化した。女性の機微が分からなすぎると何度も久我に呈された綾瀬でも流石に今のは分かる。どう見ても何か「言ってはいけないこと」を口走ってしまいそうになったし、それを言わないために変わりの言い訳をいま考えたとしか思えない。ただ、もしそうだとしたら、彼女がうっかり口を滑らせてしまったのは、クレーンゲームに関する、
「と、取り敢えずやってみましょ!」
水神がぐいっと綾瀬の手を引く。完全に話を終わらせようとしている。
どうしよう。
正直、何を隠しているのかはかなり気になるし。そうでなくとも彼女には謎が多い。妹経由で裏が取れた以上、一応綾瀬と幼馴染であるという部分に問題はなさそうだが、それ以外に関しては疑わしい点が多い。
記憶喪失だって、診断書を見た訳でもなければ、きちんとひとつひとつ覚えているかどうかを確かめた訳でもない。部屋の鍵だっていつでも開けられるような状況になっている訳で、今この瞬間、部屋の中を誰かが物色していないという保証はどこにも無いはずなのだ。
ただ、それでも、彼女が綾瀬に危害を加えるつもりがあるとはどうしても思えなかった。金銭目当てならば、わざわざ綾瀬を部屋まで連れて帰り、メイドに着替えさせ、一夜を共にする必要もない。
正確に確かめた訳では無いが、少なくとも財布の中身をごっそり持っていかれているということは無さそうだし、宝石の類をタンスに後生大事にしまい込んでいるということもないから、なにか物をとられても正直痛くも痒くもない。もし何かの理由で綾瀬の口を封じるつもりなら、夜の間にいくらでもチャンスはあったはずで、今もなお、こうやって五体満足でゲームセンターにいるというのは考えづらい。
なるようになるさ。
気にはなるが、悩んでも仕方がない。そんな時に使う、綾瀬お得意のフレーズだった。いつの間にかすっかり口癖となってしまっていて、そんな言葉を頻繁に使うのはやめたほうがいいと、割と真剣な表情で久我に注意されたフレーズ。ただ、今日ばかりはこの言葉がふさわしい。そんな気がした。少なくとも、今までよりも悪い方向に転がる様には、どうしても思えなかった。
だから、
「分かった分かった。引っ張らなくてもクレーンゲームは逃げないって」
あえて聞かない。それが正しい選択かは分からない。ただ、もしそれが綾瀬にとって必要なことであれば、いずれ自分の口から語ってくれるのではないか。そんな確信に似た予感があるのもまた、確かだった。
「んで?これにする?」
到着。
水神に引っ張られるようにして一つの筐体に行きついた。これは……なんだろう。ゆるキャラ?
「これにするわ。これ、人気なのよ」
「人気、ねえ」
綾瀬は改めて景品をじっと眺める。確かに良く見てみると可愛いと言えば可愛い。全体的に丸っこいフォルムに、くりっとした両目。オレンジ色の体だが、目の回りと腹部は白っぽく、腹部にはこれぞまさにデベソという突起が自己主張している。どうやら何かのマスコットらしいのだが、この手のものにとんと詳しくない綾瀬にはさっぱりである。ちなみにサイズは結構大きい。
「これ、ホントに取れるのか?」
疑ってかかる。
一応、どんな手段を用いても取れないような景品は置いていないはずだし、もし仮にそんなものが置いてあるのならば訴訟は確実である。ただ、それはあくまで可能性の話であり、じゃあ実際にやってみてどうかと言われれば正直取れる気がしない。
この手の景品で、フィギアなんかは原価数百円で作られているらしいが、実際に自分で手に入れようとすると、その数倍かかるのは日常茶飯事である。
上手い人ならば話は別だが、下手な身としては自分で取るよりも、さっさと中古ショップなどに出回っているものを買ってしまった方がいいと思ってしまうのだが、そのことを昔友人に話したら「綾瀬って、ロマンがないねぇ」と言われてしまったことがある。ちなみにその言葉を放った張本人は以前「宝くじなんて買うだけ無駄なのに、良く並ぶなぁ。不思議」と言い放ったこともある。情緒不安定か。
もっとも、水神はそんなことはまったく気にせずに筐体に小銭を、
「あ」
気が付いた。気が付いてしまった。そうだ。このお嬢様は現金を持ち歩いていないんだった。綾瀬は財布から小銭を取り出し、
「ほれ」
水神にじゃらっと手渡す。足りなければまあ、両替してこよう。水神は流石に申し訳なさそうに、
「ご、ごめんなさい」
「いや、いいよ。こうなることを想定して無かった俺が悪い」
「でも」
「いいって。後で返してくれるんだろ?気にすんなって」
「う、うん」
チャリンという音がして、小銭が吸い込まれる。筐体が元気いっぱいに操作説明をする、景品をよく見てクレーンを止めるのがコツだとアドバイスする。果たしてそのアドバイスは役に立つのだろうか。クレーンのアームは、少なくとも一回で取れるような強さには設定されていないだろうに。少しづつ根気よくずらしていこうと現実を知らしめたほうが良いのではないか。
「よしっ」
水神が気合を入れる。いつの間にか腰をかがめていた。景品のぬいぐるみと目線があう。相手は笑顔だが、こっちは真剣そのものだ。
ボタンを押す。数世代前のゲーム機のような効果音と共に、ぐらぐらと揺れる頼りない感じのクレーンが動き出す。最初は横の動きだ。まだ早い、もう少し、
「えいっ」
「おお」
クレーンの動きがぴたっと止まる。完璧かどうかは分からないが、ぱっと見では割と良い位置に止まったように見える。そうなると次は縦の動きだ、
「むむ……む」
水神はクレーンゲームのガラスに張り付くようにして場所を移動し、縦の位置関係が見やすいようにする。途中ぶつかりそうになり、綾瀬は慌てて避けた。どうやら彼女の目にはもう、景品のぬいぐるみと、クレーン以外見えていないらしい。ものすごい集中力だ。
大体の位置関係が把握できたのか、水神はぎりぎりの位置にあるボタンを押す。
クレーンが再び動き出す。
クレーンゲームの筐体は基本横長なので、縦の動きはほんのちょっとでいい。少しずらしたところで再びボタンを強打する。クレーンは縦の移動をやめ、眼下に鎮座しているぬいぐるみめがけて降下する。ここまでくるともう出来ることは少ない。せいぜいが、筐体を揺らしてしまわないようにすることか、上手い具合に引っ掛かり、出来る限りの距離を移動することを祈るのみで、
「お」
クレーンが景品に到達すると、いかにも弱弱しい動きでぬいぐるみを掴む。そもそもからして形がおかしいんだよなと綾瀬は思う。この手のゲームのクレーンはパッと見しっかりしているように見えるし、景品一つつかみ取るくらいなんともないように見えるのだが、実際の所そんなことはまったくない。
水神が狙っているぬいぐるみはかなり大きなもので。クレーンもそれ相応の大きさをしてはいるが、所詮は上から鷲掴みである。ぬいぐるみの重量を考えると、相当の力が必要になるはずだが、残念ながらこの手のアームはそこまで力強いものではなく、
「あ」
水神が声を上げる。
掴み上げたかに見えたぬいぐるみは、ほんの少し動いただけであっさりと落下する。
そう、大体がこうなるのだ。景品を落とすための穴にはまだまだほど遠いが、水神が全くの初心者であることを鑑みると、むしろ大分健闘した方では無いだろうか。クレーンゲームとはつまりこういった地道な作業を繰り返していく遊びなのだ。クレーンで掴んで、一気にというような派手な遊び方が出来るようには、まずなっていない。だから人は言うのかもしれない。取り出すことの出来ない貯金箱、と。
「なかなか難しいわね……」
腕組み。流石にそう簡単ではないことを悟ったらしい。綾瀬は苦笑しながら、
「だろ?」
「ええ。でも、何となく分かったわ」
「何が?」
「やり方よ。ちょっと失敗しちゃったけど、次は上手くできると思うわ」
「ほう」
水神ははっきりと宣言し、筐体の回りをへばりつくようにして回る。あらゆる角度から位置関係を把握しているのだろうか。やがて、欲しい情報が集まったのか、ボタンのある正面へと移動し、二ゲーム目を開始する。再び陽気な音楽と、ズレた音声が流れだす。水神はぬいぐるみとクレーンの位置関係をしっかり把握できるよう中腰になり、
「ここね」
ボタンを押す。横の移動をしていたクレーンがぴたりととまる。
「おぉ」
驚いた。
最初の時もそうだが、水神はかなり正確にクレーンの位置を操作しているように見えた。今回はぬいぐるみの真上ではなく、ほんの少しだけズレた位置で止まっていた。きっと何か考えがあるのだろう。
「それから……」
呟きながら縦の位置関係を確認する。相変わらず回りは一切見えていない。やがて、ボタンを押してクレーンを動かし、
「そこよ!」
ぴたりと止める。少しの間があってからクレーンがふらふらと揺れながら下降しはじめる。相変わらず弱弱しい動きだが、水神はその動きをじっと見つめている。その視線は祈りというよりもある種の確信がこもった力強さで、
「おお?」
ぬいぐるみを捉えたクレーンを見て、綾瀬は思わず声を上げる。先ほどは真上から掴み上げるという感じだったが、今度は違う。少しずれたところを掴んでいることもあって、傍から見れば失敗しているようにも見えなくはない。ただ、その見立てが全くの見当違いであることはすぐに分かった。
そもそもクレーンが持ち上げるのはフックのついた置物では無く、ぬいぐるみである。アーム自体が強い設定にされているのであればともかく、少し移動するだけでぐらぐらと揺れるような設定である以上、ぬいぐるみを鷲掴みにしても滑り落ちてしまう可能性が高い。実際、さっきはまさにその状態になっていた。
だからこそ、水神は中心から少しだけずらした位置でクレーンを止めたのだ。その理由は一つ。
「あら」
無情にも、クレーンはぬいぐるみをぽとりと落とす。ただ、その移動距離は一回目よりも明らかに長い。
綾瀬は感心しながら、
「わざとずらしたってことか」
「ええ、そうよ」
即答だった。
そう、相手はぬいぐるみなのだ。鷲掴みにして持ち上げられるほどの軽い相手では無いし、おあつらえ向きのフックが付いている訳でもない。形だって当然左右非対称だ。水神の狙う獲物は、形がやや歪で、真上からつかみ取るには適していない。それだけのことなのだが、
「にしても、」
綾瀬は落下してしまったぬいぐるみを見つめ、
「また、随分簡単に動かすね……」
まだ二回目ということもあり。流石に出口までの距離はある。しかし、このペースで動かしていくと仮定するとその距離は思ったよりも短い。ここまでの二回を含めても、十回かからないのではないか。
「そうかしら?まあ、いいわ。これでやり方は分かったから」
そう言って水神は再び筐体にへばりつく。どうやら、綾瀬の出番はないらしかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。