8.幸せを探すために必要なこと。
起き抜けとはいうものの、
その間、綾瀬はスマートフォンでひとつのメッセージの送信と、ひとつのメッセージへの返信を行った。
送信した相手は妹。内容はずばり過去のことだ。
本人がああいっている以上、あまり疑ってかかるのも良くないとは思うのだが、念には念を入れて彼女の名前を出して、過去の事実と突き合わせてみたかったのだ。
結果として、妹は覚えていなかったものの、偶然近くにいた母親が答えてくれたらしく、一時期綾瀬家が懇意にしていた隣家の苗字は水神で間違いないという裏が取れた。ちなみにそれ以上は実家に帰ってきたら教えてくれるとのことだったので、やんわりと断っておいたというのは妹の弁だ。我ながら出来た妹だと思う。
そして返信した相手は
内容は殆どが無事についたかという確認。どうやらずっと通知に気が付いていなかったらしい。申し訳ない半分、そんなに心配するのなら家に泊めてくれたっていいじゃないかという感情もわいてきたが、後者はそっと心の中にしまい込んだうえで、ひとつ、返事を書いた。色々ごたごたはしましたが、一応たどり着きました。細かいことは落ち着いたら連絡します。
そんな連絡も済ませ、着替えも終えた後、行儀よく座布団の上に座りながら部屋を博物館にでもいるような目線で眺めていた水神を現実に引っ張りもどして、表に出てきて今に至る、という訳なのだった。
ちなみに水神の上着はどうするのかと思っていたら、なんと玄関の下駄箱上にこれでもかというくらい綺麗にたたんでおいてあった。クリスという人がやってくれたのだろうか。どうも相当優秀なメイドのようだった。
「さて」
腰に手をあて、仁王立ちのまま綾瀬は、
「水神」
「なにかしら?」
隣……というよりは下の方から水神の声がする。もっとも、声がしただけで、意識は綾瀬の方には全く向いていないが。しゃがみこんで一体何を見ているのか。
綾瀬は続ける。
「朝……っていうか時間的には昼飯なんだけど、何がいい?」
「任せるわ」
即答。綾瀬は粘る。
「いや、まあ、任せてくれてもいいんだけどさ。ほら、もうちょっとこう、なんか、好みとか」
「
再び即答。そしていきなりの観月呼び。いや、一応幼馴染ではあるのだが、暫くぶりの再開で正直良く覚えていなかったわけで、実質イチからのスタートのはずなのだが、彼女に心理的なバリケードのようなものは無いらしい。ぐいぐいくる。物理的な距離は遠くなる一方だが。こら。どこへいく、どこへ。
綾瀬はなおも粘る。
「……そう言ってくれるのは嬉しいんだけどさ。ほら、折角の記念だし、やっぱりお互いの好きなものが」
「あったわ!」
聞けや人の話。
水神は立ち上がり、
「はい、これ」
何かを綾瀬に手渡してくる。
「あ、ああ」
受け取ってみて漸く水神が何をしていたのかが分かった。
四葉のクローバーだ。
築年数だけが取り柄のアパートは当然そこまで入念な手入れがされているわけでもない。流石に色んなものが生えっぱなしで歩きにくいなどということにはならないように気を使っているようで、定期的に機械で草を刈る音が聞こえてくるのだが、裏を返せばそれくらいの手入れしかされていないということにもなり、つまるところそれなりに雑草が生い茂っているといってよく、その中には当然クローバーもあったりするのだが、
「さっきから何をしてるのかと思ったら、これ探してたのか?」
「ええ、そうよ」
正解。
どうやら彼女は人の話そっちのけで四葉のクローバーを探していたらしい。一応声はしていたので、全く無視してたわけではないようだが、
綾瀬は手元のそれを根元を持ってくるくる回しながら、
「何でまた四葉のクローバーなんかを……」
水神は「どうしてそんなことを聞くの?」といった具合に首を傾げ、
「どうしてそんなことを聞くの?」
当たってたよオイ。分かりやすいな。
「いや……だって、別に珍しくなくないか?四葉のクローバー」
綾瀬はそういって再び手元のそれをくるくる回しながら観察する。
通常クローバーというのは三つ葉であることが多く、四葉のクローバーというのは珍しい。だからこそその存在は幸運をもたらす。話の出所も、何ならクローバー自体が一体どんな植物かを知らなかったとしても、知っているような話だ。子供のころならいざ知らず、綾瀬くらいの年齢になるとそんなものは気に留めなくなる。正直な所、アパート近辺にクローバーが生えているということすら今知ったくらいだった。
そんな四葉のクローバーを、熱心に探していた。もしかしたら余り見る事が無かったのかもしれない。うん、きっとそうだ。
「そうね。珍しくは無いわね」
違うのかい。
「だったら何で、」
「だって、幸せになれるのよ。無いよりは有った方がいいじゃない。それに、」
言葉を切り、
「今日は、記念すべき日だから。そんな日にはぴったりじゃない。そう思わない?」
思わない。
ここでそんな言葉を返すやつはきっと心が死んでいると綾瀬は思う。いや、もちろん、今日が記念すべき日なのかはまだ分からないし、それにしたってもっとふさわしいものはいくらでもあるような気がするし、間違ってもその辺に生えている草などではない気もするのだ。このお嬢様のことだ、それこそホテル一つ貸し切ってパーティーを開催するくらいは訳ないはずである。
それでも。
「まあ、そういう考えもある、かもな」
綾瀬はそう言って、ずっと弄んでいた四葉のクローバーを財布の中にしまい込み、
「んで?何か希望はありませんか、お嬢様?」
水神は若干不思議がりながらも、
「特には無いわ。観月の好きなものにしてちょうだい」
選択権をゆだねる。どうやら彼女は意地でも綾瀬に任せたいらしい。
「……分かった。んじゃ、あそこにするかなぁ」
「どこかしら?」
「ん?それはまあ、ついてからのお楽しみってことで。取り敢えず行きますかね」
歩き出す。水神もそれにトコトコとついていく。
今日が記念すべき日なのかどうかはまだ分からない。それでも、確かなことがふたつある。ひとつは、さっきもらった四葉のクローバーはきっと大切なものになるということ。そして、もうひとつは、これをくれた彼女が本当に幸せを運んできそうな笑顔だった、ということだ。
空を見上げる。雲一つない快晴だが、季節が季節故にそこまでの暑さはなく、むしろ快適なくらいだ。より専門的な基準で言えば雲の割合が一割以下の場合は快晴に分類されるらしいが、そんな区分すら無意味に感じるほどだ。上着などいらなかったかもしれない。
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