4.僕を救う、一握りの御伽噺。

 取るべき行動が一度決まると早かった。何をするにもまずは現在地を確かめなくてはならない。スマートフォンのGPS機能を使っても良いのだが、駅前に出られてしまうのならばそれが一番早いはずである。既に大分歩いた。どこかに地図でもあればいいのだが。


 見渡す。


「ん」


 一か所で視線が止まる。


 公園だった。


 いや、公園と称するのにはちょっと力不足かもしれない。遊具も無ければ砂場もない。キャッチボール出来るような広さも無いし、周りに囲いらしい囲いもない。道路沿いの「ちょっと余ってしまったスペース」に適当に木を植えて、ベンチとオブジェの中間くらいの物体をいくつか配置しただけの場所。”本人”は自身を「ふれあい公園」だと自称するが、一体この狭い空間で何と触れあうというのか。


 そんな公園未満の空間に、それもこんな遅い時間に人がいた。


 しかも三人。


 申し訳程度の街灯が、管理不行き届きで伸び放題となっている木々に覆われているせいで正確な顔は見えないが、ある程度の姿は見える。恰好そのものは三者三様だが、その方向性は概ね一緒に見えた。だぼだぼのパーカーに馬鹿でかいヘッドフォン。邪魔じゃないのか本気で心配になるレベルの金ぴかに光るアクセサリ。重さで耳が取れるんじゃないかとすら思うレベルのイヤリング。


 見える限りでどこを切り取ってもまあ、夜の街に良くいそうなファッションだった。正直お近づきになりたくはない。公園の近くに設置されている地図らしきものを確認しようと思ったのだが、やめにしよう。そう思って視線を、


「あ」


「あん?」


 目が合った。三人の中で一番ガタイが良い、恐らくはボス猿と目が合ってしまった。


 さあ、どうする。こういう時の選択肢は大体三つだ。


 ひとつ。関わり合いになりたくないので、全力で走って逃げる。


 綾瀬の体力を考えれば余り取りたくない選択肢ではあるが、何も夜通し追いかけっこをするわけではない。やつらだって、ただ目が合っただけの相手にそこまで付きまとったりはしないだろう。


 もし、しつこく追いかけてくるようであれば、最悪そこらのコンビニに逃げ込んでしまうというのも手だ。恐らくは店員が一人いるだけだろうし、向こうからしたらクソみたいなトラブルを持ってくる迷惑な客かもしれないが、背に腹は代えられない。やつらだって、コンビニで暴力沙汰を起こすほど血気盛んでは無いだろう。


 ふたつ。やはり関わり合いになりたくないので無視を決め込んでそのまま歩き去る。


 綾瀬の体力を考えればこれが一番現実的だろう。ひとつめの選択肢では相手が敵意を持っている前提で話を進めてしまったが、そもそも現実に起こったことといえば綾瀬とボス猿の目があっただけである。


 別に敵意など持っていない可能性も十分にあるし、もし、敵意を持って追いかけてきたのであれば、その時点でひとつめの選択肢に切り替えてもいい。最初から逃げてしまうと相手を煽ってしまう危険性があるが、これなら最悪何事もなく平和に解決できるかもしれない。ラブ&ピース。そんな選択肢だ。


 みっつ。足を止めて彼らを待ち、説得を試みる。


 単純な話で、綾瀬は別に彼らに敵意を持っている訳ではない。そして、彼らだって無駄な争いをしたい訳では無いだろう。お互いがお互いを害する気がないと理解出来れば、事態は円満に解決するかもしれない。なんなら友達になれて、助けてもらえるかもしれないね?


 というみっつの選択肢が考えられたわけだが、綾瀬が取った行動はというと、


「おい、あんた。俺らに何か文句あんのか?」


 よっつめ。足を止める上に説得も出来ない。最悪の選択肢である。我ながら情けないことに、現実的な解決策を取る勇気も体力も持ち合わせていなかった。


 三匹の猿――厳密には一匹のボス猿と、二匹の子猿はあっという間に綾瀬と目を見て会話出来る距離まで歩み寄る。


 子猿Aが笑いながら、


「つか、何、それ。きったねぇ」


 子猿Bも同調して、


「うーわー……ホントだ。あんま寄んなよ、きたねえから」


 汚い汚い連呼されて初めて気が付いた。綾瀬のコートにはしっかりと、調子に乗って飲みすぎた証拠吐瀉物がこびりついていた。


 コンビニで気が付かれなかったのは、店員が適当だったのもあるかもしれないが、裾の方だったので気が付かなかった、というのが正直な所だろう。深夜のバイトということもある。そこまで人の服装に注目はしていなかったはずである。自分で違和感を持たなかったのも不思議だが、それくらい切羽詰まっていたということなのだろうか。


 子猿Aがボス猿に、


「兄貴ィ~こいつどうします?」


 ボス猿が「ああ」と「おお」の間位の返事をし、


「お前」


 綾瀬に話しかける。


「は、はい」


「何でこっち見たんだ?」


 これは。弁明の機会を与えてるのだろうか。綾瀬は必死で、


「い、いや、別にみるつもりがあった訳じゃないんだ」


 ボス猿の後ろにある立て看板を指さして、


「あれ。あの地図を見ようと思って」


「あぁ?」


 ボス猿は後ろを振り向き、


「はっ」


 鼻で笑う。子猿Aが、


「ばっかじゃねえのお前。あれは地図なんかじゃなくて、公園ではこういうことしちゃいけませんよーってやつだっての」


 子猿Bも続いて、


「嘘つくならもっとましな嘘つけってんだ、よ!」


 綾瀬を軽くどつく。相手もちょっとした戯れのつもりだったのだろう。が、なにせ今の綾瀬はふらふらである。飲んだくれ、一度吐き、電車で二駅分近い距離を歩いてきたばかりの状態だ。抵抗する力など残っているはずもなく、


「わっ……とっとっと、うわっ!」


 よろけた挙句、散らばっていたゴミに足を滑らせ、詰みあがった燃えるゴミの山に思いっきり転んでしまう。この手のゴミは深夜に出してはいけない決まりなのだが、そんな事はお構いなしに積み上がり、これ幸いとばかりにカラスが食い散らかし、半分以上の袋が既に原型をとどめていない。


 子猿Aが腹を抱えて笑い、


「ぎゃっははははははは!!おっさん、足元ふらついてんじゃんか!だいじょぶでちゅかー?」


 子猿Bもつられて笑い、


「なっさけねーの。兄貴ィ?適当になんか貰っちゃっていいっすかぁ?」


 ボス猿は暫く綾瀬を見下ろした後、ひとつため息をついて、


「……ああ」


 子猿Bが、


「あざーす!!」


 子猿Aが、


「でも、こんなんじゃ大したもん持ってないんじゃないの?」


 二人して下卑た笑みを浮かべて近づいてくる。どう考えても綾瀬から有り金を奪う気だ。さっき引き出す前ならともかく、今は口座の金を全て引き出しているためそこそこの手持ちがある。そして、それを奪われたら最後、綾瀬はタクシーに乗ることもネットカフェに行くことも、明日から生活することもままならない。逃げなければ。抵抗しなければ。そんな思いだけが先行する。しかし、身体は動いてくれない。


「や、やめ……」


 瞬間。


「やめなさい!」


 大きな声。綾瀬が、ボス猿が、子猿Aが、子猿Bが。全員が声のした方を向く。


 女の子だった。


 身長は……どうだろう。少なくとも綾瀬よりは小さそうだ。腰ほどまである長い髪は弱弱しい街灯でも分かるほどの綺麗な金髪だ。服装ははっきりと見えないが、首に巻いたマフラーがひらひらと揺れるところだけはしっかりと見えた。それはまるでヒーローのマントみたいに見える。


女の子は気が付くと綾瀬と猿達の間に割って入っていた。両手を左右に思い切り広げ、綾瀬を守る盾になる。


 子猿Aが、


「あんだよ。ガキはすっこんでな!」


 子猿Bが、


「そういうこと。良い子は寝る時間だ」


 ボス猿がなだめるように、


「嬢ちゃん。これはアンタが関わるべきことじゃない。どいてな」


 女の子は首を横に振る。明らかに子猿二人の空気が変わる。


 子猿Aは苛立ち、


「このアマ……!」


 子猿Bは下卑た顔で、


「なんなら”分からせ”たっていいんだぜ?」


 まずい。


 このままでは名前も知らない正義感溢れる女の子が犠牲になる。普通ならこんな子に手を上げる真似はしないのだろうが、流石に神経を逆なでしすぎている。止めなくては。綾瀬は必死に起き上がろうと、


「おやめなさい。体に障りますよ」


 したところでやんわりと止められる。


 今度も女性だった。ただ、金髪の彼女とは違い明確な「大人」だった。ただ、それでも、女性二人には間違いない。それじゃ駄目だ。やっぱり自分が守らなくては。綾瀬は女性のありがたい忠告を無視して立ち、


「おやすみなさい。”未来の主様”」


 上がれなかった。女性がふたたびやんわりと制する。今度は顔を何かでおおわれる。それと共に、強烈な眠気が襲ってくる。助けなきゃ。俺のせいで、彼女たちに迷惑をかけるわけにはいかない。そんな思いは、全て眠気にかき消される。やがて、綾瀬は事の結末を見る事もないまま、幸せな眠りについた。十二月二十二日。クリスマス商戦が加速し、どこも必死になって物を売る。そんな週末の夜更けだった。

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