第6話 戦いの準備

 エラム帝国東部戦線の定例的な報告のため、ウマル・ルルーシュが皇帝フセイン・アルマリクに謁見したのは翌日の昼過ぎだった。一時おさまっていた蛮族の侵攻に再び激化の兆しのあることと、タサと同様に東部国境に位置するセロヒの警備強化の報告を行った。

 青いタイル敷きの床に膝まずくウマル・ルルーシュの前の玉座に座るフセインの右隣には大将軍セリガ・ケフェテが、そして左隣にはサイード・アルマリクが座っていた。

 サイードは昨日会って偽名を教えたばかりの男を目の前にして、決まりの悪そうな顔をしていたが、ウマルは素知らぬふりをして、報告を終え、頭を下げていた。


「……ふむ。掃討作戦からわずか二年で蛮族たちが勢力を盛り返してきたか。セリガ、ここは大事になる前に侵攻の芽をつぶしておきたいと私は思うのだが、お前はどうだ?」


「仰せのままに」


 フセイン・アルマリクの低く通る声が、石造りの謁見えっけんの間に響き渡る。歴戦の老将軍はこうべを垂れて恭順きょうじゅんした。


「ふむ。それでは再び精鋭たちを集め、隊を編成してくれ。タサ・セロヒの軍に加え、北のオノミーと西のシンダイからも増軍し、早々に蛮族どもを叩くのだ。そして――」


 フセインが隣で黙って座しているサイードの方を向いた。


「サイード、お前が第二次掃討作戦の総大将を務めるように」


「サイード様が、ですか!?……恐れながら、皇帝――」


 突然名指しされ、言葉を発すこともできなかったサイードの代わりに、セリガ・ケフェテが口を挟んだ。


「東方の蛮族ごときの掃討に皇太子様が出陣されるほどのことはないかと思われますが……」


「だから、サイードに行かせるのだ、セリガよ」


 ケフェテの言葉を遮り、フセイン・アルマリクは語気を強めた。


「だから、サイードを行かせるのだ。こやつは生まれてからこの方、この首都ガパからほとんど出たことがない。平和ボケしておるのだ。皇太子として――今後我が跡目を継ぐのであれば、過酷な戦いにも出て行かねばならないこともあるだろう。そんな事態になる前に、我はサイードに実践を積ませておく必要があると考えている」


 フセイン・アルマリクの言葉に、ケフェテは息を大きく息を吸い、そのままぐうの音も出せずにため息をつくことしかできなかった。


「今回は、領地外での蛮族の掃討作戦だ。総大将が出る幕はあるまい。迷惑をかけるかもしれないが、サイードに戦場というものを教えてやってくれ」


「……いやはや、『教える』などもったいないお言葉です。……かしこまりました。仰せの通りに」


 フセインの珍しく家臣をおもんばかる物言いに、ケフェテはいたく恐縮して答えた。


「ウマル・ルルーシュ。タサには蛮族掃討作戦の本部を置く。サイード率いる部隊の迎え入れをよろしく頼む」


「ははっ!」


 ウマルは片手を床につき頭を深く下げ、立ち上がると、父親から突然に遠くタサへの初陣を申し渡され、戸惑った様子のサイードの方に視線を送り、任せておけと言わんばかりに力強く頷くと、謁見の間を颯爽と後にした。




 報告を終えたウマル・ルルーシュは、皇帝の一番若い妻となった姉マナレと、その息子ロンミに会った。一昨年生まれたばかりの甥はマナレの腕に抱かれすやすやと眠っていた。


「ウマル、タサから長旅だったでしょう。ガパではしばらくゆっくりしていけるのかしら?」


「それがそうもいかないんだ」


 ウマルは、昔と変わりなくおっとりと話す実姉の口ぶりにほっとした。


「父さんたちが待っているし、皇帝からひとつ仕事・・を仰せつかったから……急いで帰って取りかかろうと思う。姉さんとロンミの元気そうな顔を見たしね」


「皇帝があなたに仕事を?……また蛮族との戦争が始まるの?」


 顔を曇らせ心配そうにウマルの顔を見つめるマナレに、ウマルはどう答えるべきか困惑し、黙ってしまった。

 自分の言葉を否定しない弟を見て、マナレもうつむきロンミの頬を優しく撫でた。

 窓から差し込む午前中の明るい日差しがこの母子の上にやさしく降り注いでいた。ロンミが大きくなってもエラム帝国は――この国の平和は不滅であるべきだと、ぼんやりと思う。

 また、両親から離れ、首都ガパで独り気丈に過ごしている姉に、余計な心配をかけてはならないとウマルは思った。


「……心配することないよ、姉さん。エラム帝国が攻め込まれて大事になる前に不安材料を事前に摘み取っておくだけだから」


「ウマル……」


 マナレは顔を上げ、ウマルの方をじっと見つめた。自分に心配を掛けまいとする弟の気遣いが伝わっている。マナレもまた、この気遣いに応えたいと思った。戦地に赴く弟を憂いなく送り出すべく、無理矢理口元に微笑みを浮かべて続けた。


「……お父様とお母様をしっかり支えてね。どうか無事で。ご武運を祈っているわ」


 ウマルは無言のまま深く頷いた。




「……ウマル様――」


 マナレの部屋から出ると、扉の脇にラクピ・ネブーゾが待ち構えていた。


「……ラクピ?」


 突然話しかけられ驚くウマルをよそにラクピが言葉を続ける。


「私もベモジィまでお供しましょう。ベモジィは私の故郷ですから……滞在の準備をさせます。ベモジィであれば武具や馬などの装備も整えられると思います」


「……ふむ」


 ウマルの頭が働き始めた。

 首都ガパからエヒャ街道を南東に下りベモジィに行けば、タサへはセズトン大街道を東へまっすぐだ。それに今後東方蛮族に対する大規模な掃討作戦を実行するのであれば、確かにラクピの言う通り、商業都市ベモジィで武器や防具、馬などを調達しておくと先の手間がはぶける。

 そう考えたウマルはラクピと共に、翌朝早く、首都ガパを出立し、ベモジィへと向かった。

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