02

 うまく眠れないまま次の日を迎え、うとうとしながら一日の授業を乗り切った帰り道。

 僕はまた、高橋さんの後を尾けるように歩いていた。


 何かできることはないのか。前の晩からそればかりを考えている。

 教室では、声をかけることもできなかった。高橋さんは本当にずっと一人でいて、だからこそどんなタイミングで話しかけたらいいのか、さっぱり掴めなかったのだ。


 でも、今ならきっと大丈夫。

 足を速め、少しずつ距離を詰めていく。手を伸ばせば届く位置まで近づいて、思い切って口を開いた。


「あ、あのっ……高橋さん、だよね」


 上ずった、おかしな声になってしまった。

 高橋さんは立ち止まり、ゆっくり振り返る。防護マスクのせいで、その表情はよく見えない。


「あの、僕、後ろの席の……」


 念のため自己紹介すると、高橋さんはこくりと頷いた。


「高橋さんも、家こっちの方なんだね。途中まで一緒に行ってもいい?」

「……うん」


 くぐもった、小さな声。それでも返事をしてもらえたことで、ようやくほっと息をついた。

 二人並んで、歩き始める。女子と一緒に帰るなんて小学校低学年以来かもしれない。

 僕は妙に緊張し、そしてすぐさま話題がないことに気付いた。焦って迷った末に、そろりと切り出す。


「あの、大変だね……『適合者』」

「うん……」

「まさか同じクラスから出るなんて、びっくりしたよ」

「うん……」


 残念ながら、あっという間に会話が終了してしまった。

 二人分の足音がやけに大きく聞こえる。とても気まずい。次の話題を見つけることもできず、お互い無言のままで進んでいく。

 そうこうするうち、あのたばこ屋の角に差しかかった。


「私、こっちだから……」

「あっ……あの、高橋さん」


 角を曲がろうとする高橋さんを呼び止める。


「あの、もし、僕が力になれることがあったら……何でも言って」


 勢いでそう口にしてから、かぁっと顔が熱くなってくる。

 高橋さんは、防護マスクのシールド越しにしばらくじっと僕を見つめて、抑揚のない声でぽつりと言った。


「……それは、どうも」


 そして僕にくるりと背を向け、行ってしまった。遠ざかっていく後ろ姿をぼうっと見送る。


 迷惑だったかな。変な奴だと思ったかな。

 心臓が騒いでいる。似合わないことをしたせいか、その日は家に帰ってからもずっと浮き足立っていた。



 それからというもの、下校時に高橋さんを見つけては、声をかけて一緒に帰った。そのうちに向こうも何となく通学路の途中で僕を待っていてくれるようになった。

 最初はやっぱり会話のない時間が長かった。だけど、交わす言葉は少しずつ増えていった。主に僕がいろいろ質問して、それに答えてもらうという形が多かったけど、慣れてくれば普通に喋ってくれた。


「いつも何の本読んでるの?」

「ミステリーが多いかな」

「ミステリーかぁ。僕、漫画しか読まないからなぁ」

「私も、漫画読むよ。きょうだいで回し読みするの」

「きょうだい? 上? 下?」

「弟と妹が一人ずつ」

「いいなぁ。僕、一人っ子だからさ。歳は近い? 仲良いの?」

「二人ともまだ小さいから、私が面倒見てるの」


 今までほとんど知らなかった高橋さんという人の存在が、僕の中で少しずつ形を成していく。

 物静かで、控えめで、年下のきょうだいを大事にしている女の子。きっと優しいお姉ちゃんなんだろう。


 ある時、高橋さんが弁当を自分で作っているという話になった。


「お母さん、いつも朝早くから夜遅くまで働いてて……だから、お弁当だけじゃなくて、ごはんは朝も夜も私が作ってるんだ」

「へぇ、そうなの?」

「うん……うち、母子家庭だから」

「そう、なんだ……」


 返答に詰まり、僕は口を噤んだ。

 しばらく沈黙が続いた後で、珍しく高橋さんから会話が再開される。


「あの……でも、大丈夫。『任務』に就いたら、お給料も入るし……それでお母さんの手助けになるなら……」


 たぶん、黙り込んでしまった僕に気を遣ってくれたんだろう。

 だけどそれは、どこか自分に言い聞かせているようでもあった。


 ふと気になった。高橋さんは、『任務』の内容をどこまで知らされているんだろうか。

 『適合者』として選出された者に拒否権はないのだと聞いた。もし自分が植物状態になってしまうと知ったら、普通は正気じゃいられないはずだ。


 いろいろ思考を巡らせた末に、僕はようやく口を開く。


「そっか……偉いね、高橋さんは」


 そう言うのが精一杯だった。高橋さんが自分の運命を知っている可能性なんて、考えたくもなかった。


 隣を歩く高橋さんを、そっと横目で盗み見る。

 色白の頬に今さら気付く。長い前髪から覗く、意外なほど大きな瞳。シールド越しに視線が合って、どきりとした。

 気の利いたことなんて一つも言えない僕の話にも笑ってくれる、心優しい女の子。お互い少しずつ打ち解けてきたことが、素直に嬉しかった。


 一方で、教室ではこれまで以上に話しかけることができなくなっていた。

 クラスの誰かに揶揄われたりしたら嫌だからだ。高橋さんが世界を救う英雄だと知って急に絡み始めたんじゃないか、と。

 そんな誤解をされたら堪らない。僕にとって高橋さんは――決してそういうものじゃないんだ。


 見慣れた背中と、なかなか慣れない横顔と。

 毎日、帰りが待ち遠しかった。それが僕にとって何より大切な時間になりつつあった。

 限りのあることだと思うと、余計に甘くて苦しかった。

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