第34話 武術大会《最終日/剣術》1

 出場者が順にくじを引き、書記官に渡すと、それぞれ部屋を出て行く。その後、書記官が対戦表を大きな布に墨で書いていくのだ。出来上がった幕を玉座の下に掲げる手順は体術のときと同じだった。

 ルティリクスは横目で別室の扉を見つめた。中では書記官が作業をしている。


(あいつは、どこ出身だったか)


 ふと視線を感じて、横を見るとヨルゴスも同じく書記官を気にしているらしい。親指でちいさく扉を指して、ルティリクスに目配せした。


(あぁ、同じことを考えていたのか)


 ルティリクスは小さく息を吐くと、書記官がすべて対戦を書き終えるまでの時間稼ぎに話題を振る。


「で、アリスの容態は」


 彼はさすがにすぐに話に乗ってきた。長年の付き合いだ。いやでも息があってくる。


「うん、もう心配ない。若いし体力もあるし……まあ、あの様子だとすぐに治るんじゃないかな。治さないと何も出来ないだろうし」


 楽しげな様子にルティリクスはむっとする。彼がこういう顔をした時には、何か企んでいることが多いのだ。嫌な予感がした。


「何があった?」

「それは、全部片付いたあとのお楽しみ」


 ああ僕のところは娘じゃなくってよかった――などと、意味ありげなことを呟いたあと、ヨルゴスは扉に視線をやった。対戦を書き終えた書記官が扉から現れ、「張り出しますか」と指示を仰いだところだった。

 ルティリクスは頷いたあと、「言い忘れたが」と付け加える。


「アリスの枠は不戦勝にはしない。繰り上げが妥当だろうけれど、せっかくの祭りなのに一線潰れるのはつまらないだろうと思ってな」


 ルティリクスはそこで、訝しげな書記官をじっと見つめた。


「……いい余興だから、おれが出る」


 ニヤリと笑うと、書記官がぎょっと目を剥いた。そして説明を求めるようにヨルゴスに視線をやる。


「な、何をお考えで――これは王位継承の神聖なる儀式の一部で――」

「いいや、民のための祭りの一部でもある。だからこそ王族以外の人間のための予選があるんだ。なあに、おれの腕もずいぶん鈍っているし、決勝に勝ち上がってくるような人間ならば、難なく倒せるに決まっているし、そのくらいでないと民も納得しない。王を凌ぐ力を見せるという意味では、王位継承の儀にふさわしいと思わないか?」


 書記官が青くなってブルブルと震えだす。あと一息。ルティリクスは笑い出したいのをこらえて演技を続ける。


「そろそろ時間だろう。おれの名を加えて、対戦表を貼り出せ。民も喜ぶだろう」

「い、あ、あの――ど、どうやら書き間違えをしてしまったようなので……すぐに書き直します」


 慌てて部屋に引っ込もうとした書記官を見てルティリクスは確信する。書記官の胸ぐらをつかみ、目の高さに持ち上げると、小柄な彼は苦しさから泡を吹いた。


「さあて、おれが参加した場合、誰に一番都合が悪いのやら」

「ちょっと見せてもらうからね」


 ヨルゴスが書記官の手から強引に幕を取り上げて、テーブルの上に広げた。


「やっぱり、か。体術のときからおかしいと思っていたんだ。くじに仕掛けかなと思ったけど、そっちは調べても何も出なかったし、どう考えてもするのが確実だよね」


 ヨルゴスがやれやれとため息を吐き、ルティリクスは対戦表を静かに睨みつけた。

 案の定、そこには体術の時と同じように、妙な偏りが生じていた。決勝に向かうための二つの山の一つに、エマ、ルキア、予選通過者上位が揃ってつめ込まれ、もうひとつの山に、アリス、ヘルメス、エニアス、ミロンの四人の王子。実力差が歴然だった。当り方次第で成績が大きく変わってしまうのは勝ち抜き戦の短所である。

 空中から解放すると書記官は大きく噎せたあと、嘔吐した。弱り切った書記官にも容赦なくルティリクスは問いただす。


「――誰に命じられた?」


 答えはほぼ確信していたけれども、ルティリクスはあえて尋ねた。今回の儀式にはネズミが数匹紛れ込んでいる。一匹ずつ潰して、どの妨害が誰の仕業なのかを突き詰める必要があった。


(一匹か? それとも二匹? それ以上かもな)


 姑息な手段は回避するのも本人の資質の内だ。だが、エマを狙い、アリスを刺した人間は――もちろん実行犯だけではなく、指示した人間についても――許すつもりはない。それは当然ヨルゴスも同じらしい。穏やかな雰囲気の中、まなざしだけが氷のように冷たかった。

 彼の妻シェリアの華奢すぎる体では、子一人産むので精一杯だった。だから、アリス一人に何人分もの愛情を注ぐよとこぼした相棒のことを思い出す。だからこそ、今回のことでどれだけ肝を冷やしただろう。

 そして、ルティリクスのところは、結局エマ以外の子に恵まれなかった。だから、ヨルゴス夫妻と同じく、一人の子だからこそ愛情をたっぷり注いで育ててきた。――心配で死にそうだったのは、本来なら自分と妻だったと考えると、ただでさえ煮えくり返っていた腹の底からさらなる怒りが湧き出し、目の前の男にぶつけそうだった。


(いったいどのネズミだ?)


 燃えるような目で睨みつけるルティリクスの前で、書記官はへなへなと床に崩れ落ち、彼を買収した人間の名を漏らした。



 *



 対戦表が貼りだされ、エマは順当に割り振られた組み合わせにほっと胸をなでおろした。


「ルキアとは決勝ね」


 一番の不安だった。点数が同点一位なのだから、たとえ一回戦で負けようとも同じなのだけれども、気持ちの問題――それから、やはり見せ方の問題がある。

 エマにとってこの武芸大会自体は民へ自分を売り込むための舞台だ。ただ勝てばいいのではなく、勝ち方が重要だった。決勝で華々しくルキアを破れれば、力の象徴となるだろうと思えた。ただでさえ、失敗続きで出遅れているのだ。ここで好印象を取り戻したくてエマは必死だった。


「アリスとの対戦は不戦勝なんだな。だれか繰り上げしてくるのかと思ったが」


 ルキアの言葉に見上げると、アリスの名前の隣に《棄権》と書いてある。そして不戦勝で勝ち上がるのは、ルキアだ。相手を知れば、誰も勝ち抜くことへの希望が持てなかったのだろうか。なにしろ、ルティリクス王の甥っ子で、かつ、ジョイアの将軍を師と仰ぐ。


(だけど、血筋も、師も全然負けてないから……!)


 父が負けていると考えただけで腹が立ってくるのは、もう、癖のようなものだ。奮起するエマは闘争心を燃やしてルキアをぎりりと睨む。


「その顔、まだ二試合ほど早いと思うけどな……」


 ルキアはため息を吐き、エマはそれもそうかと眼光を弱めた。余計な力を使うべきではない。温存するべきはしないと。

 ちなみに、エマの一回戦の相手は――思わず笑いかけたエマの耳に、

「どうしておれが一回戦でエマと当たるんだ。ふざけんな」という声が割り込む。そちらを見ると、ヘルメスが顔を真っ赤にして対戦表を睨んでいた。

 体術の時に痛めた腕は回復したのだろうか。棄権はしないらしい。


「くじ運が悪いとしか言いようが無いわよね? 一回戦敗退決定だもの。だけど私が相手なら不名誉じゃないわ。良かったわね」


 容赦なく事実を言うと、ヘルメスは鼻にシワを寄せながらエマを睨んで踵を返す。


「そうやって、油断していればいいさ。おれと当たったことを後悔させてやるからな」


 わかりやすく捨て台詞を吐いて去っていく背中を見ながら、エマはため息を吐く。幼いころから一度も勝ったことがないくせに、どれだけ大きな口を叩くのだろう。それに、あんな風に脅しをかければ、エマを警戒させるだけなのに。


(あいかわらず……馬鹿よね。行き過ぎてて可愛いくらい)


 だが、


「気を抜くなよ」


 ルキアが傍でささやき、エマは反射的に気を引き締めた。


「何があっても絶対に上がって来い。ここまで来ておれと当たる前に負けたら、さすがにアリスが浮かばれないし、おれも消化不良で困る」


 エマは目を瞬かせる。ルキアが意地でも負けないと宣戦布告をしたのは昨夜のこと。だがあくまで実力で勝とうとする公明正大な姿勢は――ヘルメスと接した後だからか余計に――清々しかった。


(やっぱり勝負はこうでなくっちゃ)


 余計なことを考えず、目の前の相手に全力で当たればいい。初心に戻れたような気がして、なんだかほっとする。


「わかってる。……ありがとう」


 温かい気持ちになりながらエマが礼を言うと、ルキアは居心地が悪そうにぷいと顔を逸らした。


「もう油断なんかしないわ」


 エマの未熟さのせいで傷ついたのはアリスだ。自分が傷つくならまだしも、他の人間が――しかもエマの大事な人が傷つくとなると、わけが違う。

 また詰めの甘いことをしようものならばエマはただの馬鹿だ。

 エマは懐に入れていた飴を一粒口に含む。アリスの飴を食べて、今はここに来られない彼を思い浮かべる。小さな飴が全て溶けて、エマに馴染む頃、緩くまとめていた髪を一旦解くと、いつものように頭の高いところで結い直した。


(とうとう、始まる。今日こそは私の舞台)


 やはりこの髪型が一番落ち着く。ぎゅっと突っ張る髪と同時に身が引き締まるのだ。

 やがて、太鼓の音が会場のざわめきを一掃した。

 静まり返る場に、響く審判の声。


「エマナスティ王女殿下!」


 名が呼ばれたとたん、観客がどっと沸いた。

 長い髪を馬の尾のように揺らすと、エマは堂々と立ち上がった。

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