第16話 二つの決意

 闘技場は静まり返っている。夕日に照らされた石畳が、迫り来る夜に冷まされようとしているのがわかった。

 中央までアリスとルキアを連れ出した王は、ぐるりと回りを見回す。王妃は決闘と聞いて大慌てで父を呼びに行ってしまった。そのため、周囲には誰も人影はない。それを確認したあと、王は大きくため息を吐いた。


「――で、どうする気だ? 二人とも」


 質問の意図がわからずアリスは問う。


「どうするもなにも――傷めつけるのではないのですか?」

「傷めつけられたいのか?」


 問い返されて、アリスとルキアは同時に首を横に振った。国一番の剣士相手だ。冗談ですまない結果が目に見えた。


「あんなのは口実だ。あいつの部屋にむさくるしい男が二人いるのが許せん。手っ取り早く追い出すにはあれが一番いいし、人に聞かれずに話をするにはここが一番だ」

「むさくるしい……」


 むさくるしいという言葉がこれほどに合わない男もいないだろうなと思いながらルキアを見る。彼も苦笑いをしてアリスを見返した。


(この人は、やっぱり王なんだなあ)


 感情を一瞬にして制御してしまう。もしくは感情的に見えたとしても、単なる仮面かもしれないのだ。いくつもの顔を使い分けなさいとアリスはよく言われるから、素直に感心する。


「口実……ですか……では、お話とは?」


 どこか訝しげにルキアが問うと、「聞かずとも、わかるだろう」と王は鼻で笑う。

 話、というのは、今度こそエマのことだろう。アリスは尋ねた。


「先ほどおっしゃった、決めているというのはどういう意味ですか」


 あの王の発言は、アリスにとっては、寝耳に水だった。大事な箱入り娘――というとエマには全く似合わないが、王妃に対する態度から見るに、エマの縁談については慎重に考えているとアリスは思っていたのだ。国中の、それどころか大陸中の誰もがそう思っていたと思う。


「エマが決めた男なら、どんな男でも文句を言うつもりはない。あいつは、母親と違って男を見る目がある」


 偏愛の対象であった故の発言だろうか。大した自信だ――と思いかけたアリスだったけれど、途中で、はて? と首を傾げる。母親と違ってということは、母親は男を見る目がなかったということになる。


(あれ?)


 矛盾していると混乱しかけた。アリスは脱線しかけた思考回路を元に戻そうとして、とたん、気持ちが沈むのがわかった。


(……じゃあ、僕は失格ってことか)


 押し倒して、蹴り上げられようとしたことは記憶に新しい。王が言うには『嫌なら殺すか潰すか切り取る』らしいから、つまりエマは嫌だったということになる。その証拠にあれ以来ずっと避けられている。愛想を尽かされただろうし、もう前みたいに慕ってくれることはないだろう。

 切り取られそうになったヘルメスと同じ扱いだと思い当たると、どんどん気が滅入っていく。同じだと認めたくはないが、行動と結果だけ見てしまえば全く同じ。


(青虫からウジ虫に降格、だもんな)


 元々が兄のような存在だったのだ。そこから一歩踏み出せば、彼女にとって別の人間に見えてしまうのは容易にわかってしまう。


「じゃあ、どうしておれは駄目だと」


 沈み込むアリスの前ではルキアが不満そうに口を開く。先ほどの憔悴した様子はもうみじんもない。見当違いの悩みには思わず笑いかけてしまったが、アリスに相談もしなかったことから悩みの深さが察せられる。

 吹っ切れた彼が、エマとの関係に線を引くことをやめたのは、あまりにも明らかで。彼にまとわり付いていた、どこか気だるげな雰囲気が一掃されている。光を意味するという名の通り、輝きを隠すことをやめた彼に気づくとアリスは急激に焦る。

 ルキアに全力で迫られたら、どんな女性だろうと落ちないわけがないと思えるのだ。卑屈になっているわけでなく、それはきっと事実だ。


「お前を認められないのは、だからに決まってる。お前の生まれは、エマの望みの邪魔にしかならない。それでもどうしても欲しければ、エマを納得させろ。自分に選ぶ価値があると思わせろ。――それができない奴にはエマはやらない」


 ルキアは挑戦的な目を王と、それからアリスに交互に向けると、「わかりました」と頷く。どうする気だろうと思った次の瞬間、ルキアは宣言した。


「それならば、おれも、武術大会に参加させていただけますか。だれでも参加していいと聞いています」

「そう来たか」


 王はどこか面白そうに了承するが、「だが、お前はエマには勝てない」と自分のことのように言い切った。


「そうでしょうか?」


 ルキアはにっこりと笑うと踵を返した。アリスが呆然とルキアの背中を見つめていると、王はアリスを振り返った。


「で、アリス。お前はどうするんだ?」

「私に――剣を、指南していただけませんか」


 頭はいつもの様には働かない。だけど口から漏れたのはそんな願いだった。王は「ふうん?」と面白そうにアリスを見つめる。


「武術全般――いや、苦手じゃなかったか? 今からやっても無駄足に終わる。お前は勝ち抜けない」


 アリスは片眉をあげる。それを知っているとは思わなかった。


「苦手ではないのです。嫌いなだけで。――師が良ければ、上達も早いはずですから。継承の儀までまだ時間は少しあります」


 それに、とアリスはまっすぐに王を見つめた。アリスが剣で勝たなければならないのは、エマじゃない。彼女には勝ってはいけないのだ。先ほどの王の言葉を聞いて漠然と感じていたものがアリスの中で形になっていた。

 王は小さくため息をつくと、


「対戦相手はくじで決まるから、どうなるかわからないんだが。それに――弓で競うという気概はないのか?」


 と呆れたように問いかけた。その問だけで、王がアリスの考えを見通していることがわかった。


「彼には学問では勝ってますから、一対一で引き分けです。エマにも、負けません。――こっちは絶対負けられない。負けたら僕の存在価値はありません」


 アリスの答えに、王は苦笑いをした。


「お前らはどっちも父親似だな。ルキアは直感で動くところ。お前は考えすぎるところ、臆病者なところまでそっくりだ。お前には策士策に溺れるという言葉を贈っておく」


 俺も人のことは言えないがな。王は小さくつぶやくと、かすかに笑いながらアリスに背中を向けた。


「あと剣は――他のやつに習え。俺はエマだけを鍛える。肩入れしているように見えても面倒だしな。お前の指南は出来ない」

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