第15話 それは、相応の報い
「窓? つまみ出す?」
ルキアは思わず確かめるように繰り返す。ここは塔の一番上の階。落ちたら命の保証はない。冗談のような台詞だというのに、王の目は真剣だった。
「ルティ邪魔しないで。私がちゃんと話を聞いておくから」
王妃がうんざりした様子で王を諌める。だが、王は深い息を吐くと、王妃の言葉を無視して短く問う。
「エマのことか。――手を出したのはどっちだ?」
淡々と問う王に、
「アリスよ」
王妃は非情にもあっさり答えた。どこか嬉しそうなのは一体どういう理由なのか。
王の言うクソガキというのはアリスのことだと、ルキアは疑わなかった。愛娘に手を出した。それはどう考えても父親の立場になれば重罪だった。だが、なぜか王の視線はルキアに突き刺さったまま。
「申し訳ありませんでした」
青ざめたアリスが謝罪の言葉を口に出す。が、王はアリスを一瞥もせずに言った。
「……申し訳ないと思うくらいなら最初からするな――というか今はおまえに用はない。おまえは後回しだ。引っ込んでろ」
意味がわからないでいるルキアに、王はつかつかと近づいたかと思うと胸ぐらをぐいと掴んだ。
「ルキア。おまえは、なにをした?」
「おれ――じゃなくって、私はなにも」
これは本当にあの賢王と謳われるルティリクス王と同一人物だろうか。扱いの雑さに引きずられそうになる。
「ルティ、乱暴はやめて。ルキアはジョイアからの大切なお客さまよ? それに今言ったでしょう、エマに手を出したのはアリスだって」
王妃が宥めるけれど、王の手は全く緩まない。それどころか締め上げは次第にきつくなる。
「おれは、本当に、なにも――」
正真正銘ルキアはエマになにもしていない。弓の練習以外では――つまりやましい気持ちでは指一本触れていない。
つまり、王の怒りはエマに関することではないということで。
おそらくは王の怒りの原因の大半は王妃との密会にあるのだろう。だけど、ルキアはもちろん王妃になにもしていない。確かに内緒で会うというのは誤解を招く行動ではあるけれども、アリスも一緒だし、本当に話していただけなのだから。
ルキアはどこにこれほど怒る原因があるのだろうと頭の隅で必死に考えた。
「今おれがしているのはエマの話じゃない。エマの相手なんぞ、最初からどうするか決めているし、嫌なら殺すか潰すか切り取るくらいの技は授けてやった。エマが受け入れる男なら、親離れにちょうどいいし、いっそ早く貰ってくれと思っている。だが――」
意味がわからなかった。そんなことはどうでもいいとでも言うように、王はルキアを締めあげてくる。考えるための空気が足りないとルキアは焦り始めた。これは、やばい。王は本気だ。
「ルキア、おまえは駄目だ」
至近距離で刺すような目で睨まれる。
アリスは良くて、ルキアは駄目だと聞こえた。その理由は一体なんだろうと考えると一瞬で答えに行き着いてしまう。
「それは……おれが、息子だからですか」
知りたい。その欲求を抑えこむ余裕を失い、ずっと聞きたかった問いが漏れた。首の締め付けによる息苦しさも手伝って、声が震えた。
(どうか。どうか否定してください)
ずっと憧れていた人を前に、なぜかルキアは否という答えを真剣に願っていた。
ルキアはずっと父を本当の父だと思っていなかった。だからこそ反抗した。だけど父は父親の顔でルキアを殴った。それも母を守るためだけの演技だと思えて、吐き気がした。嫌いで嫌いで仕方なかった。
だというのに。どうしてこんなふうに親子という繋がりに縋りたくなるのだろう。
(どうか――)
だが、王はあっさりとルキアの願いを踏みつぶす。
「それもあるが、些細な事だ――そうじゃなくて――」
王は投げ捨てるようにルキアを離した。バランスを崩して床に転がったルキアは、そのままうずくまり咳き込む。後の言葉はルキアにはもう聞こえなかった。
(うそだ)
あこがれの人の息子だったという事実を知れば、喜びがきっと湧き上がると思っていたのに、あるのは絶望だけだった。
ルキアは途方も無い物を失った気がしてならない。
ジョイアの帝位だろうか? 皇子としての誇りも持てなかったのに?
『ルキア、忘れるな。お前は僕たちの光なんだよ。これまでも、これからも、ずっと』
父の声が聞こえた気がした。どうして今になってこんな言葉が思い浮かぶのだろう。ずっと忘れていた。いや、父は繰り返し言ってくれたのに、聞こえないふりをした。
眼裏に浮かぶ父と母の笑顔が、泣き顔に変わる。
とうとう、知ってしまったのねと、母が涙を流す。隣で父がおまえは僕の息子だと必死で言い張る。ルキアだって繋がりを断ちたくない。息子でいたい。失ってから初めて知る想いだった。
ぐるぐると視界が回ったあと、ぽとり、と床に丸い模様が広がった。驚いて顔を拭う。ルキアの頬は濡れていた。
「――それで好きだって言えるか――……お前なんで泣いてる……?」
ぶつぶつと言っていた王がルキアの状態を把握したとたん、ぎょっと目をむいた。
「すみませ――自分で聞いておいて。覚悟ができていたはずだったのに――あんな父だけど、父じゃないと思うと、すごく、辛い――」
「は?」
王の声に重なって、王妃とアリスの声が聞こえた気がした。ルキアがわずかに顔を上げると、二人が半笑いの顔でルキアを見つめているのが見えた。
「……なにを言っている? シリウスがおまえの父じゃない?」
父の名を呼んだところで王の顔がさらに険しくなった。こめかみに血管が浮き上がっているのがはっきりと見えて、ぞわりと鳥肌が立ち、涙が引っ込む。
ルキアが王の息子であるということは、不貞を暴いているのと同じだと今更ながら気がついたが、もう遅い。
腹をくくると、もう一度はっきりと問う。
「今、おれがあなたの息子だとおっしゃいましたよね。おれは、ずっと直接あなたに聞かなければと思っていたんです。あなたは昔――二十三年前、母をアウストラリスへと攫った。あのときの子どもがおれだったってことなのですか」
ピキン、と空気が凍り、王のこめかみの血管が脈打った。
「お前は今言ってはいけないことを口にしたんだが」
王は少し癖のある赤い髪を乱暴にかき上げる。
「あいつらは今までどんな教育をしてたんだ。これだから、ガキとガキが子どもを作るとろくなことがない」
吐き捨てた言葉は、怒気をはらんで触れたものを壊しそうだった。前髪がかき分けられて瞳が覗く。温かな大地の色をしているはずのそれは、今、人を殺せるのではないかというくらいの闇を秘めて底光りしている。ルキアは息まで凍る心地がして固まった。
緊張に包まれる部屋。王妃の噴きだす音が響き渡るまで、ルキアは呼吸することを忘れていた。
「――ルティ。それ、元々はあなたの自業自得なんだから、ルキアを責めちゃ駄目でしょ」
王とは正反対にも思える、王妃のあまりの穏やかさに、この人には王の怒りが見えていないのだろうかと、ルキアは焦る。火消しをしようと油を注いでいるようにしか見えないのだ。
「ルキア、あなたあんまりに小さかったから覚えていないんでしょうけれど、昔この人、あなたとご両親の前できちんと否定したのよ?」
「否定?」
「あなたは正真正銘、シリウスの息子。そうでしょ?」
王妃が王に問うが、王は目を釣り上げるだけで、うんともすんとも言わない。
王妃は呆れたようにため息をつく。
「この人ね、昔のことが腹が立ってしょうがないから……へそを曲げちゃって。あなたのことをいじめているのよ。本当にごめんなさいね」
「いじめだと? ちがう。相応の報いだ」
「なにが報いよ。あのくらいで、本当に心が狭いんだから。減るものじゃないでしょう」
「減る。減るに決まっている!」
王は肯定も否定もしないけれど、どうやら、ルキアが父の息子であることは信じていいようだった。
ささくれ立っていた心が、じわじわと潤いを取り戻し始める。
「――元はといえば隙がありすぎるお前が悪いんだろうが!」
「隙ってなによ。甥っ子をかわいがってなにが悪いの」
(で……一体何の話なんだ? なんで、王は真実を告げない? それほどのことをした覚えが全くないんだけど)
余裕を取り戻したルキアは、喧嘩を延々と続けている王夫妻に恐る恐る尋ねた。
「あの、おれがなにをしたと……」
「ご両親に聞いていない? あなた、赤ちゃんの時、私の胸をね、こうして触ったのよ? スピカ――お母さまと間違ったのよね、きっと」
可愛かったわあ――となんでもないことのように王妃は言うと、己の手でその豊かな胸を掴んだのだ。
その光景はすさまじい破壊力で理性を壊していく。華奢な指先が柔らかそうな乳房に埋もれるのを、ルキアは呆然と見つめ、呆然とつぶやいた。
「おれが、王妃陛下の胸を、さわっ――」
思わず手を王妃と同じように動かした――次の瞬間、ルキアの身体がふわりと浮いた。
「はっ?」
天井が見え、背負われて投げ飛ばされたことに気づく。思わず受け身をとったおかげで強い衝撃を受けるのは免れたが、それが気に食わないとでも言うように王は腰に佩いていた剣を抜き去った。
「――表に出ろ。今のお前なら、傷めつけても誰も文句を言うまい」
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