第14話 伯母と甥の再会

「あらあら、相変わらずきれいなのねえ。お父様そっくりってよく言われるでしょう」


 ルキアとアリスが入室するなり、王妃は気さくに笑いかけて来た。だがその美貌の持つ迫力が勝ちすぎて、とても微笑み返すことは出来ない。

 父で美人には慣れているはずだけれど、別方向すぎて対応できない。ルキアの家族(父だけでなく母、双子の妹二人もだ)に共通するのは繊細な作り物めいた美しさ。

 だが、目の前の女性は、はちきれそうな豊満な肢体に象徴される、生命力のかたまりを感じる。ルキアは異次元の魅力に圧され、回れ右をしたくなった。


「本当は早くゆっくり会いたかったのよ。だけどルティが時間を作ってくれないの。甥っ子に会いたいのは当たり前。少し考えればわかるはずなのに。本当に気の利かない、仕方のない人よね」


 両手を大きく広げ、幼子にするように抱きしめようとする王妃に、ルキアは飛びのく。


(な、なにするんだこのひと、俺を殺す気か――)


 アリスが「陛下。ルキアはもう幼児じゃありませんよ」と寸でのところで止めた。ルキアが王に害された場合を恐れたのだろう。それは国同士の諍いに発展しかねない。

 肝が冷えたルキアは、冷や汗を密かに拭い、大きく息を吐いた。昔から美しい人だったけれども、この垣根の低さは一体なんだろう。これでは関わる男がことごとく誤解して大変だろう。

 父に王の苦労は聞いいていたけれど、まさかと鼻で笑ったものだ。だが、一瞬にして真実だとわかってしまう。


「お話とは何でしょう」


 長居は無用。こうしている間にも危険は大きくなる。空気が重い気がして、ルキアは周囲を見回してしまう。今にも扉を打ち破って王が入ってくるのではないかと気が気でない。だが空気の読めない王妃はニコニコと悩殺ものの笑顔を浮かべて自ら淹れたお茶を勧めた。


「積もる話がいっぱいあるのよ。スピカは元気? 喧嘩していない? 双子ちゃんは?」

「皆元気にしています。両親は相変わらずです」


 スピカというのは母の名だ。ルキアの父母は仲が睦まじすぎて、周囲の目の毒なくらいである。もう新婚じゃないんだからと諭す意味で「結婚して何年だったかな」と問うと、結婚とほぼ同時にルキアを授かったからもう二十三年になるねと父母は嬉しそうに返す。いい歳をした息子としてはどう反応していいかわからない。


「エアルとリトス――妹姫達に縁談はないの?」

「山のような求婚者を払いのけている最中ですよ」

「お父様にそっくりなら、そうでしょうね。――じゃあ、ルキア。あなたは?」


 そこで王妃は口をつぐんだ。そしてルキアとアリスをじいっとこちらの心臓が壊れそうになるくらいまっすぐに見つめてきた。


「つまり、今日の話はそういうことなの」


 無駄話かと思いきや、繋げてくる辺りは流石に王妃なのだろう。長いまつげを伏せ、王妃は嘆息する。息までが甘そうで、見てはいけない物を見た気になる。

 だが、王妃が目線を上げれば、心を見透かすように見つめてきた。心臓が間違って止まりそうだ。自分を見て卒倒する人間を数多く見てきたが、今、ルキアは同様の気分を味わっている気がした。

 目を閉じて気持ちを落ち着かせたあと、居住まいを正す。ふと隣を見ると、アリスが顔をこわばらせ背筋を伸ばしている。

 王妃はルキアとアリスに同じだけの視線を配ると言った。


「どちらがエマを妃にするの? いえ、すでにがあったんじゃないのかしらって」


 単刀直入な質問にルキアは思わずアリスと目を見合わせる。彼の方は一気に青ざめていた。


「あの子ね、ちょっとこの頃様子がおかしいのよ。だからあなた達と何かあったんじゃないかって。だとすると私も早めに対策を取らないといけないわ。ほら、ルティが出てくるとこじれるから。先回りして穏便に話を進めたいのよ」


 どこが穏便だとルキアは心の中でだけ叫ぶと、笑顔を作る。そしてひとまずは責任の所在を明らかにすることにした。


「僕はなにもしていませんよ。アリスはどうだ?」


 なにも、というのは、どこまでを表すのだろう。いくつかの線引を頭の隅で思い浮かべると不快感が湧き上がる。ふつふつと煮え始める怒りを処理しきれない。こんなことなら、アリスの言うように抜け駆けをしてしまえばよかったと思う。

 ルキアはアリスの反応を見る。

 アリスは黙り込んだまま答えない。だが、その態度こそが答えになってしまっている。相変わらず心の中がだだ漏れてしまうのだ。それで王になろうというのだから呆れる。腹芸のひとつくらい出来なくて、ジョイアはともかく、他国の人間と渡り合えるわけがない。

 ジョイアの皇太子。その肩書を持つルキアがエマをさらってしまうのは簡単だった。

 目の上のたんこぶで扱いに困る王女をルキアが娶れば、ジョイアとの結びつきはより強固になり、一石二鳥だ。アウストラリスの王子たちはこぞって祝杯を上げるだろう。――ただ一人アリスを除いて。


(だけど――)


 ルキアは思案に沈む。

 エマは可愛い。妹たちと同じように愛おしいと思っていたし、姫らしくない破天荒な噂を聞くたびに興味を引かれた。そして実際に再会してからは興味の質が明らかに変わった。

 目を合わせても呆けたりしない。外見に惑わされずに理知的な会話もできる。自分に引きずられず対等でいてくれる。

 いや――本当はもっと単純な理由だ。武器庫の中でエマに言った言葉は真実で、目をそらさずに自分を見てくれる異性というだけで、彼女はルキアにとって特別だった。

 それでも、ルキアには恋に踏み切れない理由がある。確かめなければならない。彼女が自分を見ても動じない理由を。


「あらあら、じゃあアリスの方なの。あなただとは、正直思わなかったというか……」


 王妃は困惑した様子でルキアを見て、気まずそうに口を抑える。つまり、王妃は原因はルキアにあると考えていたのか。


(どういうふうに見えているやら……)


 容貌のせいで誤解を受けることは多いが、王妃にまでとは思わなかった。

 だが、原因を作ったのはルキアにあるとも言える。アリスを煽って引きずりだしたのはルキアだ。

 こればかりは後で「やっぱり欲しかった」と言い出されても困るから、負けをしっかりと認めさせてからでないと、攫えなかった。――アリスはあれでも、略奪を美徳とする、アウストラリスの人間なのだから。

 ルキアの母だって、昔、ルティリクス王に奪われた。血が繋がっていると知らずに、王は父から母を攫い、妃にしようとした。

 ――つまり、ルキアとエマは、異母兄妹かもしれない。ルキアはその禁忌が怖かった。

 過去から連なり続ける因縁を、知りたくなくとも、教えてくれる輩はたくさんいるのだ。だから、ルキアには皇位継承権がないと。妹のどちらかが婿を取り、政を行うべきだと彼らは訴える。

 父は真に受けるなと叱ったが、幼子がそんなことを聞いて育てば、疑いの芽はどうしても育ってしまうものだ。いくら容姿が父に似ていると言われたとしても、事実はルキアの中で歪み、まともに受け止められなくなってしまう。母方の祖母が赤い髪をしていたと聞かされても、それさえ嘘にも思える。もはやルキアはなにを信じていいのかわからないのだ。

 疑いを晴らしてくれるのは一人しかいない。だけど、答えてくれるだろうか。愛する妻の前でなら、嘘をつくのではないか。

 ルキアは疑心暗鬼になる。


「ああ、ルキア。駄目ねえ、あなた、絶世の美人という自覚がないわ。そんなにじっとみつめないで。うっかりときめいてしまったらどうするの」


 王妃がはにかみ、ルキアは我に返った。どうやらぼんやりしすぎて、王妃の顔を見つめていたらしい。自覚のない絶世の美女に言われて呆れかけた――その時だった。


「この糞ガキが。そこの窓からつまみ出すぞ」


 地を這うような声とともに、後ろから刺すようなすさまじい冷気が漂ったのは。

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