第7話 不機嫌の理由

 アリスはひたすら不機嫌だった。どうしてこんなに腹を立てているのだろうと分析してみると、どうやら、エマの暴挙だけに原因があるわけではなさそうだった。

 ちらりとエマを挟んで反対側で悠々と歩くルキアを見る。

 出会い頭にエマが無茶をしようとしていると告げると、彼はアリスが推理した彼女の居場所だけを聞いて勝手に駆け出し、結果美味しいところだけを持って行ってしまった。

 複雑な事情があるらしいが、ルティリクス王の父親違いの妹がルキアの母だ(つまりルキアは、アウストラリス王家の血は引いていない)。

 エマの従兄であるルキアとは、アリスも遠い遠い親戚にあたる。エマよりも交流があるのは、アウストラリスで育てる作物の品種改良のためにジョイアに調査に行く際に、父がアリスを連れて行くことが多かったからだ。

 ジョイア皇都に滞在時、歳が近いアリスとルキアは良い遊び相手になった。だが、ルキアの方からこちらを訪ねて来ることはほとんどなかった。それこそ、エマの誕生時に祝いにやってきたくらい。当時彼は五歳になったばかりだったと思う。


「どうしてアウストラリスへ?」


 エマが無邪気に問いかけ、ルキアがちらりとエマに視線を向ける。


「陛下の誘いで、半年ほど遊学することになった。王位継承の儀の立会人として、ジョイア人も加えたかったそうだ」


 ルキアはそう説明するが、アリスは怪訝に思う。


「どうして君を? もっと適任がいそうだけど」

「ああ。だから表向きの理由だろうな。あの王のことだ。何か裏がありそうだ」


 考えこむ二人の間から、エマの声が上がる。


「そういえば、少し前に弓の師がほしいってお父様に頼んだわ」

「……ああ」


 ルキアと顔を見合わせたあと、アリスはなるほどと思う。弓の師ならば、これ以上ない人選だ。


「つまり、、初の女王選出に本気みたいだけど――いいのか?」


 ルキアは意味ありげに問いかける。アリスははっとする。


『おまえがアウストラリスの王、おれがジョイアの皇帝になる。じゃあ、エマはどっちがもらう?』


 エマはおれがもらうとルキアは言い、エマは僕がもらう。アリスはそう言って張り合った。

 あれはルキアが十二歳、アリスが十歳。恋の意味など知らなかった幼い二人の何気ない喧嘩だと思っていた。だが、挑戦的に言い放ったルキアの目はあの時と同じ鋭さを持っていた。記憶を無理やり引きずり出され、アリスは不快になった。


(今更、何を言っているんだ? 保護者の役を僕だけに押し付けておいて。今の今まで興味のない顔をして放っておいて)


 だが、その時アリスは気づいてしまう。二十二歳だというのに、ルキアはまだ妃を一人も娶っていないことに。


(まさか、十年前のあの言葉は、本気か? エマが成人するのを待っていた? だから陛下の誘いに乗ってやってきた?)


 一瞬ひやりとする。そんな自分の心を隠すように無理矢理に笑う。


「いいもなにも、王になるかどうかはエマが決めることだろう?」


 すると、ルキアが


「そうともかぎらない」


 長いまつげを伏せ、ふっと笑みをこぼす。見慣れぬものには毒にしかならない妖艶な笑み。エマの魂が抜けかけているのを見て、耐性があるのは自分だけだと知る。とたん息が詰まる。汗が脇の下を伝う。


(エマ、そいつを見るな)


 そんなアリスに、ルキアは耳元で囁いた。


「おまえ、笑顔の練習をしたほうがいいな。不機嫌さがダダ漏れ。教えてやろうか?」


 相変わらず素直で可愛いな、と馴れ馴れしく肩に手をかけられるが、思わず振り払いそうになる。

 アリスは一人っ子で、国内の従兄弟たちはあのとおり、頼りにならない。だからアリスにとって、ルキアは昔から兄のような存在だった。だというのに、今はひたすら煩わしい。

 秋を運ぶ冷たい風が三人の間を吹き抜ける。永遠に続くと思っていた時に変化が訪れている。


 *


 不機嫌なアリスは嫌いだとエマは心底思う。

 自室で二人の男に囲まれて、最初は謙虚に謝っていたエマだったが、延々と続くお説教にうんざりし始めた。


「だからね、この際ヘルメスを孤立させようと思ったのよ。あの二人、どう考えてもヘルメスに飽きてたもの。一人ならヘルメスは何もできないでしょ。勝ちに行くなら勝負どころは間違っちゃいけないと思うの」


 エマにも言い分はある。説得力もあると思う。だが、アリスはなかなか納得しない。難しい顔をしたままだ。


(まずいわ)


 これは、もう最後の手段しかないかもしれない。エマは「ごめんなさい」と鼻をすすり始める。必殺技、泣き真似だ。


「ごめんなさい。悪かったと思ってるのよ」


 だが、長年付き合っているアリスは誤魔化されない。冷たい眼差しでエマを刺す。


「そういうのは卑怯だな。君らしくないし。大体、君が泣くのは陛下のことでだけだよ。反省しないなら、もう助けに行かないから」


 どうしてバレているの、とエマは固まる。もともとは泣き顔に弱い父にわがままを言うために身につけてしまった技だったが、大抵の男には有効だったというのに。


「助けたのはおれだけどね」


 ルキアが余計な口を挟むと、アリスの表情がどんどん硬くなる。表情の硬さと機嫌の悪さが比例することはエマは経験上よく知っている。そして最後には見る者の心が凍るような笑顔を浮かべるのだ。


(困ったわ)


 これは早めに正攻法でいくしかない。エマは泣くのをやめて懇願する。


「反省してるから、お願い、もうそんなふうに怒らないで」


 だが、


「どう反省しているっていうのかな。どうせ、次にまたヘルメスが言いがかりをつけてきたとしても、同じことをするつもりなんだろう?」


 アリスの機嫌はなぜか直らない。いつもと違う彼の様子にエマは戸惑うばかりだった。


「で、でも、なんともなかったでしょ。もしルキアが来なくても、多分一人で何とかできた。だって、相手はヘルメスよ? 一度も負けたことないのよ?」


 アリスはため息を吐いた。


「僕が何に怒ってるか、勘のいい君でもわからないんだろうね。君は自分の力を過信しすぎてる。僕は君がだれかに――」


 アリスは口ごもったかと思うと、大きくため息を吐いた。本当にどうしたのだろう。優しいアリスはどこへ行ったのだろうと不安になる。呆れられたのだろうか。エマは切り捨てられてしまうのだろうか。


(やだ、そんなの嫌)


 本気で泣きたくなったエマが絶句すると、アリスはやや気まずげに片手で目を覆う。そして再び顔を見せてくれた時には、硬くなった表情は和らいでいた。


「わかってくれたのなら、いいよ」


 アリスはいつものようにポケットから飴の袋を取り出す。エマが口を開けると、アリスはちらりとルキアに視線をやったあと、いつもどおりに長い指で金色の飴をエマの口に押し込んだ。いつもより少々強引な仕草のせいで、上唇に指先が触れた。

 とたん、アリスは瞳を揺らがせ、それを隠すかのように目を伏せた。


(やっぱり、なんだか、変?)


 首を傾げるエマの隣では、ルキアが二人の様子を黙って見つめている。物憂げな、なにか言いたいことがありそうな視線も気になって、エマは今日の飴の味が何なのかわからないままだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る