第47話 Happily ever after(終)




 しばらく松木さんがご飯を食べてるところを見ている。

 おかわりと言われたので、きれいによそった。

 いつもより食べ過ぎってくらいお腹に入れているが、

 美味しそうに食べているのが伝わってくる。


「ごちそうさま。……おかげさんでよ。飯が旨いよ」

「よかったです。本当に」


 松木さんは呪いで失っていた感覚を取り戻し、また味を感じられるようになった。私も砂を噛むようなあの食事は、もう二度としたくないな。

 いまはたぶん何を食べてもおいしく感じるんだと思う。

 はっきり言ってこれは……千載一遇のチャンスなんじゃないか?


「えっとあの、私……週明けに高校の入学式で、その」

「ああ聞いてる。ひな達みんな高校生かあ。あっという間だ」

「し、四月からお弁当作ろうって思ってて、でも、上手に作れるか心配で……」

「そんな気負わなくてもいいだろ。……しかし流行ってるみたいだな? 弁当」


 もし、松木さんが良かったら――

 って言葉は、ノドの奥で止まってくれた。


 チャンスっていうのは勝ち取るもの。

 そこに転がった瞬間、我先にと誰かの手が掴んで無くなる。

 私の3年とちょっとの舞台経験からはそうだ。


 松木さんが感覚を取り戻して、一週間以上経つ。

 JINプロの休憩室に入り浸る松木さんを見る人はたくさんいる。……私は何をしていた? のんきしてる間に、舞台はどんどん先に進んでキッカケを逃してるんじゃないか?


「お弁当。誰か、始めたんですか」

「ああ……みうも高校から手作りらしい。ミツは食に目覚めたーとかでけっこう手間暇こさえたモン作ってるな。最近俺の喰いっぷりがいいのか、弁当作るから食べろって言われたよ」

「そ、それっていつの話です?」

「ミツは味覚が戻ってからわりとすぐ。みうは昨日。JINプロの公演の時だな」


 ぐぐ……

 昨日、未羽と公演行っとけばよかった。

 舞台でクタクタだったから、眠っちゃ悪いしつぐみの退院に合わせて三人で観ようと約束してたが、そこで止まっちゃったな。

 どうする? つぐみに相談……いやいや、私たち三人の中じゃつぐみが一番料理上手だ参戦されても旗色が悪いなあ。

 ひかりさんはさすがだ。生活もぴったり寄り添ってるし、一気に胃袋を掴もうって魂胆か。ただ、二人ともそんな雰囲気も情報も入って来てない。

 休憩室や楽屋の昼食時は、JINスタッフの目と耳があるからな。

 なんとなく、現在までの悲しいすじ書きが見えてきた。


「他にも弁当どうぞって奴が何人もいたけど、作るの大変だろ? 全部断っといた。俺はしばらく、この休憩室のふりかけでいいや。何しろタダ飯だしな」

「ああ、やっぱり……」

「やっぱり?」

「松木さんは松木さんってことです」


 私の思いを知ってか知らずか、

 松木さんはとぼけた笑みを浮かべた。


 ゆっくり休憩時間ギリギリまで食事をしてるのは、

 この間まで『あやねがひょっこり顔を出すのを待っていた』

 って思いを覗いたことがある。そうやって砂を噛み続けてた。

 今は純粋に、食べているものを味わっている。

 本当によかった。


「舞台に立ってる時以外モノクロっていうか、何も感動しなくなってたが……見るものに色がついてきた。忘れてたよ。生きた心地ってやつを」

「今回の初公演もすごい評判でしたね。スタッフさんから伝わってます」

「俺にとって、演劇ってのは過去の繋がりでしかなかった。息をするのが楽になるからって程度の逃げ道だ。二度と燃え上がらないと思ってた役者の熱が、舞台への熱が……また戻ってくるなんてな」


 お前のおかげだ、と呟いた。

 本当に私に対してそう言っているのかな。

 もしかしたら。


 あやねに向けた気持ちのような気もする。

 松木さんの呪いを、やっつけたのは彼女だ。私じゃない。


「俺はお前に言ったんだぞ。ひな」

「……はい」 

「あいつは……自分勝手にさんざん振り回して、置きみやげにいろんなモン背負わせてっただけだよ。いい迷惑だ。児童劇団にいた頃は古ぼけた記憶じゃない。頭ン中の引き出しのいつも決まった場所に収まってて、思い出すのがくせになってた。それを荒らしまくってそのまんまにしていったんだからなマジで!」

「ええ。本当ですね」

「ああー腹立つ。託された方、願われた側の都合なんてお構いなしだ。もうしばらくは思い出してやるもんかよ。頭にほこりかぶって悔しがればいい。誰がもう泣くか。ひなたちにだって大変な目に遭わせやがるし本当に――」


 ぐちぐち言葉を並べる松木さんは、初めて見る。

 恨み節なんて縁の遠い人だと思ってた。


 舞台が終わってから役が抜けるまで、人それぞれで違いがある。

 幕が下りる時、打ち上げの時、寝る時起きる時。

 松木さんは舞台千秋楽まで入りっぱなしになるタイプだ。

 文字通り魂を燃やし続けながら。


 ただそれだと生活や体調に影響が出るし、

 何かのキッカケで、適度に抜いてあげないと危ない。

 きっとひかりさんもあやねも、公演後はしゃべり倒させていたんだろうな。

 

 張り詰めた顔つきと集中がとけて、素の松木さんに近くなる。


 毒も抜けて、軽い口調の会話が続く。

 お互いのケガの経過。改めて自分とあやねが迷惑をかけたことへの謝罪。高校での授業や行事。そのどれもが、私の不安を和らげようとしているのが分かる。松木さんの冗談を交えた優しさが伝わってくる。


 松木さんの、あやねに対する執着は消えた。 

 忘れてはいないし、大切な存在であることはそのままだ。

 松木さんの中で、あやねへの想いは絶対にゼロにはならない。

 でも少しでも、私は…… 

 あなたの中で、日野陽菜という存在を大きくしたい。


「マツキさん」

「んん?」


 《今度は転ばないようにね》と、あやねは言った。

 あの舞台、非日常の物語は終りを告げ、この瞬間がある。

 ――もし転ぶとしたら。それは今ここからだ。

 あとは返ってくる松木さんの気持ち……

 転ぶか跳ねるかは私の問題。


 ただ転んで……一人じゃ立ち上がれそうにない時。

 手を差し伸べてくれる誰かがいる。ひたむきに頑張っている姿を見せ、背中を叩き、エールを送り、やりたいようにやれと見守ってくれる人たちがいる。心も涙も熱い仲間たちが。


 児童劇団にいて……私は変わった。

 星の数ほどの願いが叶わなくて、ひとつ残らず消えることだってある。

 だけど誰でも、頑張って、頑張れば。

 自分をなりたい自分に変えていける。

 それだけは必ず叶うように出来ているんだ。


 その私が『今しかない』と魂を軋ませている。


「私はマツキさんのことが好きです」

「……」

「私のこと、どう思ってますか」

「さあ、どうだったかな……」


 胸の音がうるさい。それでいい。


 どんな形であっても、松木さんは応えてくれる。

 嘘はつかないし、はぐらかさない。そういう人だ。


 松木さんは何か考えている。


 心を覗くことはできないけど、想像することは自由だ。

 きっと私の想像なんか越えてくる。

 そんな気がして、胸の高まりが止まらない。

 松木さんの熱が……魂が、いまは私一人だけに向いている。


 なんて言ってくれるんだろう?

 次に私は、なんて返すんだろう?

 そうやって……感情がどんどんあふれ出るように。

 






 私はまた彼のことを、思い始める。









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人をのむ呪い 安室 作 @sumisueiti

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ