第44話 別れを告げる夢




『痛みはその、我慢してください! アレです、ちゃんと生きてる証拠です!』




「この声、七瀬あやね……さん?」

『ふふ、あやねでいいよ。ひなちゃん』


 同い年だしね、と明るい快活な声で言う。

 たしかに気安い呼びすてが彼女にはしっくりくる気がするし違和感がない。

 ずっと精神を共有していたからだろうか。


 室内練習用の、底のすり減ったスニーカー。身に着けたウェアは特に飾り気がないのに、彼女の可愛らしさがあふれ出ているようだ。檻の中にいた時の服装なのかな。雰囲気は少し未羽に似てる? 


 こうして面と向かってみると、ずいぶん幼い。

 後輩か……小学生でも通じちゃうかも。


『ひなちゃん? なに考えてるか、分かりますよ!』


 そう言うと、にっと歯を見せて笑う。

 ……心を覗いてもいないくせに。

 このいたずら好きな感じ、つぐみにも通じるところがあるな。


『痛みは麻酔が醒める途中みたいなモノだと考えてください! 私が出ていく時、掛かっていた呪いもやっつけました! だから今のひなちゃんは混じりっけなし、正真正銘100パーセントひなちゃんです!』

「人をジュースみたいに……この痛み、どれくらい続くの? あやね」

『精神の痛みは……どうでしょうか? しばらくは続くかもしれません。呪いが解けたから、もうすぐ私の姿も声も分からなくなりますし、その前に現実離れしたこの光景が、気持ち悪くて怖ろしいものだって感じるかもしれません。それはぜんぶ、私のせいです……ごめんなさい』


 申し訳なさそうに、ペコリと頭を下げる。


『私はかいぶつにバラバラにされました。檻から出て、人のような精神で動くために私を……部品にしたり作り替えたり、組み込んだりして使っていたんです。だから、いまここにいる私が本物か偽物かは分かりません。かいぶつたちみんなが、、って思ってましたからね』

「……そんなこと」

「ええまあ、私こそが七瀬彩音の中でも一番いい部分を切り取った存在です! ほかの私とは違うんです! ! って心から思う私なんだ……きっとね」


 あやねは笑っていた。

 それは願いにもならないほのかな期待。

 そうだったらいいな、と頭によぎっては消えるもの。


 彼女には譲れない想いがある。

 なんで最初に私に混じり、動かしていたのか、分かってきた。

 檻の中で一人、かいぶつのいいように扱われ……おぞましい屈辱という泥水をのみ続けてまで叶えたかった願い。

 彼女の全てが、それだけのためにある。


 あやねは私が言葉に詰まっているのを感じて、

 少しまじめな顔をした。


「ただ、消えていったがこだわったように。私にも叶えたい思いがあります。だから私はここにいる。ひなちゃんは、自分の足で日常に帰るの。今度は……さっきみたいに……転ばないようにね……?」


 涙は流れていないのに、急に姿がぼやけて見える。

 声が途切れ途切れになる。

 目の前からあやねが、消えてなくなっていく。


「……ひなちゃんの……で、思い出……劇…………友、だち――」


 私が言葉を交わす前に、人をのむ呪いは解けた。

 彼女はまだそこにいるんだろう。私が見えなくなっただけで。

 できれば一言、私は大丈夫だと。お別れをしたかったが……

 それはもうできないみたいだ。


 足が重たい。

 今まで二人で身体を動かしていた反動と、

 精神への痛みと、単純に疲れが出ているせいだ。

 腕や手のひら、首すじがズキズキと痛んでくる。

 気にしていなかった傷に意識が向く。

 影もひとりでに動いたりはしない。ただの私の影に戻っている。


「ったく、今さら……たいした役者だな?」

「あはは……ほんとだよ」


 松木さんとひかりさんが、何もない空間に話しかけている。

 彼女のいる場所に。

 軽口やちょっとしたやりとり。二人ともちょっと子どもっぽくみえる。彼女に合わせているのか、もともとの……三人でいる時の地が出ているのか、すごく自然に思えた。

 何か話してるけどうまく聞き取れない。


 あやねは、二人の呪いを解くつもりだ。

 人をのむ呪いじゃなくて、今まで縛り付けていた過去という呪いを。この世界で二人の後悔を晴らしてあげられる人はいない。一生かかっても消えないはずだった傷を癒し……松木さんとひかりさんを前に進めてくれる人は、いまここにいる彼女だけだ。


「あ、それ私がさっき言っといたー」

「気にするかバーカ! 知ってんだよ!」


 この他愛ない会話が、彼女の叶えたかった夢。

 本当はもっともっと、家族のことや舞台のこととかいくつもの願いがあって。その中で一つだけを残し、これだけは離さないという想いで動いている。


 やっぱり、彼女がそうなんだ。

 檻の隅に追いやられても、自分を遠くから見せられ続けても、

 彼女の魂は汚れてない。

 薄暗い観客席の片隅で、変わらずに輝きを示している。

 それは本当に、きれいな部品だけで構築されたキセキだ。


 もういちど、目を凝らす。

 私の中の部品をありったけ動かせば、彼女が見えるかもしれない。声が届くだけでもいい。何か方法があるはずだ。彼女を生かすやりようが。伝えなくちゃ。このまま消えちゃうのは、ダメだ。

 彼女は……紛れもない本物で。

 あやねが私の中にいてくれて、私は救われたんだから。

 ほんの一瞬でいい。あと少し。少しだけ――




『ごめんね……死んじゃって』




 その一言が耳に残り、

 困ったような微笑みを浮かべている顔が見える。

 でも、あやねがどれだけの気持ちを込めて……あるいは隠しているのかは分からない。たとえ世界を見透かすほどの呪いを込めたとしても、彼女の真意はひそやかな場所に仕舞われて、暴くことはできないように思えた。


『二人を助けられるのは、私しかいない。それはわかってるんだ。だけどね。それが嬉しくって……今がずうっとずっと続けばいいのにって思ってる。ほんとバカみたいでしょ』


 目の前にいる二人ならきっと。

 呪いなんかに頼らなくっても、その気持ちを見つけてあげられる。

 押さえつけてゆがめてしまった思いを、すくってあげられる。

 そういうものだ。本人より知っていることだってあるくらいに。

 だって二人は……あやねの友だちなんだから。


 何でもないように、またすぐ三人で話し始めた。

 私には会話の端々まで捉えることはできない。

 もう本当に私の中に、呪いの力は残っていないみたいだ。


 



 *  *





「バイバイ」

「じゃあな」


 帰り道のワンシーンみたいな別れを告げる。

 あやねがなんて言ったのかは分からない。

 二人の言葉からして、ごく軽い別れのセリフだ。


 彼女はこの結末を初めから選んでいて、二人もそれを汲み取り。

 分かった上での茶番を続けていたんだ。

 松木さんもひかりさんも笑っている。

 きっと彼女も笑っているだろう。


 輝きが見える。

 


 オーロラのようにゆれながら光を放ち、離れていく。

 もう辿り着けない、私のとどかない世界に向かって。

 さよならを言うのは私よりも適役がいた。

 それでいい。あの輝きの場面に、私が割り込まなくていい。


 もうこの劇場や舞台上に、彼女の気配は感じられなかった。

 部品の輝きは消えて薄暗い観客席に戻っている。


 松木さんが、ひかりさんを抱きしめる。

 少し見えたひかりさんの横顔は、涙が流れていた。

 声をあげず、肩をふるわせることもなく。

 ……私は気付かなかった。

 静かに松木さんの胸へ、涙が吸い込まれていく。


 松木さんも泣いているのかな。

 なんとなく、ここからでも感じ取れるけど。


「おい、ひな! なにつっ立ってる!」


 呼ばれて反射的に振り返った。

 真っ暗な観客席からは、脚光だけ灯った舞台がまぶしく見える。


 紙谷さんはたか子さんを抱えて、袖の通路に運ぼうとしていた。

 たか子さんの傷は衣服で縛る方法で止血の手当がしてある。もうすぐ救急隊がくる頃だ。ケガの深さから、たか子さんが最初に運ばれると思う。次が――


「……いいか、お前が願ったんだぞ。これ以上は言わせるなよ!」


 息をのむ。手も足もふるえ出した。

 それを見て紙谷さんは舞台袖に退場する。


 一歩、また一歩。

 私だけの歩き方を思い出すみたいにゆっくりと進む。

 転ばないように……心配されないように気を付けながら。


 目を開いて、あの脚光へ。

 心臓の音がうるさい。呼吸もおおげさなくらいだ。

 少し速足になる。観客席を通り過ぎ、舞台縁に手をかけ不格好に這い上がり、ふらついてでも前を目指す。


 つぐみと未羽が、互いを支えて身体を起こしている。

 目が合った。

 いや、私が視線を向けるまでずっと二人は待っていたのだ。

 私たちの場所に、私が辿り着くのを。


「つぐみ。みう」

「ひな……」

「ひなちゃん……!」


 二人が私の名前を呼んでいる。

 もう一度、私もそうする。


「つぐみ! みう!」


 その瞬間に話したいことが、たくさん湧いてきた。

 心配したこと。聞きたいこと。怒りたいこと。大変だったこと。

 気持ちがいくつも混じり合って、私の魂に熱を移していく。


 二人の首に、両手を回す。

 軽く引き寄せると、ぐっとお互いの顔が近づいた。


「ひな゛ちゃん……ゔうっ……ひな゛ぢゃん!」

「泣くなみう。……すごい顔だぞ」

「……つぐみも泣いてるじゃん」


 私も泣いている。

 だけどもっと身を寄せ合えば、分からない。

 まつ毛がくっつく距離。

 二人の涙の熱がほほに伝わってくる。


 それは私の良く知っている温度だ。

 いつかの公演で、観客席から万雷の拍手を受けた時みたいに、

 感情が込み上げてくる。


 いま、舞台の上には《きれいなもの》だけがある。

 それは感動なんてもんじゃない。

 どう表現すればいいか、とても思いつけない。


 こんなに熱いものが流れているのか不思議なくらい、涙が流れる。

 そのきれいなものを、三人で触れて感じている。

 私の願いは叶った。生きてて一番、本気で嬉しい。

 二人がいたから、そう思うんだ。




 ああそうだ。

 本当に……生きててよかった。



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