第42話 光へと導く夢
「走れ!」
力強いアキラの声。
言葉通り弾かれたように走り出し、みんながあとに続く。
私も走る。
仲間と同じ《かいぶつ》へと向かう参列から外れ、客席に飛び降りる。
「どこへいく?」
「舞台をおります。逃げるんですよ」
「好きにしろ」
「好きにします!」
ガミさんの声を背中に受け、
観客席の脇から劇場扉へ最短距離を駆ける。
ああ、くそ。
私が守っても、手伝っても、倒そうとしても。
誰かが傷つく。
誰かが傷つけば、あとは精神が崩れて全滅する。
計算違いがあったなら。
私たちは文字通りの一蓮托生だったってことで、
どうあっても変わらない運命らしい。
それを読み通せなかった。
だから走る。《確実にそうなる》運命を変えるために。
かいぶつとは戦わない。
しっぽ巻いて逃げる為じゃない。
距離を稼げれば《ゆらぎ》を作れる。
客席から舞台までの空間があれば、
ギリギリかいぶつだけを標的にできる。
先読みではかいぶつはあの場から動かなかった。
留まっているなら、すっぽりと檻に収められるだろう。
だがかいぶつは必ず動く。
今は
私は格好の囮だ。絶対に追ってくる。
時間が空けば、かいぶつは私に勝つ手立てがなくなる。
無限に影を操り広げていけるように私は変貌する。
いま、ここでケリをつけるしかないんだよ。
お互いに!
もし私が……ここで走ることに意味があるのなら。
追ってこい。
あるいは、誰かを人質にとろうとするか?
どっちにしてもみんなの命は保証される。
失敗しても、私とかいぶつが消えるだけだ。
非常用の点灯もない、暗闇が先に広がっている。
舞台の袖明かりから遠ざかり、何も見通せない。
でも私は児童劇団の一員だ。
客席を横切り、扉まで目をつむってでも走れる。
何度も舞台上から眺め、袖から見送り、
友だちが主役を張る劇を見続けたんだから。
……舞台上でミツとアキラが動いた。
つまり、もう限界だ!
これ以上時間を掛ければ、一人ずつ順に殺される。
この場所じゃ。この距離じゃ。
足りない。知ってるよ。
条件は整ってない。分かってる。
私じゃ運命を変えられない。
やるだけやった。でも意味が無かった。
よくある夢とか、劇のオーディションとか。
頑張って頑張って。頑張ったからこそ予想できてしまう結果だってある。
でも足は止めない、前を目指し続ける。
ほんとバカみたいだ。
走ったって走らなくたって変わんないのにさあ。
どうせみんな死ぬんだ。
私が出来る全てを《試してみた》から分かる。
届かないこと。ダメなんだってこと。
舞台にいても、観客席を走っても。
私じゃ何も変えられないって……わかってるんだよッ!
「……ぶぇ?」
足がもつれたように転び、床のカーペットに
思いっきり鼻をぶつける。
ええ、足?
何もないところで……
いや、私に精神的な揺らぎはない。足取りが乱れるはずがない。
足元にかいぶつの邪魔なんてのも、準備する間だってなかった。
靴裏に紙切れでもひっついていたのか、それとも他の要因か。
こんな、ふざけた結末なんて知らない!
私は最善を選び取れる。
この劇場のすべてを覗き、把握できたんだから。
先を見通しあらゆる失敗を避けていける、はずだ。
なんでこんなことになる?
《あははハハハ。うくくヒヒヒヒッ》
すぐそばで、誰かが笑っている。
自然と込み上がってくるような嘲笑を、私は感じ取った。
扉の方向には袖明かりも届かない、闇が広がっている。
『キミに逃げるつもりがないことは知ってたサ。檻への門を開いて、ボクを捕まえるつもりだったんだろ? ……すっ転ぶなんてな。アアァあっけない幕切れだヒヒッ』
扉には濃い影がかかり、笑い声に連動して震えた。
影は私の方へ、じわじわと膨張し続けている。
蒸発するような鈍い輝きをまき散らしながら。
『殺さなくて良かったよ。土壇場で、キミを……無抵抗のキミの身体と影を喰らい、乗っ取れる場面に出くわせるなんて。ホントウニ本当に思いがけない幸運。『第九』の唄をフルコーラスで贈ってやりたい気分だ!』
かいぶつという名の影が、私に覆いかぶさろうと蠢く。
私は無防備に舞台の方へ振り返った。
そこには、ぐったりとした未羽を抱き止めるつぐみと……
舞台からおりて、こちらに駆け寄ってくるミツとアキラがいた。
「そっか、みうの身体を抜けて、ここまで……」
『あれも役に立ったが、もう必要ない。考え得る理想の入れ物が、どうぞ、と招いているのなら……ボクは喜んでキミになろう』
「読みは間違ってなかった。躓かなければ、私とお前ごと、檻へ……!」
やばい。
か、影がない。舞台上に伸ばしたままだ。
戻しても間に合わない。
かいぶつが大口を開けて私をのみ込もうとしてるのに!
『あははハハハ! 十秒ほど先を読んでいいよ……キミの身体を使い、星渡りの残骸どもをすり潰すボクの見せ場はバッチリ決まっているかァ!?』
後ろから、私の名前を呼ぶ何人かの声が届いた。
そしてそれ以外に、舞台上で呟く小さなセリフが、確かに届いた。
歯車が無慈悲に軋む音も。
かいぶつが燻ぶりを吐きながら、
その頭と腕を振るわせて、私の魂を掴もうとする。
『いい表情じゃないか。希望あってこそ悲劇は映える。ここまでの筋書きも二転三転あったが……最後は星渡りの命が運んで来た、最高の幕切れだ! キミの身体で振り返り、星渡りどもを見た時、どんな顔をするか。ヒヒッ……楽しみだよ』
「影よ、私を……!」
でも、最後まで足掻き続ける。
私が目指す道を、選び続ける。
どうしようもない別の未来へと向く力に押され、
違う場所に行き付いてしまったとしても。
ただ運命に流されるってことだけはしない!
何をしたって影が私に届く前、向こうの方が先だ。
距離を縮めでもしない限り。
かいぶつの腕が、牙が、ぐいと引っ張られて止まった。
扉に向かう空間が静かにゆらぎ、かいぶつの身体にまとわりついている。
痛みを堪えながら抜け出そうとして、振り払うように大きく吼えた。
『お、檻への門ッ!? いつ開いた! いやキミは、しるしを使ってすらいない……!』
動揺したかいぶつのセリフが届く前に、
影を可能な限り減速させ、鋭さを取り払う。
ややあって背中に影がぶつかった。
踵からマントのようにはためかせ、輝きを持たせたまま周囲を伺う。
運命を、私以外の誰かが変えてくれた……?
この門。
確かにいつ、誰が開いたんだろう?
最後に《しるし》を発動させたのは、つぐみだ。
それもかいぶつを妨害するだけの小さなもの。
かいぶつを包み込むほどの規模の門を作るには膨大な精神が必要だ。人ひとり廃人になる程度の代償が要る。人数で負担を軽減したって、削る量は同じ。
かいぶつも私も、これだけの門を開けば絶対に気付く。
精神を減らす行為は瞬時に掌握できてしまう。
事前にその位置から離れたり、警戒するくらいわけない。
なんで誰かの消耗や術の発動に、気付かなかった?
「軽く見られたモンだな、ひな? 俺たちゃア役者だぜ?」
* *
扉から正反対、舞台の方からガミさんが言う。
劇場全体に漏れなく届く、洗練された役者の声だ。
『紙谷リョウジ……キミでもないな。ボクを閉じ込める大きさの門。今の星渡りどもがより集めても作れっこない……どうやった!』
「なんか説明するのもアレだな……単に役者が違うってだけの話だが」
かいぶつが苦し気に息を吐き、
輝きをまき散らしながらガミさんを《覗き込む》
さっきの私のように読み取れる精神を何度も探る。
『分からない……分カラナイ、分カラナイ! 残骸どもが……どうやって』
「たかだか10年や20年、人らしい精神を組み立てただけのお前に、人の虚実のやり取りで俺たちにかなうモンかよ……ま、いくら覗いたって答えは出ないからなァ。種は無いが、しかけならあるぜ」
舞台上、ガミさんが私の日記を手にしていた。
その日記の《しるし》がにぶく輝きを放っている。
すぐそばには、たか子さんが横たわり、
干からびた血にまみれている。
『嘘だ……嘘ダ! ボクを、騙したなああアアァァ!』
「読み取ったな? 絶望したな? お前は疑わなかった。全てを理解したと思い込んだ間抜けだ。せめて舞台上の誰が、本当に退場したかどうかくらいは掴んでたなら、俺たちの台本通りに踊ることァなかった」
『アア、クソッ! 割レネェ!』
「いくら暴れたって壊れないぜ。その門はJINプロの……俺たちの魂で出来てるんだからよ」
檻から出て来た門は、はじめから砕けてはいなかった。ガミさんかたか子さんがかいぶつに気付かれないよう、ここまで動かしたのか?
違う。
この門の規模。中に構成されている精神。
これは……ひなが開いた奴と、二つの門がシャボン玉のように重なり合って出来た門だ。この劇場にいるすべての人の精神が込められている!
私の足をもつれさせてかいぶつの一撃をかわし、
閉じ込める絶好の位置に誘導したのはひなだ。
そしていままで維持していたのは――
『ひなァ! クソッ……お前ら、退場したんならそのまま死ねよォ!』
かいぶつは舞台上、たか子さんの方を見て怨嗟の声を張り上げる。
青白い顔。身体には大量の血が零れた跡。乱れた髪のすき間から見える口が、かいぶつの絶叫を吸い込むようにして動き、満足げに息を漏らした。
嘘じゃない。
あの傷も血も、現実に起こったことだ。
出血を《しるし》で止めているか、身体に仕込んだ《しるし》が影を逸らして致命傷を避けたのか、まだたか子さんは生きてはいる。
すぐ治療をした方がいい。かいぶつを捕らえた呪い……その要だとしても。
「ガミさん。門の維持は私ができます。みんなを病院へ」
「……ここまできて、手落ちは無いだろうな?」
「発声練習かハミングの片手間でもやれますよ?」
アキラは重傷。ミツと未羽は怪我してるし、つぐみは衰弱から回復まで時間がかかるだろう。
ガミさんも腕の傷がひどい。全員が手当てを受ける必要がある。
あとは私が幕引きまで責任を取ればいい。
「なら、任せる」
「はい!」
意識を集中させ、見えない呪いの術式を《掴む》
みんなが創り出した門を私が繋いで、精神と言う名の血を循環させる。
少し遅れて締め付けられるみたいに、魂へ負荷がかかる。
たか子さんが術から離れたか、意識を失ったかのどちらかだ。
でも、この程度なら。
鼻唄気分とまではいかないけど、やり通せる。
かいぶつが力を込め、苦しさで身震いした。
シュルシュルと黒い影が散り、かいぶつから離れた途端に輝きを増していた宙を漂う。暗闇に光る星々のように淡く光りながら、誰かの願い、あるいは精神が次々に解き放たれる。
この檻への門は、ひなやたか子さん、みんなの精神が込められている。
かいぶつが塵になるまで解かない。ガミさんもそうしたし、私もそうする。
『うぎ……グウ……オオオアアアァ!』
叫びとともに、かいぶつの伸ばした腕がまっすぐに私へ迫る。
私はまばたき一つせずに、新たな行動を見送った。
呪いの維持だけだ。私の役目は!
「ひゃん」
後ろにのけ反るような格好になり、
私とは思えない声が出た。
かいぶつの影は私の鼻先で留まり、当たらなかった。
アキラに、服ごと首ねっこを掴まれている。
「ありがと……アキラ」
「……」
アキラに舌打ちされた。
――えっと、セリフの選択を間違えたかな?
ちゃんと心を込めて言ったのに。
そのまま首に手が回されて、ぐっと引き寄せられる。
10年で埋められなかった時間と距離を埋めるように。
こんな近い距離でアキラといたことなんて……
いや、割とあったな。茶番とかでは。
指先が私の身体をなぞり、いろんな所に触れる。
首から肩。顔からほほ、唇に。
「くすぐったいです……ミツ」
「あははっ」
ほっぺをつついたり、伸ばしたり。
うりうりと夢中になっていじり倒している。
そうだ。これが私たちの距離だったな。
過剰に可愛がられてはいるけどさ。
私には見えていた。
《私を引っ張りあげ、抱きしめてくれる》この場面が。
まあ、アキラがそれをしなくても大丈夫だったけどね。
でもありがとう。
かいぶつには、もう私や誰か傷付ける気持ちは無い。
手を伸ばして掴みたいものが……あるだけだ。
《アア、舞台が……舞台に、戻らなくちゃ。この……役と、あの輝きに……》
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