第41話 大切な人を守る夢




「始めるぞ」


 舞台上に大きな拍手が一つ響いた。みんながそっちに顔を向けず、

 正面の《かいぶつ》を見据えた。

 紙谷さんがキッカケになり、意識を切り替える。

 散り散りになった影は、再び未羽の元に集っていた。


「かき集めてそれだけか? ずいぶんしょぼいナリだな、ええ?」


 ゆらゆらと揺れる大きなしっぽ。

 背中から生やした黒いつばさ。


 かいぶつを構成する他の部分はない。

 未羽の身体が露出していて、趣味の悪いコスプレに見えなくもない。


「なるようになっちまうもんだな? 俺達を壊してもまだ動いてるぜ。部品を無くした狂人が自らの精神を嗅ぎ付け……てめェの影を喰らいによ」

「こ、この残骸どもが……!」

《心を悟り、星を渡り、夜空を流れ。そしてしぶとい頭脳まで起き上がってきやがる……これは、夢か? 。叶える存在であるボクが誰でもない悪夢を、なんで見なけりゃならないんだ!?》


 かいぶつの精神は、かすかに動揺が見え隠れしている。

 もう《覗く》ことへの誤魔化しに力を割くつもりはないらしい。


「ここから逃げることも頭に入れてろ。いいな?」

「逃げません!」


 ガミさんの確認に、つい反発してしまう。

 私の反応が意外だったのか、

 何か懐かしむように目を細めて、少し笑った。


「……言い方が悪かったな。JINスタジオなら、俺やミツの仕込みが残ってる。横からの不意打ちだって出来る。そもそも今のお前なら、少し時間を置けば、正面切ってかいぶつをねじ伏せられるだろうさ」


 そうかな?

 ここ以上の場面なんて本当に作れる?

 《かいぶつ》は弱り、舞台には《しるし》が敷き詰められ、

 アキラとミツ、つぐみとガミさんと私。

 手が足りないってことはない。打ち倒せる。

 でも、絶対じゃない。

 私がみんなを守っても、紛れはある。


 確かに誰かが欠けるくらいなら、

 逃げを打つことも手の一つ。

 ガミさんの言いたいのはそれだ。


「……わかりました!」

「檻への門を開くとしたら、どれくらいのを作れる?」

「一番小さくしても、この舞台丸ごと収まっちゃいます」

「ならいい。勝てないなら逃げろ。逃げることも出来なけりゃ……それで台無しにしてやれ。機械仕掛けのかいぶつなんかに好き勝手させるな」

「はい!」


 優先順位は分かった。

 あとはこれからどう動くのか、打ち合わせがしたい。

 《かいぶつ》に筒抜けになるのは仕方ないけど、連携はばっちり取るべきだ。せっかく、これ以上ない条件が揃ってるんだから。


 つぐみが私の前に立って、祈るように胸に手を当てた。

 虚空を掴み、目を細めて集中する。


「紙谷さん。ひなには指示、伝えないんですか?」

「アドリブで動いてもらう。俺達は台本通りだ」

「わかりました」


 は?


 私とかいぶつは、同じ顔をしていた。

 指示? 台本?

 私には来ていない。もちろんかいぶつにも。


 いつ舞台を整えた?

 初めから、この場面の筋書きはあったってことか?

 それともメモ書きとか渡して読んでた?


 いや。

 どんな方法にしても、私たちは気付ける。

 顔色や仕草で考えを当てるとか、そんな底の浅い呪いじゃない。

 脳があって、精神とか心があって。……魂のようなものがあって。

 私の前ではすべてが晒け出され、好きなように掴み出せる。

 私が《心を覗く》というのはそういうことだ。


 なぜ浮かび上がらない。

 ほんの少しでも察知できなかったんだ?

 なぜ今……みんなの思いがどこにもない?


「どうして何も……覗けないんですか」

「ま、ざっくりと言うとな。ミツとアキラで接触。俺とつぐみはそのサポートだ」

《読み取れる精神が見つからない》


 私はいま誰と話している?

 口の動く死体――

 ああいや。よく出来た人形劇に私だけが……

 生身の人間として出演しているような。


「お前は好きに動け。限界まで《先を読んで》みろ。いまの俺たちの頭ン中は分からなくても、意思は汲み取れるはずだ。そこから自分の進むべき最善の道を選び取っていきゃアいい」


 アキラとミツが、かいぶつを遮るように立ち《しるし》を向ける。

 その背中を見ても、《読み取れる精神が見つからない》

 中がからっぽ、とか、何かで隠されてるとかとも違う。

 ない。なにもない。


 つぐみが祈るように胸に手を当てながら、ちらっと私を見た。

 彼女らしくない、ぎこちない笑顔を作っている。私のために。


 いま、私は間違いなく心を覗いている!

 檻の中でつぐみを見つけた時以上に、何だって分かる。

 暗闇さえ見通せる感覚でいるのに!

《読み取れる精神が見つからない》





 魂のきしむ音がする。




 ひび割れて、砕けていく部品。

 恨みや痛みを堪える叫び声ひとつ、誰もあげない。


「気にするな。なるようになったんだ。糞みてェなどん詰まりから、好機が巡ることもある。捨て台詞吐いてくたばるよりずっと上等だよ。迷ってもがいて、やっと俺たちの番だ……二度と逃すかよ」

「ひ、やめろ……近づくな!」


 田邊未羽が叫び声をあげた。

 かいぶつの影を喰らいに、狂人が迫る。

 舞台上、列を成して彷徨う――人形たちの行進。


「言葉のアヤだろ別に取って食いやしねェよ。軽くさわるだけだって」

「させるか! 残骸らしい姿に変えてヤルっ!」


 かいぶつの顔が憎悪に歪み、

 未羽の上半身がドロドロとした影に満たされる。

 しっぽとつばさが震え、攻撃の構えを見せた。


 無数の部品。精神の残骸をかきあつめ、

 それらしく動く機械仕掛けのかいぶつ。


 先に行く者が動けば、そのようにただ動くだけ。

 魚群が形を保とうとするように。

 渡り鳥の先頭に他が従うように。

 ただついていくだけの。


「走れ!」


 力強いアキラの声。

 言葉通り弾かれたように走り出し、みんながあとに続く。

 私も参列に加わり《かいぶつ》へと向かう。

 同じ道を、同じ仲間とともに!







 *  *







 かいぶつの繰り出す影を、ミツとアキラが避ける。

 避けながら、一歩、また一歩と距離を詰めていく。

 かいぶつは大振りはせず、鋭く戻しの速いムチのような攻撃を繰り返す。


 近付けさせないことに特化した迎撃。

 正確に舞台床の紙切れや二人の位置を把握し、

 かいぶつを中心にした円形に近付くほど

 影の密度と攻撃が濃く苛烈になっていく。


 言い方を変えれば、こっちのミスを待つ消極的な方法だ。

 それは今の状況に合っている。

 ――私たちのうち、いつ、誰かが。

 糸の切れた人形のように倒れてもおかしくないんだから。

 かいぶつが待っているのは、ミスではなく自滅だ。


 アキラが床の紙切れをかいぶつに向けて蹴り上げ、

 ミツも舞台脇で集めていた紙切れを投げつける。


 一転。

 じりじりと間を詰める動きから、

 花道を駆けるように、ただ一直線上にかいぶつへ向かう。


 紙切れの間を縫うようにして二人に迫る影は、

 アキラが《しるし》で叩き落し、

 つぐみが開いたゆらぎが食い止め、残りは私の影ではじく。

 いくつかは紙切れに阻まれ、しるしとゆらぎ、あるいはひなに潰されていく。

 闇を切り裂いて進む。その先にある輝きを一心不乱に目指す。


 ミツがかいぶつに触れることができれば、

 かいぶつだけを檻の中へ閉じ込められる。

 それが、もう叶う。


 ミツの左手が、かいぶつの柔肌に触れる寸前。


 かいぶつの必死な抵抗が、

 宙を舞う紙切れをすり抜け、ゆらぎとしるしを避け、

 最も遠回りで影が流れ着き――


 ミツの顔を貫いた。


 頬の辺りから、逆側の耳横に影が突き抜ける。

 出来上がった穴と、口からも泡のような血が少しこぼれ、

 ミツが倒れる。


 その様子に目もくれず入れ替わるように、

 アキラがかいぶつに触れようとした。


 私の影を、ありったけかいぶつにぶつける。

 残したものは無い。あとはアキラがやってくれる。

 ミツの作った一瞬を、私が繋いだ一瞬を、無駄にはしない。


 痛みが走る。

 意識が遠のき、維持する影がゆらぐ。

 私の影……さっき捕まっていた時に出来た些細な傷。

 私にも分からなかった小さなひびに、かいぶつの影が残らず刺さる。

 叫び声が出そうになるが、がっちりと掴み、離さない。


 アキラは、さきほどの動きと違い精彩を欠き、

 わずかな影の抵抗に……首を深く切られる。

 ノドに大口が空き、勢いよく血が噴き出す。

 数秒、傷を押さえながらしるしを振り回したが、自分で作った血だまりに引き寄せられるみたいに、力なく崩れ落ちた。私の描いたしるしと、舞台床の紙切れたちが、群がるようにアキラの血を飲み干していく。


 ミツは横たわったまま、赤く濁った泪を溜めてそれを眺めていたが、

 やがて光を失い何も映さなくなった。


 かいぶつは二人が動かなくなるのを見届けてから、

 大きな口で、鮮血の残り香を吸い込むようにすると、

 まるでそれが原動力のように私を掴む影を強め、

 重い足運びで歩き出した。


 かいぶつとつぐみが向かい合う。

 つぐみにはもう《しるし》を使える精神は残っていなかったが、

 祈るように空間を握りしめていた。


 少し間があって、つぐみは小さく笑った。

 かいぶつに対してじゃない。

 目の前のどこかにいる友だちに向けた笑顔だ。


 その腕が、身体ごと切り落とされる。

 一瞬でつぐみの魂はかいぶつに破壊された。







 かいぶつは震えていた。

 それはまるで、顔中を口にして笑いだすのを堪えているみたいだった。



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