第40話 失ったものを取り戻す夢




「紙谷さんッ!?」

「どういうこと? 死んだフリしてたのガミさん?」

「んなワケねえだろ……声が聞こえたんで、飛び起きたんだよ」


 ガミさんがこちらを見る。

 改めて、私を何て呼んでいいか考えを巡らせているが、

 JINプロ児童劇団の団員を見る目、というのは変わらないようだ。


「ミツが間違うわけもねェが……どうやら本物みたいだな」


 さっき二人へ呼び掛けた心の声が、

 ガミさんにも届いたらしい。

 もう一つ言えるとしたら、かいぶつの削れた精神の部品。

 それが、近くの本人へ戻っていった可能性はある。


 とはいえ未だかいぶつは、それぞれの精神を宿している。

 舞台上全ての人間の部品を、ほぼ総どりしている状態だ。


「紙谷リョウジ……! 次から次へと!」


 かいぶつは再び仕掛けるタイミングを取ろうとしたが――

 私とガミさんがしるしを構え、つぐみが眼を細めて集中し、

 ミツの満面の笑みを見て、のが分かった。


「たまたま腕を振り回して、ハエを追い散らせただけなのによ? こっちとしちゃハッタリが効いて助かるぜ」


 《嘘をついている》

 ガミさんが影をことごとく弾いているのは、

 少なくとも幸運や偶然に頼ったものじゃない。

 先読み……とまではいかないが、それに近いものを行使している。

 かいぶつをけん制する効果は大きい。


 ガミさんが防御役に回れるなら、手は足りる。

 かいぶつを倒せる算段がかなり現実的なものになってきた。


「ミツ。お前……精神をかなりすり減らしたな。檻をくぐって来たのか?」

「急場だと思ったからねー。ギリギリ私一人分で足りたよ」

「もし失敗したら死んでたぞ。檻から出られねェなら助けようがあるが……戻る時にヘタ打てばどこに流れ着くかも分からなかった」


 いくら檻の中に誰もいなくても、

 出入りに人間性を失うという通行料は健在。

 移動手段に使うなんて、とても正気とは思えない。


「間に合わせるには、あれしか方法はないし試す価値はあったかな。あ、もう檻の中には何もなかったよー? 何か思い出せるかもって期待したけど、あはは。ダメだった。それにさ」


 ミツのテンションが妙だ。

 幼児退行じゃないけど、精神年齢ががくっと落ちている。

 児童劇団にいた頃とも違う。

 芦田ひかりらしさに悪影響が出ているな。


「ミスしたって、元に戻るだけだ。10年前の檻のすみっこに戻るだけ。あの日、私が自分勝手な相談さえしなかったら、あやねは……ガミさんだって」

「誰も想定できんさ。檻へ誘うかいぶつのことは」


 それきりガミさんは口を閉ざした。

 この手の問答で、ミツを説得するには至っていないらしい。


 かいぶつが引きつったにやけ面を見せながら、

 飛び散った影を床の紙切れの合間に這わせ、

 次第次第に自らの方へ呼び寄せている。


 部品がまとまりきれば、こっちの形勢は悪くなる。

 ただガミさんに動く気配がない。

 ということは、あれは折り込み済みなのだろう。


 バラバラの残骸をかいぶつ自らかき集めてもらって、

 パズルのピースを作らせ、組み上げさせ、

 一切合切をまとめてご破算にしてやれる。

 そんな台本がある。


 舞台の練習でもそうだった。

 いつも必要な場面で、的確な指示を飛ばしてくれる。

 紙谷リョウジが黙っているということは、そういうことなのだ。


「ガミさん。後ででいいけど犠牲になってくれない?」

「……端折らず話せミツ」

「アキラが死んでるならさ。代わりの入れ物にちょうどいいでしょ? 変かもしれないけど肉体の死って、大したことじゃないって思い始めてる。いくらでも用意できるんだし」


 ……魂の軋む音がする。


 すぐ後でつぐみの小さな悲鳴が聞こえた。

 後ろで倒れているアキラに、今気づいたらしい。

 そして……ああ、

 日野陽菜の身体に起きていることも、理解し始めた。


 本人以外には聞こえないはずの……

 魂が軋む音があちこちで聞こえている。


「俺をどうする気だ?」

「だから今聞いてる。ただ、あやねとひなちゃんみたいにするのも窮屈じゃないかなー? 自殺サイトで志願者でも募ってスペア調達するから許してよ。私の身体ならいくらでも渡してあげるけど、私の中にアキラを入れるのはちょっとその……恥ずかしいし」


 はにかみ笑いをしながらミツが舞台を歩く。

 アキラのところで立ち止まり、すとんと腰を下ろす。

 無遠慮に頭を小突くように叩くが、何の反応もない。


「断ってもいいか」

「別にいいよー」

「……好きにしろ。十年前、好き勝手に生かされた身でいいなら」

「あはは。よかった。流石に無断じゃなーって。これでアキラは……アキラ、は――」


 ミツの無邪気な顔が歪む。

 ちぐはぐな表情で、胸の前を掴むようにして何かを探している。

 無くしてしまった心の部品。あるべきはずの痛みや悲しみが、

 


「舞台で寝てるなんてさー……役者としてどうなの?」


 強く握りしめられた拳がほどけ、

 手のひらでアキラの頭を叩く。

 いつものように、ひどく無遠慮で気安い。


 今に怒りだして飛び起きるのを期待している。


 似たようなシーンが、この場所であったな確か。

 なんかの舞台練習リハが終わったと同時にアキラがへたり込んで倒れたんだっけ。その時はアキラが初めての主役だった分、プレッシャーや負担があったんだろう。まあ私たちにそれを少しも感じさせなかったし前日に電話やメールのやり取りしてて寝不足にさせてしまったのもある。

 ガミさんの怒号がすぐに飛び、慌てて起きたまぬけな顔は……リハーサルの疲れも本番への緊張も忘れるほどみんな笑ってた。


 ああ、ミツも同じ場面を思い出している。

 ガミさんのセリフだって覚えてる……そうだ。

《アキラっ! 舞台で寝っ転がる役者がいるか!》





 かちり。かちり。かちり。





「……」


 いつかみたく目を見開いて、

 アキラが勢いよく起き上がった。


 頭を殴られたように――実際殴られてはいたが。


 舞台上の全ての者が、大口をあけたり手で口を覆ったりの違いはあれど、今この状況を忘れたように隙を見せている。


 一番驚いているのはアキラ本人かもしれない。


 奇跡的に途切れた精神を繋げたつぐみやガミさんの時とは違う。例え何らかのショックで肉体と魂が再び結びついたとしたって、アキラの身体は死んでいるはずなのに。


 アキラを見る。

 胸を中心に広がった染みは思ったよりも小さい。それよりも目を引くのは服の血が乾ききっていることだ。まるで灼熱の砂漠にでも撒いたみたいに。

 ということは、ずっと浅い傷なんだろうか。

 どうして。


 アキラの手が傷口を確かめるように胸ポケットへと向かった。

 かいぶつの影が開けた穴は、干からびた血でどす黒く固まっている。

 まさぐっていた手が何かを掴む。


 胸の赤一面の中そこだけが白い。

 取り出した小さな紙切れが、視界に入ってくる。


「私の……!」


 台本だ。その紙切れ。

 十年前に、描いた《しるし》

 あの時は私だけ檻から出られなかったけど。


 ずっと持っていてくれたんだ。

 いつか私が帰ってくると信じて。


「……あやね」

「……なによ」


 何だろう。

 アキラに名前を呼ばれたのに。

 あんまり嬉しくない。


 腹が立ってくるばかりだ。


 何だよ。

 そんな声聞いたことないんだけど?

 優しく包むような、懐かしさを帯びた感じ。


 もっと気安く、いい加減でいい。いつも私の名前を読ぶときみたいに。

 親愛をたっぷり? 思いがつまった? ……茶番? むしろフリなのか? 

 それに。


 せっかく十年前に、アキラだけは巻き込まないようにあれこれしてたのにさ。

 結局勝手に首突っ込んでんじゃん。

 ミツもガミさんも内緒にしてくれてたみたいだし。


 ああ、もう。

 ムカムカしてきた!


「アキラ。もしかして、ただ呼んだだけですか?」

「……」

「元気なのは分かりました。血塗れで茶番始めないでくださいねキモいです」


 呆れたように声を出さないアキラの頭を、ミツが叩く。

 そうやって遠慮なく、無事を確かめる。

 アキラは窘めるように軽くにらむが……

 このやりとりを受け入れて許容している。


 は、恥ずかしいな。

 ひさしぶりの茶番ってのは。

 二人とも口元が緩んでいるのが救いだが。


 こんなに合わないもんか。

 十年のブランクに泪が出そうになる。

 アキラへの怒りが、私の感情に火を灯したみたいに

 次々と生きた気持ちが私の中で光っていく。

 ……もっと前向きな感情で輝きたいんだけど!?


 下を向こうとして、不意に背中を押される。


「つぐみ?」

「ああいや……ただ背中、押してみた」


 つぐみが顔をじっと見つめてきた。

 ちかいちかい!

 大きな瞳が、さらに強調されて映る。


 心を《覗き込んで》はこない。

 あくまでもまっすぐに、純粋に私を見ているだけだ。


「くすぐったいよ」


 さわさわと行き場なく彷徨うつぐみの手を捕まえて、

 離さないように握る。

 何度この手に背中を押してもらったか。

 沈む気持ちを上向きにしてくれたか、数えきれない。


「……やっぱり、ひなはひなだッ」


 たぶん嘘はついてない。

 日野陽菜とは違う、混じって戻らないモノの存在にも気付いている。

 それでも私を、私の名前で呼び、大好きなまま変わっていない。


「いいたいことはいっぱいあるし、分からないことばっかだけど……ぜんぶ後でいい。ウチは、目の前にいる友だちを信じるッ!」


 歯を見せて笑う。晴れ晴れとした顔で、

 痛いくらい手を握り返してくる。


 嘘はついてない。


 友だちだから分かる。

 なにせ本人よりも分かっている部分だってあるくらいだ。

 言わなくっても通じ合える。

 《人をのむ呪い》なんかなくても。


 かいぶつを追い出して、みうを助ける。

 それが私たちの願いだ。

 三人の中で、誰がどの立場でもそうする。

 先読みよりも揺るがない確信が、今はあった。

 

 舞台上に大きな拍手が一つ響く。

 紙谷さんがいつもやる、切り替えの音。 

 みんながそっちに顔を向けず、正面の《かいぶつ》を見据えた。




「始めるぞ」



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