第39話 後悔を晴らす夢




『なーにやってんの? 扉絵のイラスト?』

『これですか? 泪って漢字です! 異体字っていうみたいで……』

『涙? まあ俺たちが勝手に作った台本だから、ラクガキも別にいいが』

『はい! さんずいに目って書いて、泪。よく出来てるって思いませんか?』

『……良くわからん』

『んん? ええと、たしかに目から流れてるーって感じはする』

『ですよね! イメージしやすくて、つい書いちゃいました!』

『うん、勢いは買う。ああーっとカラフルだし? 独特ってか毒毒しいというか』

『絵心ないのに、絵を描くの好きだよなお前』












《アキラッ! あやねッー!》

「ミ、芦田ひかり!? くぅウウウおおお!」


 音もなく、紙吹雪の流れを縫ってミツが落ちてくる。


 心の叫びを読み取りかいぶつが見上げた。

 驚愕の表情と声を振り絞るのは、

 ミツの手に《しるし》が輝いていたから。


 振り下ろされた《しるし》を、かいぶつは巨大な腕で受け止める。

 衝撃で腕が削られ、輝きとともにいくつか散った。

 周囲の紙吹雪が舞い上がり、キャップ後ろのポニーテールが揺れる。


 吊られた照明付近からの落下とは思えないほど重力を感じさせず、

 ふわりと着地して舞台に降り立った。


「土壇場で来やがっテ! 邪魔くさい!」


 じたばたと腕を、影を振る。

 ミツは歯を見せて笑いながら当然のように躱していく。

 待って待って、待ち侘びた瞬間。……そんな表情だ。


 そのまま舞台上を把握し、

 倒れているJINプロの面々を見ても、

 顔色は少しも曇らない。


 避けられて上空を流れた影が、紙吹雪に触れた瞬間。

 バチバチと弾かれたように小さく爆ぜた。


「グッ……この、紙切れハ……まさか!?」

「わー。ちゃんと効いてる。さすがガミさん特製」


 かいぶつは、えぐれた自らの腕を見てギョッとすると、

 私の影と足を縛り付けていた部品を力任せに引き抜いて戻した。

 そして黒い羽根を震わせると翼の部分がさらに薄く密集し……

 傘を思わせる形に変わっていく。


 目を凝らすようにして見た。

 かいぶつとの繋がりが断たれたからか、

 紙吹雪ひとつひとつ。裏表まで鮮明に《覗ける》


 

 その全てに私たちを拒絶する模様が刻まれていて、

 ひらひらと舞い落ちてくる。


「ぎゃアアアあああッ! く、狂ってんのかこんな数!?」


 影の傘と、はみ出したかいぶつの手足が次々と紙切れに触れ、

 その部分が形を保てず崩壊する。

 公園の砂場に、子どものシャベルを突き立てた程度のちっぽけな穴。


 それが――はは。

 ヤバいな。

 これからどれだけ穴ぼこが増えるのか。


 この舞台から降りようとしても無駄だ。

 私が必ず捕まえてやるよ。


 私の影や皮膚に紙吹雪が付着しても、何も起こらなかった。

 そりゃあそうだ。

 日野陽菜に……私に分けたり拒絶する部分はない。

 この形で産まれて、この形で始まっているからだ。

 私はもう、かいぶつでも人間でもない。


「か、形が保てネエッ!? もっとモット小さく……」

。それってつまりさー、今あんたにタッチ出来れば、おしまいってことでしょ?」


 歓喜を口端に滲ませながら左手を前にかざし、

 手のひらのしるしを見せ、ミツが紙吹雪の中を歩いて来る。

 かいぶつの影は田邊未羽の中に染み込み、しっぽみたいな傘だけが頭上を遮っていた。紙切れの一つでもすり抜けて彼女の身体に触れれば、異物を分離して檻へと送れる絶好の場面。


 結局のところ――

 ガミさんやミツの仕込みは上手く行っていたのだ。

 檻からJINスタジオに出たなら、かいぶつを倒す用意は充分にあった。

 かいぶつが出口を捻じ曲げさえしなかったら。


 ……ミツは、どこから来た?

 もし私たちと同じ檻から入り、出てきたのなら。

 失っている。代償として、少なくとも人ひとり分の精神を。



「芦田ひかり……! キミは……」

「久しぶり、でいいんだよね? あの時のこと憶えてないんだ。お礼をしないと。ありがとう記憶を消して現実にかえしてくれて。そのお陰でさー……いまあんたを殺せるよ」


 ミツは、私の記憶にない顔をしていた。

 おかしいくらい強い喜びに満ちた笑みを浮かべている。




「この……残骸がッ!」


 田邊未羽が影をふるう。

 這い出てきた過去を、追い散らすように。


 紙吹雪への対処のせいか鈍く散り散りな迎撃を、

 ミツは心底楽しそうに笑いながら避けて、距離をじりじりと詰める。


「自分でもちょっと信じられないんだ。心にぽっかり空いた穴から、持て余すくらい憎しみが育つなんてね。なーんにも思い出してもいないのに」


 田邊未羽が下がろうとして、

 周囲に散らばっている紙切れを忌々し気に睨む。

 紙吹雪が舞っているこの瞬間はそれに触れないようにしか彼女は動けないし、足の踏み場もじきに無くなる。残された時間はそう多くない。決め切るなら今だ。


《あと少し経てば、影の全てを攻撃に割ける……紙吹雪が止みさえすれば!》

「でもなんでか分かったよ。十年かけて……ああーいや、ついさっき気付いたんだ。ここに来てやっと。聞いたって教えてやらないけどね。あんたは」


 まっすぐに貫こうとした影を目で追って躱し、

 ミツは田邊未羽を《覗き込んだ》

 精神の奥に潜んでいるかいぶつを暴くように。


「私が、ふさわしい場所に送ってあげる」


 ミツの中で押さえきれない歓喜と狂気が渦巻いているのが見えた。

 歯を食いしばりながら、口端がみるみる吊り上がっていく。

《またおしゃべりできる! 何てことない話を、三人で》


「キミを檻の底に突き落としてやる!」

「独り言ならそこにどうぞ?」


 横なぎの攻撃は、ミツに当たる前に漂う紙切れに触れて散った。

 声にならない声を上げて、田邊未羽が靴音をかつんと鳴らす。影が積もった紙吹雪を縫うように幾つも枝分かれして舞台床を這いだした。


 ミツは器用に紙切れを足場にして、つま先立ちで次々と跳ねていく。

 やり過ごした影が床から持ち上がり、ミツの死角から飛び掛かる。

 私は待機させてた自分の影をふるい、かいぶつの影を横から叩き落した。


「サンキュー。あやね」

「正確には違いますよ? 日野陽菜の身体ですから」

「そうなの? あとで詳しく……聞かせてよ!」


 名前を呼ばれただけで。短いやりとりをしただけで。

 七瀬あやねの精神に大きく引っ張られる。

 呪いに掛かって固まっている心が、幸せな気持ちで動きそうになる。


《星を追い越して、今度は間に合った。あやねって呼んだら返事がかえってくる! 取り戻せたんだ! 私は。テンション上がってきたー!》

《こ、この星渡りの狂人をなんとかするしかない! 未羽の体だけで!》


 床を蹴って、追撃の影も避ける。

 ミツの動きに淀みは無く、命中しそうなきざしすら感じない。

 当たるとしたら直線だ。それも角度や向きに制限がある。

 針の穴を通すとは言わないが……


 限定された動きになるなら、手のひらのしるしで自ら弾くことも不可能じゃない。ミツはまっすぐに伸びてきた影を受け流すとそのまま影に手を伝わせ、田邊未羽に向けて突き出した。


 田邊未羽はギリギリのところでミツの左手を掴み、

 押さえつけるように両手に力を込める。


「あー。みうちゃんの反射神経だけ余計か」

「や、やった。止めた! このままこの腕に! ボクの影を這わせてやる!」

「離れてミツ! いまから……」




 かちり。




 先読みが、確定したはずの予測が、大きくぶれる。

 なんだ? 何が起こる? 増えた可能性の意味。

 未来が変わっていくのは、入れていなかった計算を新たに混ぜ込んだからだ。この雑音と見通せないひび割れた場面。私は今までにない何かを……確かに感じていた。

 運命の歯車が、別の未来へと向き勢いを増して動いていくみたいな。


 でも今はミツを守らないと。

 友だちの……口から下が切り飛ぶ前に。


 影がミツの腕をのぼり、ノドあたりに向かう。

 ふいに影が歪み、軌道が変わった。


 かいぶつとミツの組み合ったわずかな空間が揺れる。

 ざわざわとお互いの髪が風に揺れる。

 影はとたんに砕かれて、歪みに絡めとられ固まった。

 この揺らぎは。


「みうから出ていけッ! みうを返せかいぶつッ!」







 *  *







 まっすぐに向けた瞳。

 友だちを心配し、その奥に潜むかいぶつへ拒絶の色を込めた視線。

 この声は。


「つぐみ!?」

「つぐみちゃん?」


 私の中の日野陽菜が、思わず声をあげていた。


 かいぶつに捕らえられ、檻を行き交いし、

 再び舞台上に立ち上がった彼女は小さく頷くと、

 目付きを鋭くして叫ぶ。


「ひかりさん、離れてッ!」

「構うなこのままぶつけちゃえ! つぐみちゃんっ! 時間が……」

《紙吹雪が散り終わる!》


 複数の心が、同じセリフを浮かべていた。

 ミツがつぐみの制止を聞かず、

 揺らぎを押しつぶすように、かいぶつを抱き寄せて密着した。


「わ、割れる? 死ぬ気か!?」

「割れろ!」


 お互いの身体は檻の中に向かうことなく、壊れない。

 悲劇を拒絶する、つぐみの思いに応えているみたいに。


「ならしるしを……!」


 再び左手のひらに力を込めて、田邊未羽に触れようとする。

 わずかな袖明かりを遮るように、空中で何かが動いた。

 田邊未羽が引きつった笑顔を見せ、すぐ近くに巨大な黒い影が、傘の役を終えてゆっくりと鎌首をもたげていた。


《ミツ! 手を離してキック! つぐみは揺らぎを固定!》

「おっけー、あやね!」

「まかせろ、ひなッ!」


 影のしっぽに形が戻り、田邊未羽の側面をすべるように三又に分かれ、私たちに襲い掛かる。

 三つの指向性を残し爆発したみたいだ。さっき私の足を絡めとった時とは違い、ありったけ攻撃のみに傾けている!


 舞台上に立つ全てのものが、ほぼ同時にキッカケを掴んで動き出す。


 ミツはすでに思い切り右足で蹴っていた。

 攻撃の為ではなく、地面に軽く積もった紙切れをいくつか巻き上げる。

 つぐみはみうの前に漂う《揺らぎ》を停止させ、その場に強く留めた。


「残骸がっ! ボク達にかなうわけネエだろっ!」


 それらを部品の暴力でお構いなしに弾き飛ばす。

 影が割れ、千切れても私たちを目指すのを止めない。


 ただ、ほんの少しだけ間を保てた。

 猶予が作れた。それだけで充分。


 ミツの仕込みでかいぶつの影はかなり削れている。

 今までのように全身に纏いながら攻撃は出来ない。

 みんなが役を全うしたから、ここまでの今がある。

 どこに行きつくかは分からないが、

 目指した先に、少しでも近づけるんだ。

 みんながそうしたように。


 私はすでに友だち二人を守っている。


「コレも外されるのか! これも! コレもだクソッ!」


 ミツとつぐみの腰に、輝く影が巻き付いた瞬間。

 数歩後ろへと引き寄せる。

 すぐ後にかいぶつの黒い影が流れていく。


 これでいい。

 助けられるのは、多い方がいい。

 一人よりは二人だ。

 友だちに向かう残酷な未来は逸らせた。


 痛みもなく、死を忘れてしまいそうな光景は変えられなかった。

《私は影にぶつかって死ぬ》


「おいひなッ……!」

「また置いてくの?」


 輝く影に身を任せていたミツとつぐみが、

 この心を読み取る。


 私だって、死ぬのは嫌だ。

 そう何回も死んでたまるか。

 あがくように左手のしるしを前にかざす。

 影はわずかに弧を描き、私の身体のぴったり正面に吸い寄せられるように飛び込む。左手、しるしでの回避も失敗した。先読みやひなのナビ抜きだと、こんなものだろう。別に幸運に愛されてるわけじゃないしな……ああ友人運だけは飛び抜けて恵まれてたけど。




 かちり。かちり。




 また。

 先読みした予測が、未来が大きく変わる。

 可能性が増えて縦横無尽に混ざる。

 欠けていた歯車が、次々に噛み合っていく。


 目の前の影が弾かれ、逃げるように軌道を変えた。


「助けられるなら、二人よか三人の方がいいよなァ?」


 しるしの刻まれた傷だらけの左腕が、私とかいぶつを遮っているのが分かる。

 紙谷リョウジ。……ガミさんが、力強い声をかけてきた。



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