第38話 人をのむ夢




「捕マエタ」




 片足が床から離れない。

 奈落が開いていたなんてドジでもない。

 足元には袖明かりから伸びた影が見え、

 

 ナメクジが這うようなのろっちいスピード。

 ぶよぶよとした影が、ふるえながら足を這い上がってくる。

 力を込めても、足は根を張らしたように動かない。


 なるほど。

 ゼロ距離なら避けられないし、ゆっくりとした動きなら反応できない。

 別の要素を含んだ罠も作って置いたってわけか。

 うざい。


「キミの人格が混ざって一つになる時、ただあんぐり口開けて待ってたワケないだろ!? お前ら星渡りどものマネだが、私の意志に関係なく……独りでに影は立ち、浮かび上がるようにした!」

「影よ。切り裂け」


 降りかかる火の粉を散らすように、影で払い飛ばす。

 何の抵抗もなく薄刃は通り、細かく砕かれていく。


「無駄ダ! 細工は流々、仕上げをご覧じろォ!」


 粉みじんとなった影が、さっきと変わらずに私の内部にしみ込む。

 ……最初からバラバラなまま、たった一つの命令をこなしている。

 《這い寄って浸食する》という命令。

 身体に入り込んだ影一つ一つを潰すには、時間が掛かり過ぎる。


「チッ……食い止めろ!」


 両足に影をまとわせ、浸食を少しでも遅らせる。

 手のひらの《しるし》をかざしてみるが、完成した膨大なパズルピースからひとかけらがポロリと落ちただけ。効果はないようなものだ。駆除した先からそれ以上に増えて群がる。


「うじゃうじゃと邪魔なウジ虫が……!」

「ハハハはははッ! そりゃアそうだ! ちっぽけなアリんこだよ。どでかいゾウを倒すのは肉食獣でもライフルでもない。キミは空を飛ぶダンボで、ボクは地を這うアリなんだからさ!」


 単純な力で引きはがすのはもう出来ない。

 浸食し返して乗っ取るのも無理。

 たったひとつの強大な個の脆さを突かれた。


 いくつかの解決方法が目まぐるしく浮かんでは消える。

 実行不可能なものや、右足を切断して、なんてものも

 選ぶつもりはない。


「考えてるねェ! イイぞォ! 未来へと前を目指し進む……それこそ生きるまぶしさだ!」

「いちいち五月蠅い。牙ごと口にのみ込んどけ」

「松木アキラは、ただ待ち続けた。輝ける才能を持ちながら、魂をくすませてな。それでは生きていると言えない。歩みを止め、後ろを眺めるだけの寂しい人生だった!」

「……へえ?」


 急激に、頭の中で膨大な可能性が広がる。

 彼女を傷付けたり殺したりというのを、許容するかどうか曖昧になった。

 今の発言……私にとってそれだけ精神の根幹がグラついたらしい。


 日野陽菜は、憎しみに根を張らせ育てていけるタイプじゃない。

 ここ数日一緒にいてそう思ったし、それはたぶん当たっている。


 なら、私はどうなのか? 日野陽菜と同じか? あるいは我を忘れたり価値観を横に置いて、目の前の障害を排除できるタイプか?

 自分を知る。

 普通の人間なら客観的にみる機会や経験の末に理解するだろう。

 ……自分の心を覗くことは出来ないのだから。

 《呪い持ち》なら一瞬だ。


「なんだ? キミの、輝きが消える!? でもでも足掻いても無駄ダ!」

「少なくとも、自殺をするようなタチじゃねえよ……!」


 影のまばゆい光が消えていく。

 私の暗い感情に引っ張られるように傾いていく。

 世界に生まれてこのかた5分も経ってないけどさ。

 まさか自分が――


 胸ポケットで、携帯が震えだした。

 沈んでいきそうになった意識が、一気に戻ってくる。

 誰かからの電話?


 ふと辺りを見回すと、舞台床に転がっているストラップ付の古い携帯も鳴っている。一斉呼び出し、ってことは複数転送。つまりJINプロの誰かが掛けてる。スタジオ放送の使えない舞台や会場、他施設での緊急集合とかでたまにあるが、この瞬間とは。

 JINプロ全体、本当の一斉呼び出しか、この舞台上……人をのむ呪いに関わっている者限定で設定しているのかは不明だが。

 誰がかけているのかは分かる。


 本当はアキラに取ってもらいたかっただろうけど、それは無理だ。


 アキラの携帯はいつも入れてた所定の胸ポケットから投げ出され、舞台床で震え続けている。頭の中で、あの懐かしい着メロが蘇ってきた。唄とか曲に疎かった私は、アキラやミツのカラオケや着メロでレパートリーを増やしてた。私に聞かせてて、うっかりマナーモードにし忘れてアキラがガミさんに怒られてたのを思い出す。

 今回は音をちゃんと消していたんだな。


 携帯は振動を続ける。

 アキラが取ることは出来ない。

 携帯が入ってた胸ポケットには、穴が開いていて血がこぼれている。

 いまは、その場所ごと破壊されているけど。

 忘れちゃいけない大切なものを、いつもそこに入れてた。


 日野陽菜の携帯を取り出す。

 予想通り、ミツからだ。

 檻の中に向かわず、JINプロスタジオ、レッスンルームでみんなの帰りを待っていたはずだ。檻からの出口は、劇場舞台上になってしまったが。

 すべて上手くことが運んだなら、ミツの仕込みとやらで《かいぶつ》はすんなり消滅させたか、檻の中へブチ込めたかもしれなかったが、そうはならなかった。すべて仮定の話だ。

 戻った時の連絡手段を、たか子さんやガミさん辺りが事前に決めていたのかもしれない。でも、もうみんな電話を取れないんだよ。

 迷いからか通話の操作が多少ぎこちなかったが、繋いで耳に寄せる。


『……いまどこ?』

「劇場の、舞台です」

『そっか。みんなは? ガミさんの指示待ちだったんだけど』

「ガミさんは……あの」


 なんて伝えたらいい?

 かいぶつのこと。私のこと。みんなのことを。

 話したいことが多すぎるし言葉を選ぶ時間もないのに。

 ノドの奥から出てきてくれない。


『……ああー! いい、私がいくよ! すぐに追いつくから聞かせて!』 

「え、ええ? ちょ、ミツ……」

『今度は、いなくならないでよ!?』


 切られた。

 なんなの一体。

 ミツの大ざっぱで見切り発車なとこが出ちゃってたな。

 らしいというか、二人してしまらないやり取りだった。


 まあいいや。

 声が聞けて良かった。

 JINスタジオから劇場までは、どう交通機関を回しても30分は掛かる。

 それより先に結末を迎え、終わった話にしなくちゃいけない。

 だからこれでいいんだ。


「……かいぶつって、空気読めるの?」

「モット昔ばなしに花を咲かせろよ? そのぶん浸食が進むのに!」

「確かにそうか」


 一瞬でも守る意識は緩めなかったが、右足から繋がった《かいぶつ》の影がかりかりと私の部品を削り取るのは止まっていない。


「さっき、ボクとともに死ぬ気だったろ?」

「さあね」

「お互い部品を駆使するのに精いっぱいだ。深くは読めないが、繋がっている部分から分かるよ……さっきよりも、晴れやかな決意を感じる。友だちとの会話で、踏ん切りがついたか?」


 当たり。


「ただ一方で、こうも思ってる……自分は死にたくない。友だちともっと話がしたい。誰かに助けて欲しい。そう叫びたいんだろ?」


 それも当たりだ。

 完全に影どうしが繋がって、思考を読み切られる前。

 そのギリギリを見極めて仕掛けるしかない。


「キミを助ける人はもういない。十年前もいまも」

「知ってる」

「願いを込めて叫べよォ? どうぞドウゾ呼んでみて! そうしたら『第九』のボクの決めゼリフを言ってやれるのに……『助けは誰も来ない。ここまで後ろを振り向かず、檻の果てまでたどり着いたからだ!』ってな」

「それフラグだよ? 劇じゃ暗転後に仲間たちがみんな押し寄せて……かいぶつは打ち倒される」

「ヒッ……ヒヒッ……じゃあ願えばいいだろ……ハハハはははッ!」


 キバをがちがちと鳴らせて、彼女は笑った。


「キミを傷付けたりはしない……このまま取り込んでやる。キミの魂も、ボクの中に組み込んで永遠に回り続けろ。たくさんの願いを引き連れて、その夢もボクが叶えてやるよォ!」


 目の前から輝きが消える。

 暗く、暗く……さらに暗く。

 誰も私を助けには来ない。

 十年前もいまも。


 私は死ぬまで――

 


 アキラ! ミツ! ガミさん! パパ! ママ! みんな!

 ……誰か助けて。

 私は怖くて叫び続けた。


 身体がどっかにいって。

 記憶がぼやけていって。

 自分が何者か分からなくなるまで。


 だけど誰も来なかった。


 私は檻の中で一人のまま。

 やがて精神の欠片、部品のひとかたまりとなって……

 《かいぶつ》にバラバラにされた。


「何もかも無くして、めそめそ泣くだけか? なら百万回やり直したって、そのザマだろうよ! キミは……死ねばよかったんだ! あの日、まだ身体と魂があった時。生きた輝きのまま!」

「日野陽菜は憎しみを育てられない。さっき、そう考えていたんだ」

「最後の悪あがきかァ? ……来いよ」


 左手で胸を押さえるように力を込める。

 もう祈ることもない。

 手のひらで《しるし》が鈍く輝き……ひとりでに影は立つ。


 ほぼ同時に二つの影が動いた。

 一つは私の片足めがけて。もう一つは私の身体を守るように。


 歯車がぶつかったような火花と音。

 私は片足を切断する最短距離と勢いをつけていたが、向こうの方が速かった。

 わずかだが、向こうの方が先に始動していたらしい。


「バッ…へへ。アブネエあぶねえ。間に合った。自殺の方だったか。それとも片足切り落して《しるし》で触れようとしたのか? 止めたけどな」

「うん。止めてくれて助かった」


 いくら自由に動けるようになっても、タッチは失敗してたと思う。

 片足じゃ逃げ回られたらどうしようもないしさ。


「……嘘ダロ?」

「私は自殺が出来ないタイプなんだよ。陽菜と違って!」


 思いっきり、ひながかいぶつの影を鷲掴みにする。

 これで私のしるしか、日記のしるしの所まで引きずって押し付けられたならめでたしめでたしで終わる話だったが。あいにくそんな未来はない。

 攻撃に影を使えば、その分捕まってる下半身への浸食は早まる。


 今もだ。

 時間はない。


 《しるし》で、檻へと続く門を開き、かいぶつと仲良く檻で過ごす。

 未羽の身体は、かいぶつを粉々にすり潰してでも送り返してやりたいが、檻の中は彼女の独壇場だ。私が取り込まれて再び外に出てくる、なんて悪夢を残すより、檻の入口を影で叩き壊してしまった方があと腐れがないだろうな。


「檻の中だと!? ……やりたきゃやれ! どれだけ時間を掛けてもキミを取り込んで、檻をブチ壊してでもここに戻ってやる!」

「へこたれない執念……夢を叶えるって点じゃよくできた人格なのかも」


 尊敬はみじんもできないけどね。

 すでに思考は筒抜けだ。愚痴ばかりいってやりたくもなるが止める。

 もうじき影も操れなくなって、彼女に支配されてしまう。

 それくらい私は弱っている。


 今なら、上手くコントロールすれば、

 この舞台上、私たちだけを檻へ飛ばせる。

 数メートルほど《ゆらぎ》に誤差は出るが、みんなは巻き込ませない。


 勢いあまって世界を壊さないように。


 ほんの少しでいい。ちょっぴりの力を込めればいい。

 それだけで、この舞台に戻ってこれたくらいの《ゆらぎ》は作れるはずだ。


「あ、え? 影が……」

「ボクたち以外の影、だと? 何をしたッ……」


 桜? 雪……違うな。

 薄い袖明かりに照らされて、たくさんの小さな影がひらひらと落ちてくる。

 つまり紙吹雪から伸びる、ただの影だ。

 照明の上、降雪幕でも私たちが触って壊しちゃったか?

 いや、そもそも明日の公演で紙吹雪を散らす場面はない。


 あれ。何だ?

 まだ何もしてないんだけど。

 ……かすかな《ゆらぎ》が開いている。

 場所は紙吹雪が舞っていて、うまく見通せない。


 私は混乱していた。

 私と繋がっている彼女も、似たような状態になっている。

 だからお互いに、遅れて真上から落ちてくる影を、

 五感で捉えることは出来なかった。




 《アキラッ! あやねッー!》




 音もなく、声もなく。

 紙吹雪の流れを乱して、ミツが落ちてきた。



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