第35話 Mißgestalt
「「しるしよ。おねがい!」」
『ああアアッ! くそおッ!』
捕らえられていたかいぶつが手を伸ばし、尖らせた影を放つ。
たか子さんを撃ち抜いたそれより遥かに大きい。
大砲といっても差し支えない。当たれば大穴があくどころか、
全身がちぎれとぶ。
「……」
「ありがとよアキラ。やはり目が複数あるってのァいい」
紙谷さんが松木さんと背中合わせになり、
影の軌道上を邪魔するように立っている。
腕に刻まれた《しるし》を振り回し、日記を持った手で添えて影と激突した。
左腕はひしゃげ、変形し血が噴き出す。
皮膚と肉をごっそり削りとった影は、弾かれて散り散りに逸れていく。
日記の《しるし》が爛々と血を飲み干す中、紙谷さんは松木さんの背にもたれ、苦悶の表情で笑った。
「ぐゥ……これさえしのげば! お前にゃどうしようもねェ! 終わりだ!」
《あとは、少しの間……気絶するのをこらえなきゃな。ひな達の一仕事済むまで》
「かいぶつの影が散ったぶん、作る門も小規模でいけます!」
「うん。もうあと、ちょっと――」
無意識に、ぴんと顔を観客席の方に向けた。
誰かの心を覗いたからかもしれない。
あるいはかいぶつの内面が、ほんの少し滲み出ていたのかも。
劇場のあっちこっちに散っていった影が、渦を巻いて一点に群がっている。
意志と速度を保ち、残りの影をかき集めて。
螺旋の規模はみるみる縮んで小さくなり、収束し――
ひとすじの流星になって私たちの方へ落ちてきた。
「ひなッ!?」
「俺は間に合わん! しるしを前に突き出せ!」
未羽の前に立ち、手のひらを影に向ける。
アクシデントもあったが……それは舞台について回るものだ。
充分だ。門は作れる。
あとは発動も維持も未羽に頼むそれに。
運が良ければ、受け流せる。
まっすぐぶつかるはずの流星が、弧を描いた。
《しるし》という磁石から一度離れ、再び吸い寄せられるように来る!
私たち二人とも、串刺しの勢いで――
「……!」
松木さんの背中が見える。
立ちふさがるようにして両手を広げていた。表情は見えない。
どん、という衝撃とともに、黒い影が胸に突き刺さった。
心臓付近やや上に一撃を喰らい、松木さんは胸を押さえる。
右、左と後ずさり……倒れないようにしたが、ぶつりと力を失って倒れた。
遅れて影が床をのたうち、わずかな輝きと共に蒸発した。
《今度こそ……守ってやるよ。ひな》
見えないはずの、心が覗けた。
松木さんは迫りくる影を前にして、笑っていたように見えた。
「え、なんで……?」
松木さんはうつ伏せのまま動かない。
私の胸に、いくつもの疑問が巡っている。
なんで守ってくれたの? なんで起き上がってこないの?
なんで……
「ひなッ……考えない! 今は集中して!」
「みう……?」
「かいぶつは、あたしたちが殺す!」
そうだ。かいぶつは倒さなきゃ。
門に閉じ込めるんだ。これ以上……無くしたくない。
私の魂ぜんぶかけたって。
「ちょっひな!? ……門はもう作れます。それ以上は!」
「ひな! こっちの《門》まで強めなくていい! 死ぬぞ!」
手のひらに私の魂が吸い込まれ、輝きを増していく。
私が、私じゃなくなっていく。
嫌な気持ちはしない。ただただ不思議な感じだ。
もう私の中はからっぽのはずなのに、余っている。
ぐるぐると、わたあめを作るように……回せば回すほど大きくなるような。
無くせば無くすほど……私の中で何かが膨れ上がっていく。
「うううぅ!? ひ、ひな!? 注ぐ精神だけで……《門》が砕けちまう!」
「維持できない……そっちに渡す! かいぶつに当てて!」
奈落の真上。サス照明の下あたりが揺れている。
舞台ごとのみこんでしまえるような規模の《ゆらぎ》が……
私だけに見えている。
手のひらのしるしに意志を込めた。
この大きさのまま《かいぶつ》に思いっきり、ぶつけるんだ。
かいぶつが片手で顔をかばう素振りをみせる。
でも構わない。関係なくバラバラになる。
これ以上は待てないな。
みんな限界だ。
潰す。
「えい」
自分が投げるボールくらいの速度で、空間のゆらぎを飛ばした。
誰にも見えない。かいぶつにさえも。舞台上でそれを目で追えるのは私だけ。
心は動かず淡々と作業を実行できる。それもこれで最後だ。
「……は? え」
かいぶつにぶつかる直前に、コントロールがおかしくなる。
観客席のほうへ軌道が逸れて流れていった。
私の手から込めていた力が抜けて、私の部品が外されていく。
え、なんだ。
私の手が、ボロボロと崩れていく。力が入らない。
目の前のすべてが、積み上げたものが、ひびわれていく。
「ひな……外しやがった」
「違います! 何かされてる! 精神が崩れて……」
私は……絶望しかけているみたいだ。
生きる気力を、魂の燃焼を失っていく。
なぜだ? なぜ。
松木さんは納得して死んだ。
《私を助けてやる》って、言ってくれたのに。
なんでだ。なんで……
「みう、ひな! 逃げろ。俺じゃ維持は無理だ!」
「逃げられません。かいぶつの方が……いえ、ひなの想いが強すぎました。支えてあげられなかった……あたしのミスです」
「そうかよ。あいつを踏みつぶし、バラバラにしてやりたかったがな。叶えられなかった……この後悔も拭えずに、消えちまう……のか」
煮えくり立つ怒りとそれを抑えていた理性が、紙谷さんの中で壊れていく。
私と同じだ。心が《粉々に砕かれていく》
紙谷さんはかいぶつに向けた手を震わせ、ふらふらとよろける。
睨もうとした焦点は合わず、顔をしかめて息を吐いた。
一度、踏みとどまった足から力が抜け――崩れ落ちるように倒れる。
紙谷さんは前のめりになって舞台に転がった。力の入っている部分は血塗れの右手くらいで、それもすぐに消えていった。
「はぁ、はぁ……っく」
自分の中に酸素を送り……
部品のすみずみまでエネルギーを行き渡らせる。
毒を舐めているような、嫌なものが身体中を巡っていく。
心は揺れない。吐き気もない。
正気を保つためにそうする必要があって、
その為に唇もふるえずに止まっている。
瞳だけが舞台を捉え、情報を脳に送り続けた。
『……やっと。ハハハははは! やっと! 消えずに済んだ! 淀み腐った檻を蹴っ飛ばして。私を助け、彼らも助けることができた!』
かいぶつが形を変える。
私たちを覆うように、大きく広がっていく。
未羽は笑っていた。私に対して、いつもの笑顔をみせる。
それはたぶん演技だ。私に見せたいからそうしている。
私の心に、悲しみが……追い付かないように。
知ろうとしても、よく見えない。
もう何も《覗くことはできない》
『託した願い。秘めた想い。どれもどれも、消えていく運命だった! 私が外に出してやったぞ。誰も責めない。なぜなら彼らは私だからだ!』
最後に見えたものは……未羽の背中だった。
未羽が消えていく。
よくしっているせなかが つぶされて
かたちが かわる おかしくなる
はねが しっぽが きばが たくさんのてが つめが
ぜんぶ けしてしまう
……ひかりがとじていく。
わらってるだれか。
なにもない くろい おりが ひろがる
よぞらが みんな のみこんでいく
せかいを はぐるまを まわす
かちり。かちり。
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