第34話 De termination




 未羽はがたがた身体を震えさせて、

 信じがたい光景を受け止めようとしていた。

 

 たか子さんはうめき声一つあげず、

 掴んでいる日記と、未羽の手から撃たれた傷と、

 今もあふれ出ている血をじっと見ていた。

 起きたことを十分に理解し、一度大きく頷くようにして血を吐く。

 うなだれて下がった口端からこぼれる血が、静かに舞台床を叩いた。


「たか子、さん……」

「……」






 かちり。かちり。かちり。がちっッ。ぎぎぎぎぎっッ。

 







 誰かの魂が、軋む音がする。

 たか子さんが刺され、流れる血のにおいを嗅ぎ取っても。

 刺した人が……恐怖に震えていても。


 私は落ち着いていた。

 声も出ない。叫ぶような気持ちにもならない。

 観察でもするように二人を眺めてる。


 妙な心残り、ひっかかりがある。けどなんともない。

 麻酔でもかかっているかのよう。

 そしてもし、と考えて戦慄する。


 もし……

 いま抱いているつぐみの、

 呼吸が止まって、心臓が止まり。

 《読み取れるもの》が消えてしまった時。

 私は、この大切な友達を、別のものだと割り切り無価値なものとして……

 手を離してしまうかもしれない。


 ただ音が鳴り続いている。世界で私にしか聞こえない、

 精神の音。心の音――魂の軋む音が!


「たか子さん!?」

「……交代……よ。日記、維持を……早く……」


 血塗れの手で、未羽に日記を押し付けるようにして崩れ落ちる。

 日記のしるしは濡れた血液を残さず飲み干していた。


 ぐったりと座り込んだたか子さんと、渡された日記。

 未羽は一瞬迷うように目をつむる。

 

「しるしよ……お願い!」


 輝きとともに未羽が声をあげる。

 見開く瞳には、もうまつ毛さえ揺れていなかった。

 同時に、かいぶつを縛り付けていた揺らぎも光り、

 境界線がぐっと濃くなる。


 再び胸が締め付けられるような痛みが走った。

 かいぶつが苦し気に口を歪めているのを、紙谷さんが見ている。


 ――松木さんは?


 胸につぐみを抱きながら、周囲を伺う。

 いつのまにか松木さんは未羽の背後に立っていた。

 集中している未羽に気付かれることなく、無表情で。

 ただ静かに……物騒な形のナイフを逆手に向けている。


《待てアキラ》


 振り下ろされるナイフがぴたりと止まった。

 舞台上の視線が、声の方に集まる。


《お前の役を遮って悪いが、未羽はかいぶつに乗っ取られてはいない。つぐみと違って意識はあったからな。おそらく檻の中……ささやかな邪魔ができるよう手段を仕込んでいたってところだろう》


 あの傷。

 普通にしゃべるよりも負担が大きいのに。

 たか子さんはわざわざ覗きやすいよう、私たちに発信している。


《だが、ことごとくこちらが防いだぞ。つぐみはリョウジが止めてくれた。みうが門を引き継ぎ、途切れていない。かいぶつと誤認させたアキラの同士討ちも失敗に終わっている。……ざまあみろ! 何ひとつ、私たちからは奪えていない! ははは……》

「……と、が…………うか……を、はらして――」


 血だらけの口が薄く開いて、そこから声が漏れ出ている。

 鮮明に響いた心境とは対照的に、唇の動きからも、うまく読み取れない。

 ただ血をこぼしながら、なにかをまだ伝えようとしている。

 紙谷さんが、感情に任せて大声を上げた。


「なんだ! 聞こえねえよ。……もっとはっきり言ってくれ」

《あとはお願い。ずっと拭えなかった、後悔を晴らして――》


 支えていた手が力尽き、そのまま倒れこむ。

 精神のきらめき。魂のようなものが光って離れ、そして消えた。


「みうッ!」

「はい!」

「門はかいぶつが消え失せるまで持つか!? お前の見立ては?」

「たぶん……いえ。持ちません。私が維持してますが、引き継ぎが不完全でした」

「なら手は二つ。その門を《しるし》で強めるか。もう一つ門を作るかだ」


 じろり、とかいぶつを睨む。

 倒れ伏せたたか子さんに、誰も目を向けない。


「門を固定しながら強めるのは難しいですよ? かいぶつが這い出るかも」

「ならそれを維持しつつ、新しく作った門を嵌める方がいいな?」


 そうですね、という未羽の同意を待たず、

 まるでタバコの火を移すように日記をひったくり、左腕をかざす。

 紙谷さんから、いくつかの輝きがこぼれた。

 身体中に残った部品をかき集めて魂を込め、

 言葉通り、紙谷さんは呪いにその精神を捧げる。


「ぐっ……なんだこんな、押さえつけるのも鼻唄じゃないのかよ?」

「でも完璧にコントロールできてる。

「ああ俺が維持する。……というか維持くらいしか今の俺にはできない。すっからかんだ。《門》を再び作れるほど精神は残ってねェ」

「あとはなにもしないでください。それ以上精神を削ったら……七瀬あやねさんみたいに、死んじゃいますよ!?」

「そうならないうちにお前らがやれッ! かいぶつを覆い縛り付けるくらいの門を作れるのは……JINプロ一座かき集めたって、みうとひなくらいだ」


 リョウジはこちらを励ますように笑った。

 私たち二人に、信頼して任せるという思いが伝わってくる。


「アキラ! かいぶつが誰にも入り込まないよう見張ってくれ! ……いいか。もう贅沢は言ってられねェぞ。全てが消えるか。そうじゃないかだ!」

《お前もそうだったろ! あやね!》


 時間は無い。私たちでやるしかない。

 動きを封じているかいぶつを完全に消すには、この瞬間しか!

 何もかも失う前に!


 未羽と無言で息を合わせた。

 お互い《しるし》に自らを粉と砕いて落とすイメージを作る。

 感覚的にだが、紙谷さんの言う通り私たちなら出来そうだ。

 かいぶつが身動き一つとれないような門を作るには。


『おいやめろ! もうたくさんだッ! それ以上精神を削るな』


 頭に嫌な響きが打ち付けられる。

 かいぶつの叫びが、呪いを通じて伝わってきた。

 全身の汗が逃げるように噴き出していく。


 充分過ぎるほどの威嚇になってる。

 二人の息を合わせるタイミングによっては、失敗されられていたかも。


『あと少し、呪いのため自分を取りこぼせば、また人格が入れ替わる。……これまでと違い、もう戻れないぞ? 今まで何度か入れ替わり、別の魂が定着しかかってる。次で終わりだ。もう二度とキミの魂は表に出てこない』

「けッ。二人を動揺させようってか? 口しか出せない証明だぜ。10年前からてめえは心にささやくだけの寄生虫なんだよ」

『あやねを……助けたいのだろう? 彼女がどこにいるのか。知りたくはないか? 教えて欲しくは――』

「人間サマに、駆け引きとは笑わせるなァ……


 私を動かしていた誰かに、憶えはある。

 二重人格のように私の身体と記憶を共有し、私の中に棲んでいたもの。

 それが完全に固まって、私は別の誰かになるってこと? 

《呪い》をかければ、私は、私じゃなくなる……?


 紙谷さんを見た。

 かいぶつを睨む顔は、いまだ憎しみの情念が燃えている。


「正直に言う。ここ数日……ひなの精神はかいぶつに囚われていた。あやねに似た雰囲気もあったが、本物じゃない。偽物だ。俺たちの精神を逆撫でするために作ったわけじゃないだろうがな。今もひなのどこかにいるかもしれん。こいつの駆け引きにゃあ乗りたくないが……この状況。お前の力を借りなきゃどうにも難しい」

「ひなちゃん!」


 未羽が私の手のひら……《しるし》に両手をそえる。


「二人なら出来る。ひなちゃんはほんの少しだけ力を込めるの。あとはあたしが大きくして維持する。それなら、どっちにしたって平気だよ!」

《檻の中で、未羽たちはかいぶつに何かされたってわけだ。ひなはアキラの機転でうまく剥がせたと思っていたが、まだ大仕掛けがあるのか? ブラフの打ち方は一応すじが通ってる。だが、やはり迷いを誘っただけなのかもしれん。どっちだ。 読めんな俺ではもう》


 手が震えて、がちがちと歯が鳴る。

 呪いを越えた恐怖が、一気に押し寄せてきた。

 未羽に手を握ってもらっていなかったら……私は何も考えられなくなって、

 気が狂ったように、この舞台から転げ落ちどこまでも逃げていっただろうな。

 でも、そうはなってない。

 私は、張り裂けそうな心を必死で押さえつけていられる。

 二人がいたからだ。いまもそうだ。


「つぐみ……みう」


 つぐみは夢をみているようだ。

《いつかの舞台上。照明のかがやきの中。三人で抱き合って泣いている》


「やろう。出来るよ私たちなら。それに……この舞台で失敗したことあった?」

「……ないですね。どんな障害があっても本番ではすべてうまくいく。あたしたちなら!」

『ああアアッ! くそばかッ! 違う! やめろ、よく考えろッ! 主役から端役へおいやられて。はっきりした思いも持てず。その身体が考え、動いていくのを……何も出来ないで眺め続けるんだぞ……そんなの死んだ方がマシだばかッ!』


 ――ボクは前に進む。願いを叶える。この身体がどうなっても!

 胸の辺りで左手をにぎる。

 ――途中で歩けなくなって、倒れても。先に進む。みんなでそう決めたんだ!

 胸の辺りを左手で指差す。


「この心に。私たち三人の間に! かいぶつが入り込めやしない……!」

「お前なんか少しも怖くない!」


 手のひらが輝く。

 そこに自らを粉と砕いて落とすイメージ。

 未羽が支えてくれているのが分かる。

 私の魂の形が、崩れないように。


 ――しるしよ。


    人 人 人 井 井 人 人 人


「「しるしよ。おねがい!」」





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