第33話 カタストロフィ




「ぐっ……ウウ」


 たか子さんが唸り声をあげて息を吐く。

 呼吸や汗すらも吸い取られているといった表情。

 私には分からない、かいぶつとの見えない駆け引きがあるらしい。

 ささやかな援護の言葉をかけようとして、周りをみる。


 松木さんはかいぶつを眺めるように見ていた。

 紙谷さんは舞台全体を。

 未羽は……観客席を。

 別に《ゆらぎ》に対して力を合わせているわけでもない。


 ただつっ立ってそうしているのが役割なんだと台本に書いてあるように。

 誰も声を掛けない。振り向きもしない。

 なんで何もしない。……なんで何もできないんだ。

 その違和感と役に立たない自分への焦りで、叫びそうになるのを堪える。


 舞台上でただ一人、ゆっくりと動き出した影に気が付いた。

 ふらふらとした足取り。音もなく幽霊のように舞台中央へと。

 ……横たわっていたつぐみが起きて、手を伸ばしていた。


「つぐみ!」

「……」


 私の声に返事はない。

 伸ばした手には黒い夜空がまとわりついていて……きっとどちらも見間違えに決まっているが……つぐみの大きい瞳が、塗り潰されているように黒く濡れてた。

 その瞳を向ける先にはたか子さんがいる。無表情で手に張り付いた夜空を目の前にかざす。

 たか子さんは背を向けたまま、気付いているはずなのに反応が無い。

 かいぶつを食い止めるのに精いっぱいだ! 


「……ギ!?」

「やっぱり分けてやがったな」


 夜空がひとすじ伸びていき……紙谷さんに弾かれた。

 紙谷さんの腕にはしるしがにぶく輝いていて、受け流すように触れたとたん、たか子さんへ向かう勢いが逸れていった。

 まるで磁石の反発のように。

 洗剤を一滴たらすと、油がパッと散っていくように。 


「偶然……10年前がむしゃらに振るっただけの手が、仲間を守りバケモンの仕組みをあばくこともある。いまも役に立ったしな。《しるし》とお前らはとことん馴染まねえようだ。弾かれ、憑りつかれたもんが触れりゃあ剥がれてバラバラになるくらいにはよォ」


 忌々しげに動こうとしたつぐみの身体を、小さな《ゆらぎ》が包む。

 かいぶつがそうされているように、その縁が明確に見えた瞬間、

 固まってしっかりと捕らえた。


「また会ったな臆病者。横合いから邪魔して掠め取る……成長がねえよ。それしか出来ないのか? 最初のうちは驚かされたが化けの皮を剥がせば大した事もない。かと言って向こうに送り返すわけにもいかんしなァ」


 紙谷さんが腕に刻まれた《しるし》をなぞって握りつぶすようにする。

 つぐみは青ざめた顔で縛り付けられた身体を確認して声を絞り出した。


「待テ! ……待って! どうするつもりだ?」

「あ? どうするって……このままじゃマズいだろ? 《門》を閉じる」

「やめろ! よせ! そんなこと……」


 つぐみの声は、ちょっとおかしい。

 出し慣れない声というか、無理矢理に作った感じがする。

 紙谷さんはその動揺した声を聞いて、呆れたような苦笑を浮かべた。


「正直ギリギリなんだよ。《門》を維持するのも。さっきの受け流しもたまたま息が合っただけだ。下手を打てば腕がすっ飛んでいただろうよ。本当なら時間を稼いでやりたいが俺の精神が持たない。つぐみのことは残念だ……割り切ろう」

「嘘ダ! モウ騙サレナイ! 簡単に、人は誰かを殺したりできない!」

「できるさ。閉じれば身体は真っ二つに泣き別れだ。――血が上半身から引くほど溢れ出てな。唇とか肌が痙攣してどんどん青白くなるんだが、下半身の方は全然色が違うんだ。ああ、恨み言をのたまう間くらいはあるぜ? ……別にこれが初めてってわけじゃない」


 つぐみと私は同時に息をのんだ。

 《ゆらぎを閉じる気でいる。紙谷リョウジはその光景を見たことがある》

 《自らの体験を語っている。紙谷リョウジはその光景を見たことがある》


「そうなったらあんたは出てくるしかない。そしてまた誰かの身体を乗っ取るしか道はない。向こう側……檻の門は閉めてあるしな。結局のところ、アレだ。それが真っ二つのつぐみの死体から後に出るか、先に出るかってだけだ。……俺はどちらでもいいがね」

「分からない……分カラナイ、分カラナイ! ああアアァァ!」


 《ゆらぎ》が急激に狭まり、両手で押さえることも出来なくなったその時、

 顔を歪めたつぐみの胸辺りから黒いもやがすり抜けて立ち昇った。


『何故ダ! 何故何故何故何故ェ!』

「……さあ? つぐみから抜け出たお前には永遠に解けないだろうなァ」


 吊るされた照明の下、目を凝らせば苦し気な声とともに黒いもやが見えた。

 まるで膨らませた風船を手放したような動きを見せ、焦げて焼き付いた煙が飛び散り、輝きに変わっていく。

 たか子さんが押さえているかいぶつと同じ変化だ。


「さっき俺の心を覗いたろ? 見られた感じがしたからな。《呪い持ち》に憑りつけばそんなことも出来るってわけだ。慣れない身体でも、何回かやってみりゃあ分かったかもしれんが」

『ギ……ウウ』

「さあさあ互いに時間が無い。消えちまう前にさっさと来な。……で、誰の身体を乗っ取る?」


 紙谷さんは口端を歪めて笑う。

 覗いている訳でもないのに瞳孔が開いたようにギラついて見えた。


 つぐみを縛っていた《ゆらぎ》が見る間に薄れていく。

 私は思わず駆け寄り、舞台に倒れ込みそうになるつぐみを抱きとめた。

 血は出ていない。ケガも無い。

 《誰かに謝り続けている。そんな夢を見ているようだ》

 ……良かった。つぐみは、やっぱりつぐみだ。


「正直に言って、俺じゃあ4つも5つも同時に《ゆらぎ》を維持できないからな。まァまず俺達三人はない。どんなに余裕が無くても呪いで抵抗できるんだし。となれば アキラかひな。乗り移るなら簡単な方にいく。だが、俺の読みを外そうとするなら……」


 ぶつぶつ呟く紙谷さんをよそに、

 奇妙な表現になるけど、私は黒い煙と目があった。

 迷い。疑問。そして諦め。少しの間だったが、それだけの変化が見られた。


『何故、ナゼ……私ハ……』

「……なんだよ。前とはずいぶん違うんだな」


 黒いもやはそれ以上身じろぎせず、次第に小さくなり……消えた。

 飛び散ったきれいな輝きがいくつか残り、天井に吸い込まれていく。

 紙谷さんはつまらなそうに投げやりな態度で上を見上げている。


「時間切れか? いや、俺との腹の探り合いに失敗すれば、檻の中にもう一度叩き込まれる可能性はあった。それが我慢ならなかったのか? 分からない。分からないが……ただ消えるって選択が出来るんならもっとやりようはあったのにな」

 

 ふうう、と紙谷さんが息をはく。

 私の目の前、何もない空間が揺れた。意識の無いつぐみの髪が揺れる。

 続いて松木さんのそばでも。


 私達を守るために《しるし》を使ってくれた? 紙谷さん。それと――

 未羽のほうを見る。ちょうど、手をきゅっと握りしめて開いていた。

 その動きに合わせるようにゆらぎが薄れていく。

 さっきまで唇を噛んでいたその横顔は、小さく笑っていた。


 だんっ! だんっ!

 紙谷さんが床を強く踏み鳴らした。


「俺の心は外れたまま大穴が空いてる。価値観もとっくの昔に壊れた……それでも命をかけて誰かを助けようなんて思ったことはない。結局、あの子が異常だったのか、あるいは《それをしたらどうなるのか》あまり良く分かっていなかったのかもな。……うんざりするくらい何度も首を縦にして説明を聞いてた癖によ」


 じっと踏み鳴らした床を見ながら、淡々と呟く。

 少し前の時より、感情がこもっている。苛立ってるわけじゃないけど、

 紙谷さんはその気持ちを紛らわせたいらしい。


「ただ、十年前。俺は七瀬あやねに助けられた。その時の礼はまだ言えてない。俺は、あの子を生き返らせてでも言いたいことがあるし恩も返したい。その後のことは本人に決めてもらう……どう生きるか、消えるか残るか……俺は……」


 紙谷さんがこちらを睨んだ。

 ……この感じ。


《心を覗いている》

 私と抱き留めているつぐみを値踏みするみたいに。

 思わず両腕の力が強くなった。


「まだ間に合うはずだ。俺の願いはまだ試すことは出来る。……ああ、ひなの捕まえてるのが死んでるか、死んでいい奴だったら迷わないのになァ」


 渦巻いている感情をつぶすようにもう一度、床を強く踏み鳴らした。

 紙谷さんはまだ決断できないでいる。つぐみの身体を使って他の誰かの精神を入れることを。もしそうだとしたら《私が齧りついてでもつぐみを離さない》って気持ちでいることも、充分に伝わっている。

 目が合う。お互いに心の内を探ってはいない。

 私の思いが諦める判断材料になったのかはともかく、紙谷さんはふいと視線を舞台中央……たか子さんとかいぶつの方へ向けた。







 *  *






 かいぶつは《ゆらぎ》の中で身動きが取れず、苦し気に煙を吐いていた。

 周囲に散った煙はみるみる透明に輝いて、照明に映されたチリのように浮かび上がり、もうさっきよりひと回りは小さく見える。

 確かに時間が経てば、つぐみに憑りついていた黒いもやのように、消えて無くなるみたいだ。

 誰かの身体に入り込みでもしない限り。


 たか子さんは日記に手をかざした姿勢を維持し続けている。

 息も絶え絶えでひどくやつれた感じだけど、鋭い表情で上空を見ていた。


「ひなちゃん」


 未羽から声がかかる。

 会場の観客席へ身体を向けているが、よく響いて聞こえた。

 正真正銘、劇団の主役を張っていたし似合ってるなあ……

 なんて思いが一瞬頭をかすめる。


「……つぐみちゃんは大丈夫でしたか?」

「うん。あとで病院に連れて行った方がいいけど。みうは?」

「あたしは平気です。なら、良かった……」


 もごもごと、何かささやくように口を動かしていたが、聞き取れなかった。

 ちょっとした違和感は別の発見に気を取られて、すぐに消える。


 少し間が空く。

 

 ふと、未羽がスカートの裾を掴んでいるのが映った。

 その仕草は、何度も目にしていて覚えている。

 舞台に臨む時や、勇気を振り絞るとき。意を決した覚悟の表れだ。

 なんで今そうしているのかを、一瞬考えたけど分からなかった。


「……初めて舞台で成功した! って場面。覚えてます?」

「うん。私もつぐみも泣いてた。一番泣いてたのはみうだったけど」

「そうでしたっけ?」

「そうだよ?」

「えっと……そうですね。思い出しました」


 そんなやりとりをしながら、私は驚いている。

 私には《その記憶が思い当たらない》

 思わず口に出た言葉。その元の思い出がどこにあるのか 探せないのだ。

 舞台。三人。泣いていた。

 それらの単語で辿って……そうだ。


 思い出した。

 初公演は、観客は家族や関係者、味方だけだった。

 二回目は松木さん達JINプロの前説を兼ねた前座。何人かトチっちゃって、

 紙谷さんに『ガッコの学芸会じゃねえんだぞ!』って怒られたっけ。


 そして、三回目の公演。

 今ここに立っている舞台。あの時は大きな劇場に圧倒された。

 プレッシャーも掛かった。演劇の難しさを感じる前の、最初の壁。

 緊張で軽口すら言えず開演のリミットだけが迫るとき、未羽が似合わないおどけた芝居をうった。そして、普段通り振舞えるおまじないをみんなに見せていた。

 よく覚えてる。忘れるわけがない。

 

 あの時の涙があったから、あの時の笑顔があったから、

 感動と拍手と、舞台に関わった全ての人ががっちりとかみ合った歯車のような感覚があったから。今日まで私は、舞台の道を立ち止まらずに来れた。

 そうだ。私には、間違いなくその記憶があるんだ。だから確かに……

 《そう思ってきたはずだ》


「明日の公演、ひなちゃんならきっと上手くやれます」

「……ありがとう」

「主役だったあたしが……ううんあたしだけが太鼓判を押しちゃいます!」


 ふるふると胸が震えた。

 未羽の言葉に込められた信頼は、三人で一緒にいる時に感じる信頼とは違う。

 役者の、主役としての彼女が、私を舞台人として信じてくれているのを感じる。

 《心を覗く》ことなんかしなくたってわかる。


 その期待に応えたい。

 未羽の言葉と思いも、成功へと積み上げた一つ一つのうちに入っていく。

 私は無言で頷き、未羽も同じように返す。

 それ以外の余計なものは、存在しないみたいに。


「あ、そうだ。『二人がいたからここまで来れた』……このセリフ。私もいつか、言いたいときに使っていいですか?」

「? それはつぐみの言葉でしょ。起きた時に聞いてみてよ」

「……ふふ。そうします」


 小さく笑った。


 すぐ横では、たか子さんが《かいぶつ》を食い止めてるっていうのに。

 それを抜きにすればここで茶番がはじまってもおかしくない。

 つぐみは参加できないけどさ。松木さんも、紙谷さんもみんな巻き込んで。


「たか子さん。そろそろ交代しますね?」


 未羽はゆっくりそう言うと、たか子さんの方に向かって行き、

 気安く、ポンと肩に手を置いた。

 普段なら考えられないが、《しるし》を伝え、ずっと一緒にいた関係がそう思わせるのか自然なやりとりに思えた。実際、たか子さんは労うような未羽の行動を気にすることなく、息継ぎのように肩を震わせて、日記に意識を集中させている。

 より疲労が濃くなっているが、見上げる表情はわずかな余裕があった。


 かいぶつは《ゆらぎ》の中で、煙を飛び散らせ身をよじっていた。サイズが少し小さくなった姿で、照明に浮かび上がる無数の煙が、無数の輝きに変わっていってる。

 たか子さんは、珍しく親しみのある言葉を返した。


「……ああ。頼むよ。どうやら私たちで手は足りる。リョウジまで出番が回らずに済みそうだ」

「なによりです」

「日記を。《門》の維持と受け渡しはみうに合わせる……やってくれ」


 未羽が日記に触れようして、

 輝きとともに手をかざした。


「……え?」

 

 たか子さんの胸が真っ赤に破裂した。

 同時に黒いもやがひとすじ突き抜けて、しぶきが未羽にもかかる。

 黒が赤をのみ込みながら胸から下へと流れ星のように滑り落ちている。

 引き抜くと、もやが溺れるようにしゅるしゅるとぬめりかいぶつの元に戻っていく。

 



 未羽の目の下、自身の血が涙のように滴るのを……

 たか子さんは不思議そうに見つめていた。




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