幕中 渡りの空




「……な。……ひなっ」

「……ですか? ひなちゃん!」


 二人の声がする。

 急に意識がはっきりしてきた。とはいっても寝てたわけじゃない。

 ずっと突っ立ってて、ボーっとしてたんだと思う。


「ああ、なに?」

「なにって、お前な……」

「考え事ですか? ……悩みとかなら聞きますよ!」


 ――ここは、スタジオのレッスンルーム。

 二面の鏡張りをみてすぐに分かった。

 周りを見ても私達三人しかいない。


 居残りで頑張りすぎちゃったのかな?

 んん? ええと、思い出せないけど。

 悩み……? これから何かをしなくちゃいけなかった、ような。

 なんだっけ? 


「いや……でも、そうだ。悩みがあったら、ちゃんと話すよ」

「本当ですか? 約束ですよ!」

「まっ、いつでも聞いてやる。聞くだけかもしんないけどな」


 なんですかそれー、って未羽が笑う。

 つられてつぐみも笑う。


 二人には心配をかけさせたくない。

 でも、言わないと余計に考えさせちゃって、もっと心配する。

 そういう性格だ。黙っていたら見守ってるだけじゃ我慢できなくなるんだ。


 つぐみはまっすぐな言葉で。未羽は遠慮がちに遠回りに逃げ道を塞ぎながら。

 このコンビに対して、きっと私は誰よりも嘘を突き通せないんだよな。

 二人の目が、不安や悩みをつまらないものにしてくれる。

 私が頼みも任せたりもしたことないのに。

 勝手に、頑張ろうって力になってくれる。


「かなわないな…….。みうにもつぐみにも」


 二人がいたから。

 私はここまでこれた。

 レッスンも劇中も、茶番も言い合いも続けてこれた。

 もし、舞台という場がなかったのなら、

 私はきっと無口で不愛想で臆病で嘘に敏感でパパが大っ嫌いなつまらない自分のままだ。私は変わり、少しも変わってないところもある。でも、前よりずっと自分を好きになってる。


 二人がいたから、今の自分が在る。

 私が、そう思って見つめるように。

 二人の見つめる中で、そう思わせる私でいたいと思う。


 それはとてもきれいなもので、無くしたら取り戻せない大切なもの。 

 自分の素直な気持ちを、熱とともに湧きあがらせてくれるもの。


 ――友達って、こんなにもすごいって私に教えてくれたんだ。


 二人の首に、両手を回す。

 軽く引き寄せると、ぐっとお互いの顔が近づいた。


「わわっ!?」

「なんだよ? ひな」

「ありがとう。いつもそう思ってたんだ。私は、二人が、いた、から……」


 私の、手……?

 つぐみと未羽の首に回している手が、

 かさかさに乾いて、骨に皮だけが張り付いているみたいで……

 指の先なんて骨そのものみたいに、見える。


「どうした? 寒いのか?」

「ひなちゃん?」


 身体を確かめようとは思わなかった。

 だってもし……

 その不安を振り払うように、顔を上げて鏡張りの方を見た。


 鏡には、心配そうに私を見つめてる二人の横顔が映り……

 薄皮が張り付いているだけの骸骨と目が合った。


「……! ……!」

 

 叫ぼうとしたが声もでない。

 骸骨から黒いもやが噴き出し、つぐみと未羽の身体を覆っていく。

 カチカチと骸骨の顎が動き、何か伝えようとしているみたいだった。

 私の身体も、触れているはずの二人も、いつの間にか消えて……

 どこにいったのかも分からない。


 ただ鏡だけが見える。

 黒いもやの隙間から、二人の手や首が見える……

 違う。正確には黒いもやの隙間から、

 二人の目も口も手足も身体も


 さらに指に髪にとまとわりつくと、髪がバラバラと飛び散った。

 水の中のように大雑把に切断された髪が漂った。

 その近くに、二人のどちらかの爪や指先がいくつも浮いている。

 私はそれを見た。未羽とつぐみが、まだその形である瞬間を。


 《ひなちゃん…………そっちは……いかないで……》

 《いくな……手を……ひな》 


 近くで聞こえた声が急に遠くなり、その姿も散り散りになっていった。

 暗闇の中で私を後ろに引きずっていく、どうしようもできない力を感じる。

 赤い星々が何かの果実であるようにびっしりと集まって震えていて、

 その間をにぶく光るいくつかの星が糸のように流れていく。




 私はその間ずっと、呼び続けていた。

 二人の名前を。



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