第31話 誰より醜い
「……みう」
「ひなちゃん。また会えて良かった。嬉しいです」
《良かった。まだ壊れてない。ここからもう一つもこぼさない。三人とも》
未羽は私と同じように、再会を心から嬉しく思っているようだ。私も嬉しい。こんな場所だけど、ようやく三人揃った。さらに帰る方法だってあるらしい。
未羽には、強く決めた気持ちが燃えているようだ。
「ここに、交換日記を持ってきてますか?」
「うん。持ってきてる」
バッグを手で探り、もたついたが日記を手にして、そのまま未羽に渡す。
もう一度未羽とをゆっくりと見つめ合う。
にこやかな表情を捉えている。さっきのように《心を覗く》こともできる。
でもしなかった。私は未羽のことを信頼しているから。
未羽は交換日記をぱらぱらとめくり、あるページで大きく開いた。
懐かしそうな、どこか感傷的な顔を浮かべている。
だが気を付けろ。目の前の親友は、しるしを使っていた。
そのままそれで攻撃することだって出来たはずだ。
こいつが、次にそうしない保証はない。
「ではいいですか! この日記の《しるし》を使います。 五人全員がこの印に触れて力を込めれば……戻れるくらいのユガミが出来るはずです。ただ、檻の中からでは、出口が決まってません。全員が頭の中で、強く願った場所に引っ張られるそうです。なので、ええと……くぐるときにJINスタジオのレッスンルームを思い描いてくださいね。それならイメージしやすいですし。検証はしていないんですけど、この《しるし》もそこで描いたものですから、もしかしたら多少影響しやすいかもなって紙谷さんが言ってました!」
「質問いいか?」
「はい! マツキさん!」
「一度、その日記の《しるし》に触れて……よく分からんが精神を吸われてからの事だな。その後に呪いの代償とかで気絶とか最悪死んでしまった場合、《しるし》には悪い影響はでるか?」
ええっとですね、と未羽は言葉を探していたが、紙谷さんの方に助けを求めた。
「そうだな……死んだ者たちの精神がまだここにあるように、一度ささげた精神は、本人がどうなろうと影響はない。そこまで膨大に削る、という心配もない。ふらつこうが倒れようが、担いででも全員で戻るつもりだ。また、こちらはぶっつけ本番でもないんだ、それにアキラ。お前も《しるし》に触れたから分かるだろうが……注ぎ過ぎることだけ気を付けりゃ問題ない」
「へえ……ならわりと確実なのか。よく出来てるんだな」
「あとは聞くことないですか?」
『……』
「ない」
「じゃあさっそく始めます! お二人からお願いします」
未羽が声を掛けると、相原たか子さんが交換日記を持ち、手のひらをかざす。
《では、責任を取るとしよう》
しるしが淡く光り、少し見上げるくらいの位置に揺らぎが出来た。さっき確認したものよりは大きいが、向こう側で何度も見ていたものとは比較にならない程度にちっぽけだ。
《伝えたはいいが……伝わってくれたかね? さて上手くいくかな》
続いて紙谷さんが指先でしるしを軽く押す。
か細い光の筋が揺らぎに吸い込まれ、じわじわとふくらんでいく。
《場所、場所、ああズレると嫌だなあ。思ったところに出て欲しいけど》
未羽がしるしに触れた。その長い髪がゆらめく程度には大きさを維持している。
「ひな。ついてこい。俺が先で、お前は最後だ」
「分かりました。大丈夫です」
すぐ上の空間に揺らぎが口を開けているように待っている。そばにはつぐみが寝かせられ、日記を持っている相原たか子さんの脇に、紙谷さんと未羽が私達を見ていた。
ええと、どうする。
どれくらい削ればいいんだろう?
もう余裕がありそうだし、たいして部品を失わずには済む。
むしろ前の三人が削りすぎてるくらいだ。
さて、どうする。
向こうに渡るなら、何もかもリセットしておくか。
うん。その方がきっと楽しくなる。
友達と過ごしたこと。誰かに教えてもらったこと。舞台で感じたこと。
それはすべて等しくすべて価値がない。だからここに置いていこう。
せめて生まれ変わったと思いたいのなら、心はからっぽにしたほうがいい。
――でなけりゃなんでキミはまだここにいる? 願ったのなら、叶えたいだろ?
「ぐっ……う、アア……」
うめき声が聞こえて、空間の揺らめきが一気に膨れ上がる。流れ星みたいな光がいくつか松木アキラの手から離れ、それに吸い込まれていった。同時にぼやけた境界がくっきりと見えて形が定まる。
松木アキラはふらついて倒れそうになったが、踏みとどまった。
……やっぱり話をきいてないのか、それともただのバカなのか。
もともと、あいつに精神の部品はほとんど残っていない。
なのに、全てを注ぎ込むように力を込めてしまった。
私を抜きにして、もう向こうに渡れる規模だ。申し分ない精度で完成している。
まいったな。これじゃもう部品を取り外してから渡れないじゃないか。
まあ最後まで退屈はしなかったが。
はは。こいつの精神は壊れた。
山崩しの棒は倒れた。
終わりだ。茶番も。
目の前にいるのはただの、もう誰でもない――
《ひな……》
松木アキラはこちらに振り返り、両手を広げて私を迎えようとしている。
いつか陽菜が思い描いたヒーローのように。
呼ばれても、これ以上何もすることはない。ただ向こうへ渡るだけだ。
その踏み出すキッカケを、私は意図的に見送った。
――広げた両手。一方にはナイフが握られている。
彼には似合わない。ぶっそうな形。
そしてそれは舞台の小道具などではない、本物のナイフだ。
当然、見ただけでは判別は無理なのだが私にはそれが分かる。
……なぜだか分からない。でも心の中でそう決めてしまった。
汗がにじみ、息をのむ。胸の音がうるさい。
とっくに捨てたはずの恐怖を。そして拾い集め、また捨てるはずだった恐怖を。
私はキミが思う以上に体験している!
《おまえは いま 殺す》
* *
松木アキラがこちらにゆっくりと歩いてくる。
視線ははっきりとしないが、私の背後に伸びる影と闇に向かっていた。
あるいは、それら全てをその目で厳しく捉えている。
「ハ、ハ……」
陽菜が生きてきて、今まで出したことのないみじめな声。
媚びた愛想笑い。卑屈な表情。
彼のたった一つの気高い意思に、私の顔は歪む。
ただ、誰だってこうなる。
自分を殺そうとする者が手を伸ばせば届く距離にいて、
逃げることも、戦うことも、何の為にもならずただ殺されるのなら。
こっちは右手と首すじ、向こうは右腕を怪我している。
お互い対峙したまま見つめ合う。
動きと出来ることの範囲を客観的に確かめた。
逃げれば半身になった腹部を一刺しに。
幸運に右手でずらしたバッグで防げても、
距離を離す前に背中へ深い切り傷か刺し傷。
そこから組み伏せられて胸に致命傷が入る。
抵抗は? この体格差じゃ無理がある。何をしても怯まず最短手順で来る。
なら反撃は《ナイフを……刺す……殺すッ!》
「……」
「……」
となれば影での接触で仕留めるしかないが……
檻の中ではライトの光に入れない。部品を総動員するのも封じられている。
先にライトを壊しに影をぬって走らせるのも、今となっては遅い。
逃げる? いや、それならさっきみんな黒く塗り潰せた。その絶好の場面は、私が見送ったんじゃないか。楽しみを長引かせたかったから。それじゃあいま、私は追い詰められてるのか。
……こいつ。
一体どこまで計算してたんだ。
この場面は作れない。偶然で私をこんなふざけた舞台にあげられるものか。
いつから。
ここに来てから?
ライトやナイフの準備していた時?
私と行動を共にした時か?
それとも、《しるし》に触れて、絶望に震えてたあの時から?
震えが全身にうつる。足がすくむ。
……欠けていた部品を埋めて、感情を試動させていたのが悪く出るとは。
あとはこいつの人格を、なんとかして残らず崩し去るしかない。
もう心すら覗けない、部品の欠け落ちたヒーローに通じるような手段――。
「マツキさん?」
「……」
「はやくここから出ましょう? もう帰れるんですよみんなで」
『……』
「あの、わ、私の後ろに何か――」
松木アキラはふと思い出したみたいにナイフの刃を横にしてから、
目の前の私の胸に、力一杯ぶつけてきた。
『……あやね。見てないで助けて? 星渡りが一人減っちゃった』
《ハハハはははッ! イヤだずっとずっと見てたい! ぜんぶ減らす!?》
『向こうでやろうよ。メール打ったんでしょ?』
《死んじゃえ死んじゃえェ! それでアキラの身体は私たちの劇に使お?》
『……せめて五体満足にして。欠損した人形劇なんてやらないからね?』
痛っ。
え、なん……何。
胸が濡れて、とっさに手で押さえた。
「ひなちゃん!?」
「バカ野郎! なにしてやがるっ!」
遠くから声が。
松木さん、の持った赤いナイフ。いや赤い? 違う?
刃先からぽたりと滴り落ちて、地面に点。
私の手。真っ赤だ。ぜんぶ同じ色。
「うぇ……?」
急に力が抜けちゃった。
胸を押さえて、しゃがむけどそのまま寝転がってしまう。
でも楽にならないし誰かの叫ぶ声と心臓の音がすごくうるさいあれ地面の点々ってこんなにあったっけでも何かが追い付いたように迫ってくる最悪な感覚が今にも――
どろっとしたものが染みだして、すぐに勢い出てあふれた。
赤? 黒……
叫ぼうとして、叫ぼうとしたものがごっそりと無いのに気付く。
精神とかの柱みたいな、背骨ごと引き抜いたみたいに、なにもなくなった。
目を向けたら、いくつかの星が見えた。
あと、立ちのぼり集まっていく黒いもやが、照らされてオーロラのようで。
すごくきれいな夜空だ。
「今だ! やれ!」
誰かの叫び。
黒いもやのまわりに、ちいさな星が飛び交う。
吸い込まれそうになって、わずかな星々の切れ目をぬい黒いもやは離れ、照らされた光からも離れ、遠くの暗闇に溶け込んでいった。
なんだか必死になって逃げていった黒の蠢きに対して、嫌悪感が湧いてくる。
同時に、痺れるようなだるさ、寒気や孤独感が濃くなっていく。
――くそっ! ちくしょう! 失敗だ!
――いえ、まだ追えます!
――やめろもう無駄だ! それ以上は削るな!
ぱりん。
ガラスの割れる音。光が消えて真っ暗になった。
ライトにまとわりつく無数の影が、風景に焼け付いてびっしりと残っている。
――ここはもういい! 《ゆらぎ》に飛び込め! JINプロ、スタジオ、レッスンルームだぞ。頭にしっかりイメージしろ! 構うな、俺は最後に飛び込む! いけ!
星は見えない。広がる夜空がみるみるうちに縮んでいき、
おびただしい数の黒いもやが身体をくねらせて、暗闇の中で迫ってくる……
それが、とても気持ち悪くていやだった。
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