第30話 光より輝く

 



「こちらのピースは揃ったが。さて……」

「ひなから離れろ。……次に同じセリフを言わせるなら。答えによっちゃお互い不幸な目にあうかもな」

「ほう? わざわざこの子を開放して、こちらに何のメリットがある?」


 たか子さんがこちらを見た。

 正確には私を捕まえている紙谷さんに何か目配せをしたみたいに感じた。

 相変わらず動こうとする先を、力で抑えられてしまう。

 この角度のライトじゃ遠すぎて、松木さんはシルエットくらいしか見えない。


「先に言っておく。今から俺の話すことに駆け引きや嘘はない。……必ずそっちのやることに協力するし手は貸してやる。だが、この状況はな、あんたらの思っている以上に俺を敵に回してるぞ」

「……こちらの情報を引き出す気もないの? 何も分かっていない上のわがままなら時間の無駄だけど?」

「……なら、もう少し言ってやろうか? 俺やひなを《しるしの中》に閉じ込めるだけなら、あんたらがここにいる必要はないんだ。俺たちはここから出る方法も分からないわけだし、そっちがマヌケにも呪いに失敗したってわけでもない。……やることがあるんだろ? それには俺たちが必要で、出来れば自分の意志で手伝ってくれれば言うことはない……そんなとこだろう。間違ってるなら聞いてやるよ」


 たか子さんは何か考えているようだ。

 私の目で見る限り、わずかに感心したような表情にも読み取れるが、

 ここにいる人は全員、誰からも胸の内を覗かれないし覗けない位置関係にいる。

 演技だとしたら私にはとても分かりそうにない。


「いや、大筋は合っている。遠くもない。……そうだな。もう一度条件を聞こう」

「ひなを放せ。でなけりゃ俺は好きにさせてもらう」

「よく分かった。紙谷、言われた通りだ。その子を放してやれ」

「いいんですか? せっかくの――」

「交渉材料にならないのなら、別の利用価値を見出すべきだろう?」

「……」


 少し間があって、紙谷さんの手が緩み背中から遠ざかっていく感じがした。

 恐る恐るみじろぎしても立ち上がっても、何も反応が返ってこない。

 携帯のライトを紙谷さんの方に向ける気にはならなかった。また掴まれて引き倒されるのは、叶うなら二度と体験したくない。


 急いだわけじゃないのに、松木さんの方へ無意識に足が動いた。

 目の前に照らされた道が出来たように、私は走り出していた。

 舞台や練習で何度もなったことがある、誰かが自分を動かしているような感覚。


「松木さん!」

「無事だったんだな。ひな」


 あ、携帯。

 松木さんの手に、古い機種の携帯が薄く光ってる。

 ということは、見つけられたんだ。……この暗闇の中で。


 立ち止まろうかどうしようかというところで、松木さんに抱き寄せられた。

 首に手を回されて、頭をかるくぽんぽんと叩かれる。


「え、ま、松木さん!?」

「怖くなかったか? どこか痛くないか?」


 ――今の気持ちは? 気分は悪くないか? と

 答える間もなく質問が続くので、うまく言葉がでない。


 ただ、心が通じ合っている。私は強くそう感じていた。

 いま私の気持ちはまっすぐに松木さんに向かっていて、

 松木さんの気持ち……熱や魂も、この瞬間は私だけにぜんぶ向いている!

 何もしていないのに、自然と分かる。伝わってくる。

 それだけでしびれるような幸せな気持ちになる。


「だ、だいじょうぶです。どこも。何ともないです」


 良かった。

 こうしてまた会うことができて。


「誰かから台本が届いただろ。確認できたか? 内容は?」

「え? あ、ええと……松木さんから、は、離れないようにって」

「そうか。なら実行するしかなさそうだ。俺にも書かれてたよ……携帯にな」

《ああ、くそ。ばけものは、いざとなりゃ……殺すしかない》


 松木さんの心の声だ。あれ?

 赤くて黒みをじわじわと帯びていくような、そんな感情。

 でも抱きしめられているんじゃ、顔も見えないし私だって密着してるし――


「ひなとアキラは混じってない、ということ?」

「加えて言うなら俺にも変化はありません。……必要がないとも考えられますが」

『……』

「ここはあの子達の庭。目的があるのか、そもそも何も考えられない状態なの?」

「こちらの意図全てを覗かれてるなら、必ず手は打って来るはずですがね」


 たか子さんと紙谷さんの、声。

 あれ? 見えてもいないのに背中越しに声が伝わっている。

 聞き耳を立てたわけでもないのに、しっかり聞こえて頭の中に入ってきた。

 なんだ? なんだ、これ……

 私の中でぞわぞわと動いているものがある。勝手に、広がっていくものが。






《ひなとアキラ……そして俺も。接触したのに何もされてねえ。いや、そう見えてるだけだきっと。何かを待っている? 何を? 俺たちの人格が欠けるのを? ここから出て帰る時を狙ってるのか? 分からねえ。なに考えてやがる》

《ごめん……ほんとごめんね……こんなことになるなんて》

《殺せるのか? ただ俺を信じてくれてるこの子を……手遅れになる前に》

『信じて。かいぶつなんかに負けないで』

《人を好きになっていく。その気持ちを削らなかったら。もっと別の、もっと普通のシーンがあったのかもしれない。もう戻ることはできないけど》

《ハハハははは! メールの意図に気付いてないぞぉ! そのまま死んじゃえ!》

《つぐみの抜けがらに、わずかな部品がもどった。これで、迷いなくつぐみの身体を使うわけにはいかなくなったわけだが……どうするかな。かわりをもう一体用意する手間を考えれば、そのままつぐみの代用プランを強行してしまうか》






「……」


 顔を振って、松木さんの胸に擦り付ける。

 たくさんの心を同時に《覗けた》

 急だったし同時に聞こえたから、うまく聞き取れなかったけど。

 バスの中とか、人ゴミで何回か経験したような、気持ち悪さや吐きけはない。

 ……というよりもまだまだ余裕がある。

 何人でも、どこまでも《心を覗く》意識を広げていけるような気さえしてる。


 意識は、私のすべてで、私そのもの。


 まだ間に合う? もう引き返すことはできないのなら

 黒より黒く塗り潰すときだ。檻を夜空で満たそう。

 ずっとずっと、永遠に。


 退屈なのは嫌だ。

 ならこんなせまいところを楽しくするか、他の場所を探すか、どちらかだ。

 いつにする? まだ? もう? いま? ここで? 檻の外で? 内で?

 ねえどうするの? キミは――


「ア、ア……?」


 ゆっくりと、松木さんの片手が動いて、私の首の後ろで弧を描いた。

 携帯はどこかに仕舞ったのか持ってない。その手にはなんだかぶっそうな形のナイフが握られている。

 あまり松木さんには似合ってないな。

 ……ちょっと間があって、何かが私の後ろに落ちた音。




 *  *




 その瞬間、私は振り向こうとして思わず目を閉じた。

 わ、まぶしい。……というか目が痛い!

 この光は?


「舞台装置の中じゃ一番小型の別働ライトだが、結構照らせるな。持ってきてよかった。さすがに劇場のスポットってほどにはいかないが……」


 ランタン? より細くて小さい形。 でもまぶしくてあんまり分からない。

 んっ……あれ。暗闇に慣れ過ぎてたからかな。目の前にかざしていた手が一瞬大きく膨らんで、黒いもやが飛び散っていったみたいに見えた。まるで光に照らされているのを、遅れて思い出したって感じ。


 ……大丈夫。この距離と明かり。これなら《心を覗ける》

 たか子さんや紙谷さんの言葉に裏が無いかは、これで判断できる。

 松木さんの助けになれる。


「さて。約束通りあんたらに協力しよう。よほど手伝うことが俺の良心に引っかからなきゃな。でも一つだけ先に聞かせて欲しいことがあるんだ。……いいかい?」

「……俺で答えられるなら」


 紙谷さんが一歩前に出て、たか子さんを隠すようにして言った。

 そう、隠した。《紙谷さんは彼女になるべく話をさせたくないようだ》


「あやねは、苦しんだか? 最後に……この場所で後悔していたか?」

「……」


 紙谷さんはすぐには返事をせず、目を閉じていた。

 《ずいぶん昔のことを懐かしむように思い出している》

 暗闇。ライター? のゆらめく薄明り。

 私と同じくらいの女の子が二人、ライターを持つ人に話しかけている。

 顔はこちらに向いているが、ところどころ薄闇がかかりはっきりとしない。

 ポニーテールの子は多分泣いている。もう一人の子が泣いている子をあやすように背中をなでながら、顔を覗き込んで話しかけてる。笑顔を見せているようだ。土に汚れた服や指先、汗をぬぐったほほの跡。沈んだ雰囲気を忘れているみたいに笑っている。


 俯いていた顔を上げ、紙谷さんがこちらを見た。


「七瀬あやねは、家族やお前たちに何も伝えられないことを心残りにして、苦痛のまま死んだ」


 《嘘はついてない》

 何か辛い記憶を絞り出すように、いくつかの場面が浮かんでは消えていく。

 涙よりも、血が出てきそうなため息と表情をこちらに向けている。


「……よく分かったよ。ガミさん。それで? 俺は何をしたらいいんだ?」

「そうだな。まずは説明をさせてくれ。10年前のことも関わってくる」


 松木さんの方はどうしても見れなかった。

 七瀬彩音の死。それを受けてどんな風に解釈しのみ込もうとするのか。

 あの瞬間の松木さんの心の中を覗くのは、してはいけないことだと思ったし、

 私は見たいとは思わなかった。


 いま出来ることだけをする。

 今は、騙すための嘘があれば松木さんに伝えるだけ。それだけでいい。


「知ってる話と詳しい話は省くが、劇団JINが出来上がるずっと前から、ある呪いが存在していた。それは心を削り取り、保存し、緊張や特定の気持ちをこの場所に置いておけるってものだ。そして好きな時に取り出して戻すことが出来た……10年前まではな」


《奇妙な話だが、ひなが俺達の仲介役になってくれてる。ひなの前じゃ何も隠し立てできない上に、ひなは隠しかたを一切知らない。お互い筒抜けだ。ここでは無駄な駆け引きは打つ必要はねェな》


 緊張や気持ちを切り取れる。あのしるし。そして呪い。

 簡単に言えば、心の麻酔みたいなものなのかな?

 不安や緊張を消して、集中していられる……だいたいは思った通りだ。

 昔は外した部品を簡単に戻せた、でも今は違うってこと?


「どれくらいの年月を経てそうなったかは知らないが、何かの事情で切り取ったままの心、精神はここ《檻の中》に溜まり混じり合い、知らないうちに一つの人格のようなモンができた。その人格ってのも最近まで存在すら把握できていなかったんだが……思えば、削り取った精神を戻せなくなったのも、呪いの失敗でここに人がのみこまれるようになったのも、その人格が意図的に邪魔をしていたからだろう……というのがこちらの現段階での推測だ」

「心をかき集めてできた人格。ってことはあれか。その役名が――」

「俺たちは《かいぶつ》と呼んでいる」


 心、というか外した精神。

 部品たちが無理矢理につながり合い、一つのものとして人格となった?

《かいぶつはより多くの人格を戻らないようにして、また精神をなるべく無駄に消耗させてかすめ取ろうと色々していたんだろうが全部は分からないな》


「結局のところ、俺たちは《かいぶつ》の思惑にまんまとのっかって、つぐみ達を助けるために今ここにいる。……今のところ10年前と同じだ。七瀬あやねも芦田ひかりも、当時の呪い持ちはここに閉じ込められた。俺もそうだ。最初は呪いの失敗だと思っていたんだが、どうも今考えてみると、その時点でささやかな妨害は始まっていた。その時には保存してある心の一部分は戻せなくなってたしな。……そして俺と芦田ひかりは戻ることが出来た」


 紙谷さんの言っていることに《嘘はない》

 誰かの……元気づけるような笑顔を思い出して言っている。

 顔は分からないのに、気安さと親近感というか、知っているような気がする。


「今回はつぐみの父親の件とか イレギュラーはあったけどな。つぐみはそれによって精神を痛めて使えない状態だが、手伝ってもらいたい事はそれ……つまり俺たち全員がここから出て戻る。それが最低限達成すべきことだ。それに協力してほしい。……どうだ?」

「ひな。何か確かめておきたいことはあるか?」

「紙谷さんとたか子さんは……私の敵ですか?」

「ああ、そうだ」


《嘘はついてない――》


「マツキさん。言葉の通りです」

「そうみたいだな。だが、何とかして無事に帰らなくちゃな」


 ぎゅっと身体を抱きしめられた。

 離さないという松木さんの意志を感じる。 

 

「わかった。全部ひっくるめて手伝う。ひなもそれでいいか?」


 顔と顔が触れ合う距離で、見つめられる。

 声がでない。……呼吸も止まっちゃいそう。

 言葉ではなく、何度もうなずいて同意を示す。

 松木さんの目が笑った気がした。


 その視線の先。空間が小さく歪む。

 ぱっと松木さんを突き放すように一歩、二歩と飛び退く。

 透明な揺らぎは手のひらくらいのサイズで、

 シャボン玉みたいにふわふわとしているが、その場所に留まっている。


 注意深く揺らぎを視界に入れながら、紙谷さんを見た。

 ……《しるし》を描いたり、妙なそぶりはしていなかったはずだけど。

 紙谷さんの後ろに立っているたか子さんも今まで動いていなかった。

 いったいなんの――


「なんのつもりだ? これも、説明の演出か?」

「強く発動させてもあの程度の大きさか……《檻の中》じゃだいぶ制限がかかるのは前と同じ。やはり、帰るにはここにいる呪い持ち全員で一つのしるしに力を注ぐしかないな……つぐみは数に入れないとして、五人ならなんとかなるだろう」


 五人。……ん、五人?

 紙谷さん、とたか子さん。松木さんと私。

 つぐみはまだ気を失ってるから――


「では、あたしが帰る方法を説明しますね!」


 その声に思わず振り返る。未羽がすぐ後ろにいた。

 数日前、消えていたことが無かったみたいな、未羽らしい声と元気さ。

 つぐみのそばにいて――どうやらつぐみの髪や服装を直してくれていたらしい。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る