第29話 闇より来る




 迫りくる暗闇に嫌な気持ちを覚える。

 まとわりつくような圧迫感が、さっきより強くなっている気がした。


「マツキさん」

「どうした?」

「何かが、こっちに来ます。どうしたら……」


 もし黒い《かいぶつ》なら逃げるしかない。

 でも、つぐみを連れて行かないと。

 逃げたとして、どうするんだ? どこに向かう? どこを目指す?

 出口なんてあるのか。


 この暗闇じゃ《かいぶつ》に腕を掴まれるまで、存在に気づけない。

 携帯のライトをもう少し前に向ければ分かるかも。

 そんなに遠くなかった、と思うし。

 でももし目の前に《それ》がいたら……考えるだけで怖い。

 怖いけど。


「マツキさん! つぐみのこと、お願いします」


 思ったより大きな声が出た。

 どちらにしても。逃げるならマツキさんとつぐみは一緒でないと。


 ラ、ライトを向けなくっちゃ。私が、このまま、前で!

 音のした方に、向かってくる気配の方に。

 残酷なものがこの先に待っていたとしたら、二人から少しでも引き離さないと。

 私がやるんだ。


『……エ?』

「……え?」


 携帯のライトを持ち上げようとしたけど、できない。

 怖さをごまかしながら、動かそうとしたけど、できない。

 震える手に力を込めてみたけど、何もできない。


 すでに私の携帯をつまむように押さえていた、何かがいる――


「う……あっ!」


 とっさに携帯を離そうとした。

 その手ごと掴まれて、地面に向かって引っ張られる。

 視界が……真っ暗でよく分からなかったが、ぐるりと回った。


 いつのまにか顔が地面にぶつかっていた。

 携帯を持たされたままの腕は、背中側に捻りあげられて掴まれている。派手に転んだみたいな勢いだった気がするけど、顔も腕も、少し痛い程度だ。感覚は戻っていると思ってたけど、まだ痛みに対して鈍いのかもしれない。


「マツキさん! つぐみっ!?」


 ――私を捕まえているものは、私の背後から手を取ってきた。

 後ろにいた二人はなにかされてないか?

 その気持ちが、自然と声に出た。


「俺を呼んだか?」


 声は、ささやくように近くで聞こえた。耳もと……正確にはすぐ後ろ側で。

 嫌な汗が背中から滲む。


 松木さんの、声。落ち着いてる感じに聞こえた。そっちは、なんともないみたいで良かったけど身体が密着してるのはどうしてだろう少しくらい私を心配してくれたっていいって思うのは自意識過剰かなそれにこれじゃまるで――松木さんが私を倒して、そのまま押さえてるみたいじゃないか。


「な、んで……?」

「いったい何でだろうなァ?」


 顔を後ろに向けた。 

 背中と腕以外は動いたみたいで、あっさりと確認できる。


「……暗闇。役者と場面の切り替わり。よほど限定された条件を揃えなけりゃ、いまのお前を騙せる奴なんていやしない。こちらとしては上手くコトが運んだが」

「紙谷さん……!?」


 ぼんやりと紙谷さんの顔が闇に浮かんでいた。

 思えば、松木さんの顔は見てない。声だけだ。 

 それも妙な空間と、明かりはライトだけ。

 声真似……? それに私は引っかかり続けてたってこと?

 い、いつから。


「おっと」

「い! たっ……」

「ライトを向けられるのは不味い。やめてくれ。今のお前は相当危ないんでな」


 手首を捻りあげられ、思わず声が出る。

 携帯のライトを動かすのは難しい。私の背中を照らすだけみたいだ。

 『心を覗く』には、その人の表情を読み取れるって認識がないと出来ない。

 それを、紙谷さんは良く分かってる。

 つまり――


「動くなよ。折れようが外れようが、お前に何も感じない。それを思う心は、もう俺にはない」

「……呪いですか?」

「ああ、そうだ」

「紙谷さん。マツキさんはどこいますか?」

「心配か? すぐに分かる。いまのお前を、あいつは絶対に放っておかんさ」


 良かった。松木さんは無事でこの場所の……どこかにはいるらしい。

 あまり考えなかったが、紙谷さんが未羽やつぐみに呪いを教えたのかも。

 聞きたい。どんな理由でこんなことを、望んでやってるのか。

 ……それは『覗けば』分かるのに。




 *  *




「飛び込みの茶番が入ったな」

「……あ」


 少し間が開いて、声がかかった。

 明かりも点けずに前の方から、誰かが歩いてくる。

 ……相原たか子さんだ。

 地面に倒されて見上げるには限界があるが、辛うじて顔は確認できる。

 さっきの近づいてくる音や気配の正体は、たか子さんか?


「しかし収穫はあった。……こちらの都合も悪くない。茶番なんてものは当人達には楽しかったり価値のあるものと感じるだけで、周りから見ればくだらないものでしかないが。こういう茶番なら歓迎しよう」

「あの。たか子さん。教えてください。つぐみやみう、私たちに起きていることって……なんですか?」


 質問を投げかけて、たか子さんの顔を正確に捉える。

 暗さに目が慣れてきた。それもある。

 私は質問を介して『心を覗こうとした』すると、さっきつぐみに試したように、暗闇へと意識が広がっていくような感覚になる。


 まだ暗いし遠い。心を読むには、もっと表情が鮮明に見えないと無理みたいだ。

 近づくか、大きなライトでもあれば。

 その限界の距離を測るように、たか子さんはギリギリで足を止めた。


「そうだな……今のうちに言っておこうか。七瀬彩音に《人をのむ呪い》を教えたのは私だ。君の言う二人にも直接ではないが関わっている」

「こ、ここはどこですか?」


 湧きあがる怒り。でもぐっと抑える。今は必要ない。

 今は必要なのは情報だ。知らなければ誰も助けられない。

 《私は大切な人と一緒に帰らなくちゃいけないんだから》

 

 たか子さんは嬉しそうに笑った。


「檻の中だよ」

「……」

「ふふ……君は聡明さよりも健気さが勝るようだ。では、宇宙の最果てとでも言えば信じてくれるか?」


 私の無言をどう捉えたのか。

 テストで難しい顔をして解こうとしている生徒を、先生が見るような顔。

 少なくても、暗い気持ちではないみたい。 

 でも教えてくれる気はない。知ろうとしていることを―― 


「知らなくていい。……だが、私たちの役には立ってもらおう。それには、あと一人欠けている……引きずり出してでも、舞台に上がらせるしかないな」

「やりますか?」

「そうしてくれ」


 二人のやり取りを聞いていても、何を考えているのかは分からない。

 でも多分、松木さんをここに来させようとしてるんだと思う。

 それで何かが起こるとして、このままでいいんだろうか。

 紙谷さんたちは大切な用事を済ませようとしている。私も手伝えることらしい。

 何か、せめて話を――


 ここは暗い……洞窟のようなところに決まっている。けど。

 《しるし》の中? 《かいぶつ》のいる空間の中? そんなの、信じられる?

 悪い夢か、悪い冗談か。

 出来の悪い台本でも読み聞かせられてるみたいに思うよ普通。


 私のほほを、何かが撫でた。顔と地面のわずかな隙間を縫って。

 薄っぺらいものが、まとわりつき私をなぞる。

 その感触には覚えがあった。


「なに……? うあ、ああああ何これっ!?」


 夜空が私を見てる!

 暗闇に混じって――違う地面も空気もこの場所も!

 全てが私に迫ってきてる!


 帰り道の、弱ってぼやけていた時より分かる。

 何をされているのか。これからどうなるのか。

 はっきりと形になってイメージできる。


「うそっ!? いや! いやだっ! 来ないでええええ!」


 苦手な虫の大群が肌をのぼってくるよりも。砂や砂利を口に押し込まれて噛み続けるよりも強く感じる嫌な気持ち。

 名前も知らない誰かに、この身体と精神を手放した時もあったけど。

 。絶対に渡したくない! もう何があっても私のままでいたい!

 そうだ。『私はそう思ったんだ。最初からずっと。そう思ってた』

 お願い。入ってこないで……!


 でも、う、動けない。

 紙谷さんに肩とか押さえられてるだけで、こんなに抵抗できないのか。

 もし動いたとしても何をすればいい? 逃げる? 離れる? どうやって?

 ぎゃあああ何いやいや! 嫌だ! 嫌だ夜空が私を這ってくる!

 今度は逃げられない――


「やめろ!」


 ぴしり、と空気にひびが入り夜空は後ずさるように散っていく。

 そんな気がした。

 目の前はまだ暗闇のままで、すぐ近くにいるかもだけど。

 張り付いていた気配が遠のいたのは確かだ。


 その声を聞いて、私は心の底から安心した。

 おおげさな表現じゃなく光が差すような気持ちになる。


「来たか」

「おう。しばらくだが変わりあるか?」

「……ひなから離れろ」


 松木さんの声。

 ――もし私の物語にヒーローがいるとして。

 どんな人だろうって想像するとしたら、きっとこんな声をしているんだろうな。

 なんて、私は案外動揺していたのか、ひどく場違いなことを考えていた。





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