第28話 泪より熱い




 ジュースと飴のゴミ。その好みをよく私は知っている。

 ライトで顔を照らす前に、私にはそれが誰か分かっていた。

 そしてその小さな手。

 団員と言い合いになると感情を押さえつけるように握りしめる手。

 下を向く団員の背中を遠慮なく叩き、練習に行き詰まる私を抱き寄せてくる手。


 いつも一緒にいてくれた、よく知っている手だ。


「つぐみ! ……つぐみ!」

『……』


 手を取って、声を掛ける。

 何の反応もない。

 つぐみの顔は青白く、身体は冷え切っていた。

 ここは風もなく、寒さを感じなかったのに。

 熱を奪うようなものだって見当たらないのに。


 あ、暖かくしてあげないと。


 寒いのは嫌だよね。私も、つい最近そう思ったんだ。

 消えていく意識。見渡しても光はなく、全身の感覚が無くて……

 ただ痺れるようなだるさと、孤独感だけは濃くなっていく。

 もう、いいか。って諦める気持ち。

 寒い。このままは嫌だ。って動こうとする気持ち。

 そして、叶えたい夢を、誰かに願う。


 『


 思わず手に力が入る。

 ……つぐみは、私の手を握り返してこない。

 口も閉じたまま、呼吸も鼓動もない。小さすぎて、分からないよ。


 すぐに目を覚ます。起きる。

 それか……私をからかってるんだ。眠っている演技で。

 ぜんっぜん笑えない冗談で、つぐみらしくない。でもそれでいいからさ。

 この携帯のライト。この距離なら。ごめん。つぐみ。――確かめさせて。


『……』

「……つぐみっ」


 《読み取れる精神が見つからない》


 覗けるものがない。

 中がからっぽ、とか、何かが詰まってる、とも違う。

 


 心を覗く。何度もやってることだ。

 顔色や仕草で考えを当てるとか、そんな底の浅い呪いじゃない。


 意識が無くても。

 脳があって、精神とか心があって。……魂のようなものがあって。

 人の表情をキッカケにして、それを捕まえて入り込み内面を読み取れる。

 私は間違いなく、心を覗いてる! 暗闇さえ見通せるような感覚でいるのに!

 でも見つからないんだ。


 これじゃ、まるでつぐみは……


「手を離してやれ」

「マツキさん。……つぐみの手が、冷たくなっちゃって。動かなくて。これじゃ、つぐみは嫌だって言いますよ。私も、嫌ですし。だから――」

「いい。つぐみは……もう」

「か、かわいそうだって! 思わないんですか!? ……マツキさんも、後ろで見てないで手を、握ってあげてください! こんなのおかしい! そうでしょ!? 何か言ってよ! つぐみ!」


 耳元でわめき散らす私の声。迷惑だって、うるさいって、分かってる。

 でも、つぐみが、そう言ってくれるまで、止めてあげない。ここまで来たんだから。それくらい、許してよ。黙ってるつぐみが悪いんだし。松木さんにも悪いことをしちゃった。感情そのままで当たり散らすような真似を……


 でももうちょっとで戻る。冷たさも、固さも。あたため続けてるんだから。

 顔色だって、こんなちっぽけな明かりのせいでよく見えないんだよ。


「つぐみ……!」

『……ッ』




 かちり。かちりっ。




 どこかで、歯車が鳴った。私の胸の奥じゃない。

 傷つき、壊れていく精神を部品として削って、外す必要なんてない。

 だってそうだろう? 私は……少し焦っていただけ。恐怖は感じてない。

 身体が震えてるのだって、つぐみの手を握っているから。

 私の手も冷たい方だし、なかなか熱がうつっていかなくて焦ってんだ。


 ああ、くそ。願い事、もう少し欲張っておくんだった。

 だって、つぐみが、こんなことになるなんて思ってない!


 つぐみの手を両手で包み、祈るように閉じた目元へ寄せる。

 何に祈る? 何を、私は祈ろうとした?

 私は、もう悲しもうと思い始めている。

 心が泣く準備をしている。……何のために?


 まとまりかけた思考を崩して散らす。

 寒気がするほど凍り付きそうに冷えている手。それだけに意識を向けた。

 こんなの少しも、つぐみの手らしくないよ。

 もっと、本当は……そうだ。もっと、柔らかくて……


「……な。……ひな」


 目を開ける。

 小さな声が、すぐ近くで聞こえた。


「つぐみ! ……つぐみっ!」

「……きこえてるよ」


 ――聞こえてるから、うるさくするのは止めて。と言うように。

 つぐみは私を安心させるために、わざと《そんな演技》をしてくれた。

 ああ、見間違えじゃない。小さく口が動いて、眠たそうな目を向けて、

 私の手をつぐみが握り返してくれている!


 あふれそうだった涙が、つぐみの手を伝って流れていく。


「ご、ごめん。泣いちゃって」

「ひな……ひなのなみだッ、あたたかいな」


 大丈夫――じゃないよね。辛そうにしゃべってるし、息も苦しそう。

 どうして――いつ《呪い》としるしを知ったのか? これも今は大事じゃない。

 元気――いやいや、こんな状態じゃん聞いてどうするの。


 あ、あれ? 言葉が、うまく出てこない。

 見ればつぐみも、なんというか複雑な顔をしている。

 いろんな感情が織り交ざったような。


 お互い、何をとっかかりに話そうかって感じだ。

 なら、心のままに任せればいい。いつも未羽やつぐみにそうしてきたように。


「良かった……! 良かった。つぐみ……」

「……ゆめ? ウチの、ねがいが……そんなわけ、ないか」


 また会えて。生きてて。諦めないで。つぐみのことが大好きで。

 本当によかった。


 つぐみは私に、笑顔を向けてくれた。

 普段通りとは言えないけど。私のために、そうしてくれている。

 それで充分だ。


《やっぱりひなはひなだッ。ウチの手が……何も掴めなかった時、いつも大丈夫だって言うみたいに捕まえてくれる。次の目標を目指すまで……今もそうだ》


 つぐみは私の顔を見て……違う。

 どこか遠くを、力なく眺めてる。それか、ピントが合ってない感じ。

 目が見えていない? 私もそれに近い時があった。

 つぐみだって《呪い》の症状が進んでいるのかも。


「ああ……きれ……い……な……よぞ……ら」


 それだけ言って、ゆっくりと目を閉じた。

 私はまた大声を出しそうになったが、ぐっとこらえた。

 さっきと違い、わずかな息がある。……変な表現になっちゃってるな。

 でも、さっきは生きてるのか、分からなかったから。


 脈、と呼吸。疲れが出てる顔。少しだけ話した感じで判断するしかないけど。

 気を失っただけ? 危険な状態には違いない。動かすのは……どうだろう。

 松木さんに背負ってもらう? ってか松木さんとも話したかったんじゃないか?

 暗闇と、視覚が弱ってたなら、私がまず先に言ってあげれば済む話だった。

  

 《意識は深く落ちて安定し始めている》


 眠っている状態に近いみたいだ。ひとまずはこのままのほうがいいかな?

 あまり体力も精神も使わせない方が今は―― 


「……ん」


 周囲にお菓子やペットボトルが散らかっているのを確認して、

 つぐみの携帯が、地面の隙間でぼんやりと光っているのが見えた。


 つぐみの手元の範囲。当然私にも手が届く。

 ダメなことだって分かっていたが、何か強い違和感があって、それを優先した。

 光っている表示画面に視線を落とす。


 メール作成途中のようだ。

 ……パスワードの入力画面だったなら、諦めてた。


 自動ロックにはなってないから、

 直前までつぐみが何か文章を打ってたってことになる。

 

 つぐみの様子。ついさっきまで携帯を触ってたようにはとても思えなかった。

 ――死んでるんじゃないかって誤解するほどの状態だった、はずだけど。

 つぐみの携帯は無操作が何分で切れたっけ。


 携帯は圏外になっている。

 つまり誰かに見てもらうためのメッセージを、残そうとしてた?

 ここに来る誰か。助けに来てくれる誰か。……何を伝えようとしてたの。

 画面を操作して、下に隠れている部分を表示させた。













最初に見た人が キミであることを 期待する


私を信用してくれるのなら 今の状況から

檻の中 元の場所 に帰れる 可能性はある

絶対ではない ことも言って おく


・『ここに来てから最初に声をかけてきた人』は信じるな 覗ける距離を保て 

・『キミが願いを私に託した』とき 最後にいた人 その人のそばを離れるな


以上2つを守れ


この場所から出ることが叶ったなら……

2つの忠告は忘れてしまっていい

あとは 自分の命を 優先しろ


私の失敗があり もう なにもかも は 取り戻せない。

泪と悲しみのまま このメールを開いていないことを祈る


こちらの茶番 向こうの台本 キミのアドリブ 

上手くいくことを願うよ。















 ……つぐみの打ち方じゃない。

 誰だ。


 でも、メールを作った人。知ってる気もする。

 ずっと一緒にいたような、妙な感覚も。


 改めて周りを見渡す。

 つぐみの荷物。バッグの中身は散らばっている。

 ペットボトルとか。お菓子とか。


 あの日……未羽とつぐみと、JINスタジオを出てカラオケに行く予定だった。

 そうか。つぐみは事前に持ち込む物を買っていたのか。


 用意があったのは幸運だったんだね。

 水や食べ物が無ければ、持たなかったかもしれないんだから。

 こんな暗闇に 三日間以上も……


「……え」

「なんだ?」

「……な、なんでもないです」


 いや……まて、待って。

 お菓子とか。だけで、とてもバッグに入りきらない量だ。

 ペットボトルだって何本も……カラオケのための用意にしては多すぎる。


 それに……そうだ。

 つぐみと未羽が消えた時。二人のバッグはそのままレッスンルームに残ってた。

 ええと。ということは――なんだっけ?



・『ここに来てから最初に声をかけてきた人』を信じるな 覗ける距離を保て

・『キミが願いを私に託した』とき 最後に会っていた人のそばを離れるな



 つぐみや未羽に対して何かした人を、今は別にどうするつもりもない。

 この文章を作った人だって。全てを信じてるわけじゃない。


 ここに、《しるしの中》に来て、最初に話した人は……松木さんだ。

 松木さんを信じるなってことを、言っているようだ。

 覗ける距離――まっくらだが、ライトを向ければ数メートル程は呪いの範囲。

 願い事をして、意識を手放した時。最後に会っていたのも……松木さんだよね。

 願いだって松木さんに向けていたものだし。やっぱり間違いない。


 つまり、松木さんを信じず。覗ける距離を保ちつつ松木さんのそばにいろ――?

 伝えようとしていたのはそういうことになる、けど。


 どうしよう。このこと、メールの件も含めて松木さんと共有した方がいいのか。

 つぐみのこともある。元の場所に帰る。それが叶うなら、黙っていた方がいい?

 何を信じれば一番いいんだ? 何を……


『……』


 ――かすかな音が、前の方で聞こえた気がして。顔を上げる。

 暗闇の中。何かがこちらに向かってくるような。

 そんな気配が迫っている。


 誰か来るなら、ってことだ。

 私のライトを目指したなら、駆け寄ってくる音や声を出すはず。

 何も見えないんだ。自分ならそうする。人なら絶対に。

 ……こんな真っ暗で、平気でいられるわけ無いんだから。


 分からない。


 ただ巨大な闇が、なにかを運んでくる。

 いつの間にか胸に手を寄せて、きつく携帯を握りしめていた。

 夜空ごと落ちてくるように、なにか恐ろしいものが迫ってくる……!


 いいものにはとても思えそうにない。



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