第27話 黒より黒く

 



 泪を流して泣くのも笑うのも……喜怒哀楽に優劣はない。

 でも本気で笑うのは、本気で泣くより難しい。


 



 


 真っ暗だ。

 ここはどこだろう。

 寒くはないが、空気が濁っているというか、淀んでいるというか。

 自分の部屋じゃないな。外、だよね。

 手で顔を拭う。号泣していたのかってくらい涙を流していたようだ。

 なにか悲しいことがあったっけ? ……寝起きみたいだけど。

 わりと気持ちはすっきりしていて、落ち着いてるのに。


 ……私は確か、家に向かう帰り道で、倒れたんだ。そこまでは憶えてる。

 そうだ。あの時、願い事をして――


「気が付いたか」


 松木さんだ。松木さんの声。

 聞こえてるのは声だけで、姿が見えない。

 そこまで離れてないはずだけど。声の響き方がなんか変で、分からないな。

 トンネルの中みたいに、方向と距離がうまくつかめない。


「ここは……?」

「上を見てみろ」


 言われるまま見上げてみる。

 周りと変わらない、ただ暗いだけだと思っていたが、

 吸い込まれるような夜空が広がっている。

 先が見通せないのは同じだけど、周りと違いただ真っ暗って感じじゃない。

 狭い場所かと思ったが、上はだいぶ開けているのかも。


「どんなふうに見える?」

「どんなふう、ですか? ええと……」


 じっと眺めていると、夜空になにがが絶えず動いている。

 黒い色をしたオーロラ。

 もしそういうものがあるのなら、あんな感じだろう。


 すごく遠くにあるような気もするし、目の前にもあるような気もする。

 なんで夜空って表現が最初に浮かんだのか、ちょっと納得した。


 黒いもやが、ぐねぐねと夜空を行き交っている。幻想的なイメージよりも、生き物……理科の時間に顕微鏡でも覗いているような気分だ。なんだか――


「あんまりいい気持ちにならないですね」

「そうか」


 ふと、小さな不安がよぎり、

 ぱ、ぱ、っと両手で身体を触って確かめる。

 ちゃんと私の身体はここにあって、服も着てる。

 カバンもその重さのまま肩に掛かっている。靴も、足の踏み鳴らしでわかった。


 大きなため息をひとつつく。

 よかった。私はここにいるし、松木さんもそばにいる。――願った通りだ。

 ああ、誰に感謝したらいいんだ。誰が私を……


「あの、マツキさんが助けてくれたんですか?」

「……俺じゃない。それに助かってる、とは違うな。ここは……お互い《しるし》の中にいる」


 《しるし》の? ……ん、思い出せない。

 頭は痛くない。ただノイズのあるラジオを聴いているような、抵抗を感じる。

 ちょっとしたイラつき、嫌な気持ち。

 記憶を辿ろうとすればするほど、それが強くなる。


 誰が私を助けてくれたんだろう?

 あの時……私は路地で倒れて。今も倒れたままだったかもしれない。 

 そうだ。最後に願う前、私がしたかったこと。

 

 《しるし》を開いて二人を探しに行く。

 

 それは私が、これから叶えなくっちゃ。私を助けてくれた人に、応えるんだ。

 今は、考えて、動けるんだから。

 ええと、でもその場所に来てるんだとしたら、あとは――


「もしかしたら、消えていった人が見つかるかもしれない。無事だといいんだが……あの《かいぶつ》もどこかいる可能性は高い。さて、どうするか……」

「み、う……つぐみ」

「そうだ。ここでじっとしているのもな。何かに行き当たるまで歩いてみるか?」


 二人がいなくなって何日経つ?

 こんな真っ暗な場所、私は一日いたら心が折れると思う。

 充電が切れないように携帯でも見てない限りは。


 あ。携帯。持ってたそういえば。


 松木さんは、携帯を《しるし》に巻き込まれたっていってたっけ。

 ……七瀬あやねさんを呼び戻せるか、確かめるために。

 ということは、ここのどこかに落ちているのかも。

 でも、まずは二人を見つけないと。


「すぐ探しましょう。あの、携帯のライトをつけます」

「……前だけを照らしてくれ。動かさないように。その方向に進むからな」


 手探りってほどでもない、使い慣れた操作でライトを左手で灯してかざす。

 ある程度広い場所みたいだ。光の反射がないから、私の手元すらよく見えない。

 光が吸い込まれているみたいに感じる。ここまでの暗さは初めてだ。

 

 圏外表示になってたから、ここは地下か山奥か、松木さんの言う通り《しるし》の中か。どこか分からないところなのは確かだけど。


「……っ」


 急に右手を掴まれて、声が出そうになった。

 驚いたのもあったけど、単純に痛みが走った。

 そ、そうだ。右手、ケガしてたんだった。

 私の部屋で《しるし》が開いた時、首と右手を――


 あれ。

 松木さんはそれを知ってるはずだけど……?

 暗いから、加減なんて難しかったってことかな。


「ライトの向きはそのままでいい。行くぞ」

「は、はい」


 そのまま横に付き添って歩き始めた。

 松木さんと繋いだ手が、熱い。引っ張られたからか、鈍い痛みが少しずつ強くなる。乱暴な力なんて、こもっていないはずなのに。


 いったん意識してしまうと、首もズキズキしてきた。

 さ、最終リハの立ち回りでも、たいして気にならなかったんだけどな。


 空気の淀みを嗅いだ時。暗闇で夜空を見た時。

 靴を踏みならした感じ。携帯を触った時の指先。

 松木さんと繋いでいる手。


 ……私の感覚、元に戻ってる?

 そういえば、ずっと頭の中に雲がかかっていたような、嫌な気分が消えてる。

 私が失い、削られていた部分を取り返したってこと? なんで? 

 ここが、人の精神をのむ《しるし》の中だから、何かの力が働いている?


「……」

「……」


 無言が続く。

 こんな時、いつもなら軽口の一つでも松木さんから出てくるものだけど。

 そういう状況でもないか。さすがに。

 状況っていうなら、松木さんと手を繋いで歩いてるのも、よく考えたらすごい場面だ。甘いムードなんて欠片もないんだけどさ。こういう、非常事態の時の方が、関係は進みやすいとかつぐみは言ってたけどって何考えてるんだろう私は。


 恋のつり橋効果なんて、今は関係ない。

 でも右手と首の痛みが心臓の音と繋がって、この鼓動が妙な思考回路にいきついてしまう。


「マツキさんは」

「……ん?」

「私のこと、どう思っていますか」


 心を覗く呪い。

 感覚が戻っても、まだ私のどこかに食い込んで解けずにいる。

 でもお互いの顔も見えないこの暗闇の中じゃ、機能しない。

 それに、心の中を覗くというのは、その人が善意で隠してくれたものまで探り出してしまう。


 だからこの瞬間。このシチュエーションでしか、もう聞けないのかも。

 そんな考えが頭をよぎったら、自然と私の口から言葉が出ていた。


 嫌いと言われても、嘘だと思うことが出来る。

 好きと言われたら、本当だって思うことが出来る。

 恋は盲目で、恋心は覗くものじゃないんだから。


 繋いでいる手を、改めて握り返す。松木さんの手が温かい。

 私の汗、滲んでいないといいけど。


「さあ、どうだったかな……」


 松木さんの返事は、そんな私の甘えを受け入れないものだった。

 都合よく解釈をさせてはくれない答え方。

 まあ私もフェアな駆け引きとは言えず、お互い様なんだけどさ。


 なら、自分の心のままに言うしかない。

 人のまっすぐな気持ちをはぐらかす松木さんじゃないことは、知ってる。


『ひな……』

「えっ?」


 誰? 違う。マツキさんじゃない。

 どこから声が届いたのか、判断するに難しい。

 暗闇からか。携帯のライトの先からか。あるいは、私が勝手に思っただけのことか。

 それでも、小さくて消えそうな、私を呼ぶ声が聞こえた。


「何か見つけたか?」

「いえ。誰かの声が……私の気のせいかもしれません」


 耳を澄ませる。

 松木さんも察してくれたようで、立ち止まり様子を伺ってくれている。

 ……誰もいない? あんなか細い声なら、すぐ近くに誰かいるはずだ。

 幻聴でも聞いたとかだと、話は違ってくるが。


 ライトで足元を照らしてみる。

 黒い地面。私の靴で踏みしめても、足跡すら残らない。

 特別、固くも柔らかくもないんだけど――


「んっ?」


 私の靴、そのすぐ横にペットボトルのキャップが落ちていた。

 児童劇団が舞台練習の差し入れでよく飲む、ジュースの銘柄と色。


「マツキさん。ここに落ちてます! 他は……」

「向こうを照らしてみろ。まだ何かあるかもしれん」

「はい。えっと」


 伝える前に、松木さんが手を離してくれた。

 しゃがみ込み、そっちの方向の地面へ光を滑らせる。……あった。

 ペットボトルと、飴の包装紙がいくつか。

 そして――手のひら。


 血の気のない、青白い手のひらが、地面に横たわっている。

 心臓が跳ねたと同時に、私は駆け寄るための一歩を踏み出していた。




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